おしゃれ手紙

2022/12/05(月)00:05

11/24-2:滋賀:紅葉の近江八幡市内と八幡山

国内旅行(540)

■11月24日(木)-2 佐川美術館の後、近江八幡市の市内と八幡山に登った。 八幡堀(はちまんぼり)は、戦国時代に造られた滋賀県近江八幡市にある人工の水路。 安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた。 幅員約15メートル、全長6キロメートルに及ぶ。 埋め立ての危機を免れて現在も保全されており、旧市街とともに美しい景観をなし、 市民の憩いの場や観光地になっている。 城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、 当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えた。 八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。 町は大坂と江戸を結ぶ重要な交易地として発展し、堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並んだ。 ▲■舟橋:近江八幡■ 近江八幡市の中心部の八幡堀に架けられています。 古来より舟橋は大きな川を渡る橋の形式として確立されていましたが、 耐災害性や耐久性の課題のため旧式木橋以前に淘汰されてしまいました。 今でも浮体を利用したポンツーン橋は見られますが、 わずか3径間とはいえ舟橋といえる橋としては貴重な例であり、映画等のロケ地としても活用されているようです。 ▲白雲館は明治10年(1877年)に八幡東学校として、当時のお金6千円で設立されました。建設に際しては、八幡商人の熱意と区民の協力により、西洋建築の様式と、日本の伝統技術をとり入れ建築されたものです。 現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。 ▲古い町並みが残っていて年中観光客で賑わっている。 ▲近江八幡の町の名は、この「日牟禮八幡宮」から。 ロープウェイで八幡山に登る。 八幡山ロープウェーは山麓から山頂までを約4分で結び、 山頂からは琵琶湖や旧城下町近江八幡を望むことができます。 ここで家から持ってきた弁当をつかう。 八幡山は標高271.9mの山で、1585年(天正13年)豊臣秀次が築いた八幡山城の城跡です。 八幡山最頂部に本丸をもうけ二の丸、西の丸、北の丸、出丸が配置された一大要塞であったと推測されており、現在は石垣を残すのみとなっている。 ▲安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しました。 そのため俗に、村雲御所と呼ばれています。 のち、昭和36年(1961)に現在地に移されました。 日蓮宗では唯一の門跡寺院として格式が高いです。 ▲門跡(もんぜき、もんせき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。 だから、賽銭箱にも菊のご紋が。 ▲遅いかもしれないと思っていたけれど、まだまだ美しい紅葉に出会えた。▼ ▲誰が、何のため作ったのか? 誰の許しを得たのか? こういうモニュメントを見るといつもそんなことを思う。 八幡山からロープウェイで約4分で下山。 飛び出し坊やは、滋賀県八日市市社会福祉協議会(現・東近江市社会福祉協議会)の発案によって、1973年6月に地元の看板製作会社「久田工芸」で男の子型と女の子型の11体の飛び出し人形が製作され、八日市市(現・東近江市)内に設置されたのが始まりとされる。 この日の宿は、国民休暇村・近江八幡で琵琶湖の畔にある。 ▲「美しい電飾」って私は、いらないけど・・・。 木がかわいそうだし、電気代がもったいない。 ▲エコ対策として、プラスティックのストローを麦わらにしていた。▼ ●11/24(木)●10134歩 ■滋賀・福井2泊3日:滋賀県・守山市:佐川美術館、ゲジゲジナンバー■ ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    

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