2024/05/02(木)01:43
あきない世伝金と銀・特別巻(下)・幾世の鈴
■あきない世伝金と銀・特別巻(下)・幾世の鈴■
★暖簾★
明和九年(一七七二年)、「行人坂の大火」の後の五鈴屋ゆかりのひとびとの物語。
八代目店主周助の暖簾を巡る迷いと決断を描く「暖簾」。
●明和九年の大火事・・・迷惑(語呂)
●大小柱暦ぃ 巻暦ぃ
値八文 八文なりぃ
暦売りの声。
●睦月十五日には小豆粥を炊くが火種は天神さんのとんどの火縄から。
●睦月二十日、大坂の商家では、正月に用いた塩ぶりの骨を大事に取りおいて、この日に大根に煮込んで汁物にして食す。
●路上にむしろを敷き、品物を並べて売る「乾(ほ)し見世」と呼ばれるものだった。
●数えきれないほどの紙鳶(いか:凧(たこ))が高さを競い合っている。
*凧はイカといわれていた。
★菊日和★
江戸に留まり、小間物商「菊栄」店主として新たな流行りを生みだすべく精進を重ねる菊栄の「菊日和」。
●暖簾と同じ承和色(そがいろ)の袢纏だ。
*承和色(そがいろ)は、菊の花の色のような少しくすんだ黄色のことです。
平安時代の承和じょうわ年間(八三四〜八四八)、時の帝“仁明天皇にんみょうてんのう”が黄色い菊を大変好まれたことにちなんだ色になります。
なお「そが」は「じょうわ」から転じた読み方であり、そのまま「じょうわいろ」と読むこともあります。
仁明天皇は京都に都を移した桓武天皇の孫に当たり、漢学・書・文学を収めた当代屈指の知識人でした。
また前述のとおり、ことのほか黄色い菊を愛でられ、宮中の随所にこの花を植え、衣装も黄色にしたと伝わっています。
●節季候(せきぞろ)ござれや、はぁ、節季候
めでたい、めでたい、節季候ござれや
割竹やササラを打ち鳴らす音とともに、門付芸の「節季候(せきぞろ)」の声が・・・(略)。
●櫛、元結、簪(かんざし)、笄(こうがい)、根掛・・・。(略)
★行合の空★
姉への嫉妬や憎しみに囚われ続ける結が、苦悩の果てに漸く辿り着く「行合の空」。
●播磨の国、赤穂郡の東野端、揖西(いっさい)との境。
*揖西(いっさい)は、今は、私が中学2年生から結婚するまで住んでいた、龍野市になっている。
●毎年、葉月十五日には、有年(うね)の宿場近くに市が立つ。
*有年(うね)も懐かしい地名。
JRに「有年」という駅がある。
●「昔はおはじきのこと、『細螺(きさご)弾きて呼んでましたなぁ。』
●大坂商家では、本名の一字に、丁稚は、「吉」、
手代は「七」、番頭は「助」を付けて呼ぶ習いがある。
★幾世の鈴★
還暦を迎えた幸が、九代目店主で夫の賢輔とともに、五鈴屋の暖簾をどう守り、その商道を後世にどう残すのかを熟考し、決意する「幾世の鈴」。
初代徳兵衛の創業から百年を越え、いざ、次の百年へ──。
●ほっこりぃ ほっこり
ほっこりぃ ほっこり
あれは蒸し芋売りか、(略)
*江戸は焼き芋、大坂は蒸し芋と「澪標料理帖」で知った。
●おかみは、内平野町の米屋や高麗橋の越後屋、今橋の鴻池(こうのいけ)、新難波の和泉やに金七万両、天満屋や小橋屋、加嶋屋、升屋などに金五万両という壮絶な指定高を言い渡した。
*ここにあるほとんどの店の名前は、名前を知っているので、今もある会社だと思う。
●大坂から京、鈴鹿峠を越えて、関の追分、津、そして伊勢街道へ。
常は五日、若ければ四日で行く旅(略)
●「のちの世に伝えるもの・・・世伝、というのは如何でしょうか」
「世伝・・・代々伝えていく、いう意味だすな」
それやったら、と賢輔は川面から天へと視線を移し、暫し考えたあと、幸を見た。
「『商い世伝』というのは、どやろか」
商い世伝、と繰り返し、幸は破顔する。
■あきない世伝金と銀(13)大海篇■
■あきない世伝金と銀:特別巻上・契り橋■
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