3月29日(火)
団子をいただいた。
甘いモノは、ほんの少し口にするだけで、じゅうぶんにしあわせを感じさせてくれる。が、それは、一度にたくさんは食べられないという意味でもあって、 甘味と自分とのあいだの儚(はかな)さを思っていた。
最近、それはちがうのではないかという考えがあたまをもたげている。摂る量は少なくとも、甘味との関係は決して薄くはないのではないか、と。
現に——。友だちが送ってくれたあんぱん。熊谷のははが煮て持たせてくれた「黒豆」。自分でこしらえたおからのケーキ。こうしたモノたちに、これまで気づかなかったやすらぎを、おぼえるようになっている。
きょうはきょうとてこの団子だ。また、やすらぎがやってきてくれたな。——そう思った。
黒ごまの串団子である。
箱をあけてみると、団子が、そこへ埋もれていると云っていいほどたっぷりの黒ごまと和三盆の和えごろも。ひと串に3つさしてある団子をひとつだけもらって、すっかりやすらいだ。この一期一会。この「少し」との出合い。それが、わたしとの関係に濃密をよんでいる。
さて、濃い煎茶とともに、いくつもの口に配り分けられたあと、黒ごまの和えごろもがたんと残った。
(これは、ほうれんそうのごま和えにするしかないな)と、ほくそ笑む。
ここまでお膳立てのごま和えなどこしらえたことがないから、ほくそ笑むのも道理である。しょうゆを足し足し、味をみながら和えごろもをのばすように練ってゆく。ひとつ和えごろもの転身としては、目を見張るものがある。
オレンジページのNさんが、朝日新聞・文化面に載った「加賀乙彦」の「つぶやき」(の記事)をファクスしてくれた。わたしが加賀さんを好きなことを知ってのことだろうけれど、何よりNさん自身のこころに響いたらしかった。「再建という希望が残った 大震災 老人のつぶやき」と題されたこの文章を、読まれた方も多かろうと思う。読みだしてすぐ、驚く。加賀さんが81歳になっておられ、しかもことし1月半ばに心臓病で倒れ、4週間入院しておられたのを知ったからだ。
そうして、ペースメーカーの調子を診てもらうため出かけた病院から帰ろうと、外に出たとき地震にあわれたということだ。16年前の阪神淡路大震災のときには避難所を巡り、ボランティアの医師として働いた加賀さんも、このたびの災害の巨大さに呆然とするばかりだったと書いておられる。しかし、戦争中の都市爆撃の被害と残酷、広島・長崎の原子爆弾の大き過ぎる被害を、加賀さんは知っている。知っていて比較するも、たとえば原発の破壊を復旧し、救命活動に励む人びとの献身や、ボランティアとして働く人びとの熱意は、戦争中の軍国主義の横暴と「まるで」ちがって、日本の未来は明るい、と加賀さん。
もっともわたしの胸に残ったのは、この記事のさいごの1行だ。
これが病気でなにもできない老人のつぶやきである。
加賀さんの「つぶやき」はしかし、光に顔を向ける方法を静かに示している。
病気の根を抱えるわたしの友人も、云っていたっけ。
「人一倍元気だったら、向こうに行ってボランティアをするという選択もあると思うけれど、人より元気がない身としては、行っても何もできないどころか足手まといになるし、ここでできることをしながら、静かに見守るしかないなあと思うのよ」
おだやかな決意は、そっと波となって復興を押してゆく。
団子つながりの、ほうれんそうのごま和えです。
おいしく、たのしく食べました。