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臨床の現場より

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カテゴリ:医療行政
 フィクションとして読んでいただければ幸いです。

 とある地方では、昨今の医療崩壊のあおりを受けて、大学病院に残る若い医師が極端に減少する状態が数年続きました。この大学はこの県唯一の医学部を抱えており、これまで県内全域に医師を派遣し、地域医療を何とか曲がりなりにも成立させてきた中枢でしたが、無い袖はふれないとばかりに地域に派遣していた医師を引き上げ始めたのです。
 影響は、まず内科や外科のような大きな科よりも、皮膚科や眼科、耳鼻科といった、病院であっても比較的少人数で勤務をこなす診療科に顕れました。もともとこれらの科は、小規模の病院には非常勤のみで常勤医師がいないところも多かったのですが、地域の基幹病院にはその科ごとの難病を受け持つ常勤医師を置いており、これまででもいわば最後の砦であったのです。したがって、例えマイナーな科といえど勤務状況は過酷で、燃え尽きた医師は開業し、その後を大学病院からやや若い医師がきて穴を埋める、といった自転車操業を続けてきたのです。少しずつ年代の違う医師がオーバーラップすることで、何とか手術や検査上の特殊技術も継承されてきていました。
 ぎりぎりの状況に、政府の失策が大打撃を与えました。この県では大学病院全体でも数名の研修医しか残らず、勿論マイナー科には新人は来ません。医局から「開業を少しだけ待って欲しい」と引き止められていた出向先の医師がついに耐え切れなくなり、次々と勤務医を辞めて開業に踏み切り始めたのです。目一杯で診療していた他の施設の医師への負担は増大し、もともと開業志向では無かった医師まで勤務医の現場から逃げるためだけに開業し始めました。
 最後に踏ん張っていたのは本丸の大学病院で長く病棟医長をつとめた壮年の医師でした。県内の特殊疾患、手術を一手に引き受け、朝から晩まで働き、彼なしでは大学病院のその科自体が成り立たなくなるほどの高い技術と医療を提供し続けていました。小さな科には技術的に抜きん出たセンスを持った医師はなかなか入ってこないので、10年に一人くらいの割合でしか特殊な技術の高みまでは昇れません。後継者を待って、待って、待ち続けました。たった一人彼の目に適った女性医師が居ましたが、彼女は結婚、出産を期に開業してしまいました。
 ある日、彼の父が仕事を辞める意志を固めました。70歳を超えた父は開業医をしていましたが、そろそろ自分の時間を持ちたい時期になり、息子と相談したのです。
 彼自身、3人の子供を抱えており、おりしも一番下の娘は生まれたばかりでした。大学病院の体質はかわらず、薄給のままです。嫌気や家族への気持ちが使命感を上回りました。未練無く彼は大学を去ってゆきました。
 
 この県ではその後、例え大学病院であってもこの科の高度な手術と医療は提供できなくなりました。現在県内の特殊疾患は全て県外の病院に1時間かけて搬送されています。彼曰く、「自分の技術も医療も10年上の先輩から教わったものだ。身近に教師いてもこれだけの時間がかかる。この地域の病院医療が元のレベルまで戻るにはおそらく30年はかかるだろう」とのことでした。

 同じようなことが、明日はあなたの街に起きるかもしれません。いえ、もう起きている所もあるようです。現状を知らず、政治ゲームにうつつを抜かしているこの国の中枢の人たちは一体何をしているのか。現場の苦しみや悩みが、苛立ちと怒りに変わる日もそう遠くないと感じるのでした。



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最終更新日  2008.10.01 08:16:42
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