膝上何センチというスカートのときは、やけにスースーした——ズボンばかり履いているから——し、肩パットの入った上着のときは、肩がいかって「鉄人28号」になったような気がした。友人たちには、アナタに必要なのは、肩パットじゃなくて胸パットよね、と云って笑われるしまつ。
若いころの流行の話なのだ。ふり返ると、あそこらあたりからゆっくり時間をかけてはみ出してきたような気がしている。流行のことばかりではなく、わたしというひとの有りようについても、だ。そして、とうとうある日、自分のことを「変わり者」と思うことにしようっと、と決めたのだった。
「変わり者」とは、性質や言動が普通とはちがったひと。変人奇人のことである(参考/岩波・広辞苑)。ほんとうは、わたしという自分をずっと生きてきているわたしには、自分が変わり者だとは思えない。それはまあ、自分を中心に見立てての話のすすめ方であるにしても、だ。しかし、それじゃあ「普通」ってなんだ? と考えはじめると、とまらなくなる。これまた「広辞苑」のお世話になってたしかめるなら、①ひろく一般に通じること。②どこにでも見受けるようなものであること。なみ。一般。
おお、むずかしい。なんだかやっぱり、「普通」という見方は好きになれない、というところに行きつくようだ。なぜ「普通」ということばに、神経をとがらすのか。そのくらいのことを、胸におさめきれないことが恨めしい。
けれど、「普通」であろうとするがためにがまんしたり、自分の(あるいは、ひとの)何かを押さえつけるとしたら……、それはいやです、というのにほかならない。みんなとおんなじ、というのもなんだか落ちつかない。ひとことで云うなら、天の邪鬼ということになるわけだけれど。
自分を「変わり者」呼ばわりすることにしたことは、よかった。初めて「変わり者よ」とそっと呼ばわってみた日から、わたしは自分の意見や好みが少数派であることに愕然としかかるときも、それを選択したのがどうやらひとりきりだと気がつくたび、(ま、変わり者だからしかたないか)と気楽に考えるようになった。友だちが少ないことも、(ま、変わり者だから……)でカタがつく。つまりわたしにとって、自分で貼りつけた「変わり者」の商標がどんなにか便利だったわけなのだ。
「変わり者」「変わり者」とくり返し書いていたら、台所のほうで大きな音がした。これを書いているきょうは土曜日で、家にいる誰かが、何かしようとしているらしい。こっそり見に行くと、長女が床に落とした鍋を拾い上げているところだった。あわてているらしい。
「何をあわてて?」と聞く。
「とつぜん、料理をしたくなったの。材料、片端から使っていい?」
とつぜん、料理をしたくなるというとき、決まってこのひとは、こころに憂いを抱えている。このたびも、仕事でうんざりするような目に遭ったらしい。仕事というものの一面にこびりつく憂いのタネは、できるだけ早いうちにこそげてしまわないといけない。
それを、台所にこもってひとりのびのびと、好きなように料理することでこそげ落とすことができるのを発見したことは、じつにたのもしい。
「だけど、ろくな材料はないわよ」
あってないようなわたしの計画だけれど、食材は金曜日の夜までにだいたい使いきることにしている。「買いものに行ったらどうなの?」と云うと、それはしない、という返事。家にあるものでいろいろつくってみたいそうだ。
(買いものに出たくないということなんだろうね)と思いながら、目の前に、使えそうな材料を、全部ならべてみせる。じゃがいも3個。玉ねぎ1個。にんじん1本。長いも10cm。白菜1/8個。長ねぎの青いところ1本分。豚ひき肉150gくらい。鶏もも肉1枚。ツナ缶1個。ベーコンのかたまりマッチ箱大。玉こんにゃく10個。卵5個。干ししいたけ2枚。牛乳500cc。
その山をうれしそうに眺めながら、娘がつぶやく。「普通って何だろうね、お母さん」
「え」
「わたしの考えや思いつきは、突飛らしいよ。『普通』にもどって、そこから出直せって。これ、しょっちゅう云われることなんだけどね」
「あのさ、自分を変わり者だと思っちゃうといいかもしれないよ。ま、とにかく。この材料で何がつくれるかね。たのしみにしてるね。ばいばい」
わたしは少しあわて、台所に娘をのこして書斎にもどった。
(あのひとも「普通」とたたかってたんだなあ)と、驚く。うっかり、身近にもうひとり変わり者をつくりかけたけれど、よかっただろうか。
しかし、変わり者になってしまえば、モノとのつき合い方が見えてくるはずだ。たとえば、目の前に積まれた材料をどう料理するかなど、とても「普通」の感覚でしきれるものではない。
変わり者の料理です。
奥の左から、
・鶏のにんじんと長芋巻き
・ハンバーグ
・玉こんにゃくと茹でたまごの煮もの
手前は、
・ポテトサラダ
そうしてこれが、
いろいろ入ったチャウダーです。