午後11時過ぎの庭は暗く、暗いと云うより墨を流したように黒かった。わたしは、眞晝(まひる)ばかりを好む者ではない。闇や暗みにも、惹かれる。ものも云わずに闇のなか、ひとり佇んでいたいようなときもある。
そうしてそんな自分は、明るいものをむしゃむしゃ食べて腹におさめ、闇のなかで休む鬼のようだ。いちばん怖いのは、そうしている鬼の自分ではなく、あくる日にはまた何事もなかった顔で、日光の下に出てゆく自分。
闇のなかで無事ゼラニウムを植えつけたわたしは、蚊取り線香の炉を傍らに引きよせ、軍手をはずして坐っている。膝を抱えてじっとしている。こんな夜は、星までも宇宙の枠組みからはずれて、ものがたりのなかの存在に変わって見える。
ことし1月7日の早朝に逝ったいちごを思っている。いちごは闇の色の猫だった。
「黒猫は縁起がわるい」
「赤ちゃんが生まれるのだから、猫はほかへやってしまったほうがいい」
ときどきそんなことを云われたが、耳を貸さなかったな。いちごに守られた17年間だったな。
いまでも守られているように思える。ただ、いちごが逝くとき、わたしの一部がいちごになったような気がして、少し、少しだがわたしは以前よりしゃんとした。いちごが逝ってしまったあとも、めそめそしなかった。ほんとはそうしたいときもあったけれど、いちごがそれをさせなかった。
「これからは、あなたがこの家の四隅を守るんです」
といちごが云った。
———いち(いちごの呼び名)、四隅って……何?
と思ったが、尋ねたくてもいちごはいない。白くきれいな骨は壷のなかに残っているけれど、魂はもう届かぬどこかに帰ってしまった。
いちごは、わたしたちがこの家に引っ越してきた数日後に、とつぜん弱りはじめた。それでも、のろのろと家のなかをすっかり見て歩き、階段も上がってひとつひとつの部屋を覗いた。その様子は、何かを確かめるようでもあり、祓(はら)い浄(きよ)めてゆくようでもあった。
さらに弱って歩くこともままならなくなってしまったある日、わたしはいちごを抱き上げて庭に出た。庭もいちごに見てほしかったからだった。家の四隅のはなしを聞かされたのは、そのときだ。
「これからは、あなたがこの家の四隅を守るんです」
いちごが逝ったのは、引っ越しから数えて21日めのことだった。よくぞともに転居してくれたな。ともにこの年を越してくれたな。
闇のなかでいちごが駆けているのが見えた。この夜は、いちごが引いてきてくれたものだろうか。しんと静かな、深い夜の帳(とばり)だった。
ほんとうは、いちごが駆けまわるのを眺めながら、庭しごとをしたかった。そうしたかったけれども、そのかわりに、いちごと約束した四隅の守りのためにも、庭を大事に育ててゆこう。
そうすればきっと、いちごが滋養を引き、風を引き、星を引き、そうして夜の帳も引いて、庭を守ってくれるだろう。この家の四隅を守ろうとするわたしの力不足を補ってくれるだろう。
約20年ともにあって、2回も引っ越ししたつるバラ
(サマースノー)が、枯れてしまいました。
2002年に閉園したなつかしい「向ヶ丘遊園」(神奈川県川崎市多摩区)の
バラ園でもとめたバラでした。
幹を切りました。
バラの幹をのれん竿にしました。
のれんは、元の家の二女の部屋の2枚を合わせて
縫いました。
枯らしてしまったことはすまなかったけれど、
こうしてまたいっしょに……。
〈お知らせ〉
2013年6月28日(金)、
小さなおはなしの会「台所から子どもたちへ」をおこないます。
時間:13:30~15:00ごろ
会場:東京・新橋のオレンジページ「オレンジページサロン」にて。
ご参加、お待ちしております!
詳細は、こちらへ。