そういえば、枝豆を見なくなった。
いや、それは正しくない。枝豆は見るが、枝つきのを見ないということだ。以前——といって、どれほど以前のことなのか、わからなくなっている——は、夏になれば、町の商店のならぶあたりで、枝豆を抱えたり、ぶら下げたりするひとを、いくらでも見た。それで、ああ、枝豆食べたいなあと思いだすのだった。
母が枝豆を掲げて見せれば、弟でもわたしでも、どこかに坐りこんで新聞紙をひろげ、その上で枝から枝豆の莢(さや)をはずした。昔は、いまのキッチンばさみのようなのでなく、もっと無骨なはさみで切ってはずした。母はそれを「料理ばさみ」と呼んでいたけれど、ほんとうはあれ、小振りの花切りばさみだったのかもしれない。
それはともかく。
いまや、枝豆は、たいてい莢だけの姿で袋に入って売られている。枝豆を枝からはずすというひと手間がなくなったのは、さて、よかったのか。そのおかげで、楽しているのだろうけれど、枝豆のありがたみも、薄れたようだ。食卓の上で、幅を利かせていたはずの枝豆は、何となく頼りなげに見えるもの。ごちそうだったのに、枝豆。
楽するために、ひと手間省いても、省いた分面白みが消える。……そういうこともある。
この夏はほんとうに暑かった。
過去形で書いてみたところで、まだまだこの暑さはつづくらしい。涼しい日がめぐってきたら、思わずじわっと涙ぐんでしまいそうだ。
今夏、何度かへたばりかけた。ちょっと無理をしたせいで体力が落ちていたところに、この暑さだ。仕方なかった。そういう仕方なさのなかで、わたしはいくつか、べんきょうをしたのだった。そうでなくても夏は、過去を思わされ、重たいものをくり返し受けとめなければならない季節だ。宿題、自由研究ということばが夏、精彩を放つように、老いも若きも何とはなしにべんきょうさせられる。
枝豆のこともべんきょうだったし、暑さを凌(しの)ぐ、そのやり方も学んだ。わたし——もしかしたらわたしたちは、と云ってしまってもかまわないかもしれない——は昨今、暑さやら、疲れやら、空腹やらといった、「不足」ともいえる状態を一足飛びに解決しようとしている。いつからそうなったのか、それは定かではないけれど、何かが抜けて落ちているわけなので、味わいがない。
エアコンのスイッチを入れてがーっとばかりに冷やせば、まずまず暑さは解決するが、ちょっとうちわで扇(あお)いでみたり、涼しい場所をさがしたり、が、抜けている。そういえば、枝豆も、茹でたあと、うちわで扇いでさましたものだった。忘れていた。水にさらしこそしないものの、このところ、茹でたら茹でたままにしていた。
体調がいまひとつで気力がからだの真ん中に集まってこなかったある日、わたしはなんだか、哀しかった。体調はそんなでも、しなければいけない仕事が積まれていて……。それでいて、したい仕事には手がつかないような気がして……。そんなとき、枝豆を枝からはずすようなこと、茹であがった枝豆を笊(ざる)に上げて、うちわで扇ぐようなことをしてみたくなった、不意に。
居間兼食堂の、南側の窓ガラスを拭いてみた。これは、このところ、わたしがしたいしたいと思っていたほうの仕事だった。しようと思ってはじめてしまえば、できるのだった。調子づいて、西側のガラスも、東側のも、台所のも、と思いかけて、それはよした。少しずつがいいのだ、と思いなおす。
こんなことが、どんな風に効いたものか、気力がもどりかけたのがわかった。もどるきっかけをつかんだという感覚だろうか。そしてそして、涼風が吹いた。それはどうやら、窓ガラスが透きとおったからだった。
ひとつひとつ。
それも少しずつ。
そういう積み重ねで、乗りきっていくことを、どうしてだか忘れてしまい、また思いだしたというのが、この夏のべんきょうだった。
前(発芽の頃)に、お目にかけた朝顔。
葉は繁って、早早(はやばや)日よけになってくれましたが、
花はなかなか咲かなかったのです。
8月8日に初めて1つ咲きました。
これは、そのときの写真です。
その後は毎日、4~10くらい咲いています。
今朝は12咲きました。
いまのところ、白ばかりですが、青もいずれ咲くでしょう。
――と、思います。
朝顔に毎日寄り添うことが、
わたしのこの夏のしんどい一面を支えてくれました。
下から見た朝顔の様子です。
すずめがたくさんやってきています。
すずめたちは、元気です。
暑くても、雨降りでも。
末の子どもの宿題につきあって、
東京・上野動物園に行ったとき、
不忍池(しのばずのいけ)で、
睡蓮の蕾に出合いました。
この写真を、皆さんへの、
残暑御見舞いにかえて……。