2019/10/11(金)18:01
あきない世傳(せいでん)金と銀(六):本流編
■あきない世傳金と銀(六)■
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
大坂天満の互服商「五鈴屋」は、天災や大不況など度重なる危機を乗り越え、江戸進出に向けて慎重に準備を進めていた。
その最中、六代目店主の智蔵が病に倒れてしまう。
女房の幸は、智蔵との約束を果たすべく立ち上がった。
「女名前禁止」の掟のもと、幸は如何にして五鈴屋の暖簾を守り抜くのか。
果たして、商習慣もひとの気質もまるで違う江戸で「買うての幸い、売っての幸せ」を根付かせたい、との願いは叶えられるのか。
新たな展開とともに商いの本流に迫る、大人気シリーズ待望の第六弾!
「あきない世傳金と銀(六)」の表紙を見てびっくり!
なんと主人公・幸がスゲの笠を手に旅支度、帯が前帯ではない!!
■大河ドラマ「西郷どん」にみる「アホバカ」と前帯■
大坂の天満から江戸の出る途中の姿だった。
でも、半分以上は、天満の暮らしで江戸に出てきても開店の用意に忙しく、店が開いたのは、数ページ。
江戸時代の大坂では、女の名前で商売は出来なかった。
子どももいない幸は、足掛け3年という期限付きで、店主になる。
●メモ●
●定六(じょうろく)
江戸と大坂を六日間でつなぐ飛脚。
歩けば半月はゆうにかかる距離を六日で駆け通す。
ゆえに、銀二匁(もんめ)ほどかかるのだ。
●大坂では、温(ぬく)ご飯は、昼餉と決まっていた。
江戸では、朝に一日分のご飯を炊いてしまう。
●大坂の商家では「買い味噌は家の恥」
江戸では、いる分だけ味噌屋に買いに行く。
●さいはらい
幸たちは、江戸にきて初めて「はたき」を見た。
当時は、「さいはらい」と呼ばれていた。
「江戸時代のなかば過ぎころから使われ始めたもので、当時は采払いとか塵払いとよんでいた。」
と記されています。
また、『日本史小百科17 家具』(小泉和子著 近藤出版社発行 昭和55年刊行 210-N77-17)の「箒」の項に、
「なお、現在では箒というとはたきということになっているが、
はたきの方は箒と違って比較的新しい。
江戸時代になって使われるようになったもので、当時はさいはらいといっていた。」と書かれています。
更に、『日本を知る事典』(大島建彦他編 社会思想社発行 昭和63年刊行 380-O77 )の「はたき」の項では、「江戸時代から絹・紙などをさいて小竹に結びつけたものを、サイハライと呼んで塵払いに使用していた。」とあります。
今回も小説の中に、物売りの声が聞こえる。
♪とんとん、とんがらし
とんがらしの 根引きよぅ 「唐辛子売り」
♪枇杷ぁ 枇杷の実ぃ
甘い 甘い 枇杷ぁ
しじみぃ しじみよっ
しんじみい しんじみよっ
●天満名物、天満の大こーん
皮のうすーい、甘い、甘い大こーん
大根売りの声は■あきない世傳金と銀(4)■より。
■あきない世傳金と銀■
■あきない世傳金と銀(2)■
■あきない世傳金と銀(3)■
■あきない世傳金と銀(4)■
■あきない世傳金と銀(5)■
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