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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2010/06/01
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カテゴリ:生活

つう——
 与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの? あんたはだんだんに変って行く。何だか分らないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう。あの、あたしには言葉も分らない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは。あたしは一体どうすればいいの? あんたはあたしの命を助けてくれた。何のむくいも望まないで、ただあたしをかわいそうに思って矢を抜いてくれた。それがほんとに嬉しかったから、あたしはあんたのところに来たのよ。         『夕鶴・彦一ばなし』「夕鶴」(木下順二著・新潮文庫)





 「木下順二」(※1)が2006年10月30日、92歳で亡くなったとき(訃報は、死後ひと月たって明らかにされた)は、大きな1本の樹がたおれ、目の前に虚ろな平原がひろがったようだった。
 若いころ、勤めていた出版社で、2度か3度お見かけしたことがある。初めてのときは、戯曲『子午線の祀り(しごせんのまつり)』(河出文庫)を「文藝」に発表されたすぐあとだったと思う。額にかかる髪を、頭を軽く振ってはらう仕草は、なんとはなしに少年を思わせたが、瞳の奥に宿る光にはただならぬものがあった。ほんとうに、大きな1本の樹のようだった。
「あなた、『子午線の祀り』を観にゆかない?」と、編集部で2年先輩の友人に誘われ、当時から腰の重かったわたしにはめずらしく、ふたつ返事で「ゆく」と答えた。当日、東京国立劇場に行ってみると、わたしの席は、編集長と、20年も先輩のMさんにはさまれていた。友人は、急な仕事で来られないという。「なんて窮屈な」と、若かったわたしは縮み上がったが、幕が上がるや、そんな思いなどどこかへ飛び去ってしまった(1979年初演。演出・宇野重吉ほか)。『平家物語』を翻案した作品で、舞台は平家滅亡の壇ノ浦、主人公は新中納言知盛だ。「群読」でものがたりは語られていく。日本語の確かさ、うつくしさが、こつこつと胸底を叩いた。
 そうして、こつこつは、いまもつづいている。そんな気がしてならない。あの日からわたしは、「木下順二」という樹の木陰で、日本語を思っていたようなものだ。
 この世からその存在が消えたからといって、何もかもが消滅するはずはないけれど、「木下順二」が亡くなったときには、たしかに、目の前に虚ろな平原の広がりを見た。あれは、いつまでも木陰に安穏としていてはならないという、示唆であった。——と思っている。



 いつか『子午線の祀り』の話を長長と書き連ねてしまったが、このたびは『夕鶴』なのだった。
『夕鶴』を、『子午線の祀り』においても「影身の内侍(ないし)」という重要な役どころを担った「山本安英(やすえ)」(※2)に演じさせるため、「木下順二」は書いた。——と云われている。新潟県のあたりに伝わる民話をもとに書かれたが、ともかく、『夕鶴』の作者は「木下順二」である。
『夕鶴』の、冒頭に引用の数行だけでも、そっと声に出して読んでみると、「つう」の哀しみが滲(にじ)む。日本語のうつくしさとともに、それが沁みてくるのがわかるはずだ。



 ときどきわたしは、自分の身から羽根を抜いて織っている「つう」の姿を想像する。そして、恥ずかしいことに——ごくたまにではあるけれど——「わたしだって、身から羽根を抜いて……」と思いかけることがある。しかし、その恥知らずの思い方は、すぐと打ち消される。
「つう」は報いを望んでなどいないのだ。そこへいくと、わたしなど、ぜんぜんだもの。世のなかにならって、小さい欲望をくつくつ煮ているようなのだもの。
『夕鶴』には、楽しいふたりの暮らしが僅(わず)かしか語られず、数頁もめくればたちまち「つう」のこころが沈んでいく。
 村人に唆(そそのか)され、「おかね」を気に入ってしまった「与ひょう」も、本来無償のひとである。「えへへ。つうが戻って来て汁が冷えとってはかわいそうだけに火に掛けといてやった。えへへ」というような人物だ。



 最近考えている。
 世のなかにならって生きるのでない道を考えてはいけないのか、と。「与ひょう」のようなひとが、世にならったところで、決してうまくいきはしない。現に——という云い方は、おかしいかもしれないが——「おかね」をちょっと気に入っただけで、それまでもっていた静かな、そして楽しい暮らしも、うつくしくやさしい女房も失うことになって。
 けれどもまた、世のなかにならう、とはどういうことだろう。
 もっと云えば、世のなかとは何だろう。
 自分はたしかに世のなかに参加し、自分はたしかに世のなかをつくっている。そうにちがいない。だから、世のなかは、自分の一面でもあるはずなのだ。
 けれどけれど、踏ん張らなくては。いつしか、自分の存在が、かかわりなきかに思える——そして、ことばもわからないひとたちのいる——そんな遠き「世のなか」にからめとられぬよう。
 そういえば……。また『子午線の祀り』の話になるけれど、ある深遠なる詞であはじまり、また締めくくられる。結びは、こうだ。

そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上り、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。
   



※ 1 木下順二(1914 – 2006)
劇作家。評論家。
東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科でシェイクスピアを学んだ。第二次世界大戦中から民話を題材とした戯曲を書く。49年、『夕鶴』を発表。著作は『神と人とのあいだ』『おんにょろ盛衰記』『オットーと呼ばれる日本人』『ぜんぶ馬の話』ほか、多数。シェイクスピアや、イギリスの民話集の翻訳も多数におよぶ。
※ 2 山本安英(1906 – 1993)
新劇女優。朗読家。
「築地小劇場」の創立に参加、第一回の研究生となる。1965年「山本安英の会」を主宰。「夕鶴」は1949年初演以来1986年まで37年間(公演数1037回)、「山本安英」ひとりがが「つう」を演じている(「山本安英」の死の4年後、「坂東玉三郎」が演じた)。著書は『おりおりのこと』『女優という仕事』ほか。




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踏ん張ろうと考えて、最初に思いついたのが
これでした。
もやしのひげ根をとる。

こういう仕事は、
無償のこころでしているかもしれないなあと
思えて……。



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役目を終えた束見本をフリーノートとしてチャリティ販売 (1冊200円~)。 



※束見本とは、実際と同じ用紙にてつくった製本見本のこと。

このキャンペーンのイベントとして、
6月5日(土)に、小さな「トークショー」が開催されます。
「作家が語る日本の自然と環境」
進行:田中章義(歌人・詩人・作家)
ゲスト:山本ふみこ
会場:日本橋三越本館1階 中央ホール
日時:6月5日(土)
   12:30~ 14:30~の2回

おついでがありましたら、ちょっと覗いてください。







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最終更新日  2010/06/01 10:00:00 AM
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