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カテゴリ:熱帯魚
ウチダ熱帯魚が閉店して何年経つのだろう。
手元の記録だと、2001年3月閉店となっている。あれからもう6年も経つのか・・・ 今ではウチダ熱帯魚を知らない人が多くなってしまったので詳しく解説すると、東京の代々木公園にあったほぼコリドラス専門の熱帯魚屋である。 最寄り駅は小田急線の代々木八幡もしくは地下鉄千代田線の代々木公園から徒歩5分ほど。付近には代々木アニメーション学院があり、ガード下では声優科の学生が発声練習していたりするちょっと変わった街だった。 当時のウチダ熱帯魚の広告 大量のコリドラスとまあるい山手線の地図が印象的だった。 アパートの一階部分の店舗でおじさん一人と奥さんがたまに手伝う小さなお店で(バイト君がいた時期あったらしいが、自分は知らない。)、おじさんはなんと戦後からこの手の商売を始めたそうある。 まず進駐軍相手の花屋をやっていたそうである。季節モノで夏場に金魚がよく売れるので花屋の傍ら金魚も売り始め、いつのまにか熱帯魚屋になっていたそうだ。 熱帯魚の中でも特に平和主義でケンカもせず、子供でも買えるコリドラスを中心に売るようになる。他にはカラシンと水草、ポリプを少々。 わたしが初めてウチダを訪れたのは大学三年のとき。高3のときから熱帯魚は始めていたが、コリドラスに興味を持ち始めたのはこのころである。たまたま、授業が休講で昼間ポッカリと時間が空いてしまい、アクアライフの広告で気になっていたウチダ熱帯魚に行ってみることにした。 当時買ったばかりの原チャリでウチダ熱帯魚を目指した。地図で調べると、学校からウチダまでは、隅田川の相生橋・勝鬨橋、銀座を通り、国会議事堂の前で246に曲がって青山で曲がり、表参道、代々木公園の脇を通って行く。という実にゴージャス?なコースである。 代々木公園のそれらしき場所についたものの、お店を見つけることができない。住宅街を原チャリでグルグル周り、クリーニング屋で聞いてみたら「隣です。」とそっけなく言われた。 開店時間より前でシャッターが閉まっていてわからなかったのである。 すぐシャッターがあき、おじさんが出てきた。「エサですか?」と聞かれた。「いえ、魚を見せてください。」と言うと水槽のライトを全部つけてくれた。これがおじさんとの初めての出会いである。 ライトのついた水槽を見て圧倒された。そこらじゅうコリドラス!コリドラス!!水槽一本あたりほぼ一種類だけ入っており、一種類あたり数十匹入っているのである。これだけの種類と一種類あたりの数を揃えていたのは今も昔もウチダ熱帯魚だけであろう。ひたすらスクワット状態でお店のコリドラスに見入ってしまった。 一種類あたり最低30匹はいた? その中ででっかくて黒いステルバイが気になった。いままでブリードのステルバイしか見たことが無かったので、でっかいステルバイを気に入ってしまった。 水槽には別の種類と値段が書いてあったのでおじさんに聞いてみた。「このステルバイいくらですか?」 おじさんは「それはね、ステルバイじゃなくてハラルドシュルツィって別のコリドラスなんだよ。昔はステルバイといっしょだったんだけどね。」と優しく教えてくれた。 今思えば、初めてハラルドを見たとはいえ、なんて無知なとても恥ずかしい質問をしてしまったなあと思うが、おじさんの答え方はその人柄をよく表していると思う。 別の店で一般的な呼称で「この○○いくらですか?」と聞いたら「その水槽に○○なんていねーよ!!」と一蹴された某ショップとは大違いである。 コリドラス図鑑の表紙のようなステルバイ それをきっかけにおじさんとは話しかけてきていろいろ話した。それまであまりショップで店員と話すことのなかった自分にとっては実に新鮮な体験で感動したのを覚えている。 1時間あまり話して「どのコリドラス持ってく?」という話になり、「ハラルドとバイオレットを一匹ずつください」と頼んだらなんとステルバイまでおまけしてくれたのである。一匹ずつ袋に詰め、新聞でグルグルと丁寧に梱包してくれた。 そっから先はうれしくてうれしくて原チャリで学校までどう帰ったか覚えていない。それが初めてのウチダ熱帯魚だった。 それから学生時代はもちろん、社会人になってからも月に一度は通い、おじさんとはいろんな話をした。たいていお店に行くと2時間コース。話が長くなるので必ず代々木八幡の駅前で腹ごしらえをしてからお店へ向かった。 おじさんとの会話は熱帯魚の話題は少なく、政治やスポーツの話題が中心だった。 おじさんは特にスポーツ好きで、某ボクシングジムの世話人もしていたそうで、ガッ○石松がボクサーになる前はイトメ採りの業者だった(チャンピオンになった腕力はイトメ採りで鍛えたらしい。)とか、日本のアスファルトで足腰を痛めてしまった外人選手を多摩川の土手に連れて行って鍛えたとか、当時の明治のラグビー部の准将でその後神戸製鋼に進んだ某ラグビー選手もコリ好きで遠征のたびにコリドラスをお店で預かっている。とかスポーツ関係のいろんな話をしてくれた。わたしもラグビーをやっていたので気に入ってくれたようである。 特におじさんの話で印象に残っているのが「コリドラス好きに悪い人はいない。」という一言である。おじさん曰く、「アロワナみたいな肉食魚を飼う人は気性も激しい人が多いけど、コリドラスみたいな平和な魚を飼う人は優しい人が多い。コリドラス好きに悪い人はいないよ。」といつも言っていた。 当時、インターネットも始まったばかりで、そこで知り合った地方の人にウチダ熱帯魚を「ウチダなら間違いないですよ。」と紹介した。みな気に入ってくれてウチダのおじさんも「紹介してくれたお客さんが来てくれたよ。君が紹介してくれるお客さんは間違いないね」と言ってくれたのを覚えている。 ウチダは値段も良心的だった。たいていのショップでは仕入れ値×3倍ぐらいの値段をつけるものだが、ウチダでは比較的高価なコリドラスでも仕入れ値+3000円ぐらいにしていたようである。また、あまりに高価なマニアックな種類は扱っていなかった。 特にお客が子供だとかなりまけていたようである。私自身にもいつも買うたびにコリドラスもう一匹。とか、イトメとかコントラとかおまけしてくれてこちらが恐縮してしまうほどであった。 お店のコリドラス自体も状態が常に完璧。実に生き生きとしているのである。繁殖困難とされるアークアタスが産卵していのを見たのもウチダの水槽が最初で最後だし、ウチダで買って帰った翌日に産卵したことも一度や二度ではなかった。 この状態のよさの秘密は異常なまでの大磯砂の量。水槽の半分ぐらい入った大磯を斜めにして、漏斗を突っ込んでエアリフトさせただけの水槽で維持をしていた。 水替えは大磯砂に手を突っ込んでグルグルかき混ぜ、浮き上がった汚れをネットで取り除き、サイフォンのホースで水を抜き、東京の水道水をエアーレーションしただけの貯め水だけ使って注ぎ込んでいた。 ウチダの水槽はこんな感じ。斜めに積み上げた大量の大磯砂が特徴 これほどまでにシンプルなのにあれだけの数のコリドラスを状態良く維持していたのはおじさんの長年の経験と勘による腕なのだろう。 ウチダ熱帯魚は2001年の春、おじさんの健康上の理由で惜しまれながら閉店した。 当時、わたしはよっぽどあとを継がせてもらおうかとも思ったが、わたしが継いだところでウチダ熱帯魚でなくなってしまっただろう。あのおじさんなくしてウチダ熱帯魚は存在価値はないのである。 あれから6年。いまだにわたしはウチダ熱帯魚と同格の熱帯魚屋に出会えていない。 おじさんがよく言っていた「コリドラス好きに悪い人はいない。」という一言。当時は確かにそう信じていたし、そう実感していた。 しかし、今でもそうとは言えるだろうか。 投機目的のコレクションに走るマニア、マニア同士のいざこざ、マニアの足元を見た商売をするショップ・・・ コリドラスが好き。という原点から大きく離れてしまってはいないか? 荒廃したコリドラス界の現状を見たらウチダのおじさんはきっと悲しむに違いない。わたしはそう思う。
※店内の写真の撮影およびブログ等への掲載は当時、ご主人の許可を得ています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.02 18:28:46
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