カテゴリ:掌編小説
学校という場所は、比較的平和な日本の中でもかなり安全だと思っていた。だが、学校でも殺傷事件が起こってからというもの、学校の安全神話は崩れ落ちた。だからこそ、学校はセキュリティの強化という対策をとって、今では安全性を取り戻そうとしている所だった。 平穏な休み時間。退屈な授業の後の一時の開放感を味わうために殆どの児童は外へと出てしまっている。校舎に残っているのは少数だった。『彼』もその一人。 その彼は、校舎を全力疾走していた。その後ろから迫り来る影があったからだ。『あいつ』に捕まってしまったら彼は終わってしまう。 だが、幾ら走っても子供の足では簡単に撒けない。校舎のどこかに隠れるという手もあったが、あいつもこの校舎を良く把握している。隠れてもいつかは見つかってしまうだろう。 校舎の中にいる人が少ないといっても、走っていれば何人かは見掛ける。しかし、あいつは彼以外には興味がないらしく、彼だけを狙って追い掛けてくる。今も振り向けば視界の中にあいつの姿があるはずだ。 「ケホッ」 走り続けていたからか軽い咳をして、自分の限界が近い事を知る。このまま走っていたら彼の方が先に力尽きるだろう。そうなったら後は簡単にあいつに捕らえられてしまう。どこかで少し休んで体力を回復させないと。 (でもどこに……?) 一時的にでも良いから、あいつに見つからない様な場所。でも、その前にあいつの視界から自分を消さなければならない。これ以上スピードは上がりそうにないから、どこかで曲がった時に隠れるしかない。 その時、丁度彼は学校のほぼ中央に位置する長いスロープに差し掛かっていた。確かスロープの下にあまり使われていない倉庫があったはずだ。そこなら多少は隠れられる。 そう決めると、残った力を振り絞ってスロープを駆け下りた。曲がった瞬間、あいつの視界から彼が消えた。その隙に彼は倉庫の扉へ向かっていた。 (開きますように……) 幸い、倉庫の鍵は掛かっていなかったようで、やや重い扉は開いた。彼は急いで中に入ると、音を立てないように扉を閉める。内側から鍵は掛けられないが、ここにいるとあいつに分からなければ大丈夫だ。 使われていないだけあって倉庫の中は埃がかなりあったが、今はそんな事を気にせずに倉庫の奥へと進む。奥には机や椅子が並べてあるので、入り口にいるよりも多少は見付かり難いだろう。 息を潜めていると、慌ただしい足音が一つ遠ざかって行った。取り敢えずは見付からなかったようだ。 「ゲホッゲホッ!」 一安心すると再び咳が込み上げてくる。舞った埃を吸わないように口に手を当てながら咳をしていると、やがて収まった。それから乱れた呼吸を整える。もう大丈夫。 先程は見付からなかったが、あいつもこの倉庫の事は知っている。もしこの倉庫に入って来られたら逃げ道が無いので、それこそ捕まるしか無くなる。 体力が回復したなら早くここから出た方が良いだろう。彼がそう考えて倉庫の出口へと向かおうとした時。何の前触れも無く倉庫の扉が開いた。 「……!」 あまりの事に咄嗟に隠れるとか、声を出す事すら出来ずに彼は硬直していた。逆光で入り口に立つ人の顔は分からないが、恐らくあいつだろう。 「見ーつけたっ♪」 あいつは余裕な声で勝利を宣言してから、彼の元へと歩いて行く。傍の椅子を振り回す等方法は色々あったが、彼はどれも出来なかった。ただ硬直したままあいつのもたらす終焉を受け入れるしかない。 あいつは自分の勝利が確定しているからか、意地の悪い笑みを浮かべている。あいつと彼との距離が縮まり、漸く彼はショックから立ち直った。それでも結末は変わらなかったが。 (来ないで。触らないで) 彼の願いとは裏腹にあいつの歩行スピードは変わらない。ならと、あいつを突き飛ばして逃げる事は出来ない。彼があいつに触れた瞬間に彼は終了されるのだ。 あいつの手が……この逃走劇にピリオドを打つ手が迫ってくる。 掴まれた肩に軽い痛みを感じ思わず非難の声を上げてしまう。 「あ、悪い悪い。しかしまぁ、意外に足が速いんだから」 あいつは素直に謝ってから、にやりと笑って手を離した。 「じゃ、次はお前が鬼な。……恨んで俺を狙わないでくれよ」 「……いや、一人をずっと狙うのは狡いでしょ」 彼の文句は確実にあいつの耳に入っている筈だが、あいつは返事をせずに倉庫を出ていってしまった。彼は服に付いた埃を払いながら立ち上がる。 さっきまでの自分はあいつに終わらされた。しかしこれからは新しく、自分があいつの立場になる。唯一の、『鬼』という立場に。 「いーち。にーい。さーん……」 やはり初めに狙うのは卑怯な事をしてくれたあいつだろう。 彼は倉庫の扉に背を向けて、あいつの終焉へのカウントダウンを始めた。
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最終更新日
2005/12/30 08:44:30 AM
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