おしゃれ手紙

2019/10/11(金)18:01

あきない世傳(せいでん)金と銀(六):本流編

読書(339)

■あきない世傳金と銀(六)■ 【内容情報】(「BOOK」データベースより) 大坂天満の互服商「五鈴屋」は、天災や大不況など度重なる危機を乗り越え、江戸進出に向けて慎重に準備を進めていた。 その最中、六代目店主の智蔵が病に倒れてしまう。 女房の幸は、智蔵との約束を果たすべく立ち上がった。 「女名前禁止」の掟のもと、幸は如何にして五鈴屋の暖簾を守り抜くのか。 果たして、商習慣もひとの気質もまるで違う江戸で「買うての幸い、売っての幸せ」を根付かせたい、との願いは叶えられるのか。 新たな展開とともに商いの本流に迫る、大人気シリーズ待望の第六弾!  「あきない世傳金と銀(六)」の表紙を見てびっくり! なんと主人公・幸がスゲの笠を手に旅支度、帯が前帯ではない!! ■大河ドラマ「西郷どん」にみる「アホバカ」と前帯■ 大坂の天満から江戸の出る途中の姿だった。 でも、半分以上は、天満の暮らしで江戸に出てきても開店の用意に忙しく、店が開いたのは、数ページ。  江戸時代の大坂では、女の名前で商売は出来なかった。 子どももいない幸は、足掛け3年という期限付きで、店主になる。 ●メモ● ●定六(じょうろく) 江戸と大坂を六日間でつなぐ飛脚。 歩けば半月はゆうにかかる距離を六日で駆け通す。 ゆえに、銀二匁(もんめ)ほどかかるのだ。 ●大坂では、温(ぬく)ご飯は、昼餉と決まっていた。 江戸では、朝に一日分のご飯を炊いてしまう。 ●大坂の商家では「買い味噌は家の恥」 江戸では、いる分だけ味噌屋に買いに行く。 ●さいはらい 幸たちは、江戸にきて初めて「はたき」を見た。 当時は、「さいはらい」と呼ばれていた。  「江戸時代のなかば過ぎころから使われ始めたもので、当時は采払いとか塵払いとよんでいた。」 と記されています。 また、『日本史小百科17 家具』(小泉和子著 近藤出版社発行 昭和55年刊行 210-N77-17)の「箒」の項に、 「なお、現在では箒というとはたきということになっているが、 はたきの方は箒と違って比較的新しい。 江戸時代になって使われるようになったもので、当時はさいはらいといっていた。」と書かれています。 更に、『日本を知る事典』(大島建彦他編 社会思想社発行 昭和63年刊行 380-O77 )の「はたき」の項では、「江戸時代から絹・紙などをさいて小竹に結びつけたものを、サイハライと呼んで塵払いに使用していた。」とあります。 今回も小説の中に、物売りの声が聞こえる。 ♪とんとん、とんがらし とんがらしの 根引きよぅ 「唐辛子売り」 ♪枇杷ぁ 枇杷の実ぃ 甘い 甘い 枇杷ぁ  しじみぃ しじみよっ しんじみい しんじみよっ ●天満名物、天満の大こーん 皮のうすーい、甘い、甘い大こーん  大根売りの声は■あきない世傳金と銀(4)■より。 ■あきない世傳金と銀■ ■あきない世傳金と銀(2)■ ■あきない世傳金と銀(3)■ ■あきない世傳金と銀(4)■ ■あきない世傳金と銀(5)■ ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・

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