田植えの時期というのは、まちまちだ。
埼玉県熊谷市にある夫の実家のあたりの田植えは、6月上旬と、かなり遅いのだ。
なぜ遅いのか。
二毛作(麦と稲)で、麦の場から稲の場へのうつりの作業のせいだろうか。麦の気配を土から消し、稲を待つばかりの土にするのに時を要するからだろうか。
夫に尋ね、かえってきた答えは「二毛作も田植えの遅い理由にはちがいないけれど、水のこともある」というもの。思いがけない答えだった、田のことの少しもわからないわたしにとっては。
田には、水が要る。
その水を、どこから引いてくるかというと、川からである。熊谷のあたりは、荒川から水をもらうことになる。
その昔、稲作には水争いと洪水がついてまわっていた。
雨が少なくなると、川の水が少なくなる。そんななか、上流の堰(せき)で水をとってしまえば、下流の堰では水がとれなくなってしまう。水は、高いほうから低いほうに流れていくわけだから、本来、低いほうから順にとってせき止めていかなければならないということだ、なるほど。
反対に大雨が降れば、川の水がふえて洪水になり、堰が壊されて堰そのものをつくりなおさねばならなくなる。これも、なるほど。
熊谷に水をくれるあたりの荒川では、大正時代に堰をととのえ、下流から順に取水することとした。
そういうわけで、荒川流域の山寄りに位置する熊谷の取水は遅くなり、それで田植えも遅くなるのだった。
お百姓——このことば、とても好きだ——にとっての、こうした「あたりまえ」に感心する。この歳になってやっと知ったのであったとしても、感心できることはめでたい。
前置きが長くなったが、わたしは5月のはじめに、もうひとつ、めでたい目に遭った。熊谷の家で、田植えの準備をちょこっと手伝うことができたのだ。ほんとうにちょこっと。
それは田植機専用の稲の苗床に、土を入れる作業だ。こういうところが農業のきびしさおもしろさだと思うのだが、適当に土を入れておけばいいというのではなかった。土の分量が決まっている上、表面をならして平らにしておかなければならない。わたしは夫と向かい合って、それをする。
義母(はは)は門の前にビニールシートを敷くと、苗箱をはさむように両脚を前に投げだして坐り、手順を見せてくれる。土をすくい入れて、その表面を専用のものさしみたいなものでならすのだ。ははときたら、前屈の姿勢になって、楽楽その作業をこなしていく。これが、わたしにはむずかしかった。からだがかたいからだろう、前屈しても、苗箱の表面全部をならしきれない——苗箱のむこう岸に手が届かない。
そこで考えた。
この作業、立ってしたら楽なんじゃないだろうか、と。納屋からお誂(あつら)え向きのケースをふたつ持ってきて重ねて置き、その上に苗箱をのせて……。土も袋から出さずに、袋からすくいとったほうが具合がよさそうだった。
夫とふたりで、ささやかな工夫を重ねながら、思いついた工夫を自慢し合いながら、1時間半ほどで、150個近い苗箱に土を入れることができた。
工夫って、楽するためにするものなんだな、と、ある意味では「あたりまえ」ともいえることに気づいて、めでたがる。
苗箱に土(すでに有機肥料がいい塩梅に
混ざっている)を入れ、苗床の準備を。
ほら、立ち仕事です。
土の表面を平らにならします。
土の量は、かなり育苗に影響があるそうです。
絶妙な量をさぐり当てるまでに、年月もかかったとか。
作業がおわりました。
こうしてできた苗床に稲のタネを植えつけるのは、
5月半ば。
ますます、米が、ご飯がありがたく思えます。