カテゴリ:掌編小説
それは月の無い晩。空にはいつにも増して厚い雲が覆い被さり、星の光すらも届かない夜だった。何やら不吉な物を感じる様子だったが、彼のいる部屋からは窓が磨りガラスなのもあり外の様子を知る事は出来ない。その中で彼はいつものように快眠を貪っていた。 だが、草木も眠る牛三つ時。現在の二時頃に異変は生じる。 「あ……う……あそ」 誰かに身体を揺すられている。唐突に深い眠りにあった脳が微かに覚醒し、耳から入ってくる声を認識した。先程から何度も繰り返されているであろう言葉を。 「遊ぼう」 「……はぁ!?」 場違いな言葉を掛けられて、取り敢えず彼は話し掛ける相手が誰かを確認しようとした。人の安眠を妨害した罪は重いのだ。懲役五百年を言い渡す……。 まだやや寝ぼけた頭を覚ますために、何度か目を擦る。次第に闇に慣れた目が映したのはいつもの見慣れた彼の部屋だった。場違いではあってもどうやら自分が他人の部屋で眠った訳では無さそうだ。 そこまで考えて、自分の眠りを妨害した罪人を思い出した。その姿を探そうと天井に向けていた視線を真横に移動させると、直ぐに犯人が見つかった。まだ幼き子供。 うちに子供なんていたっけ? という思考が現れるより前に、子供が再び言葉を発する。 「遊ぼう」 再びその声を聞き、完全に覚めた頭で見ればその子の奇妙さに気づいた。彼の部屋に見知らぬ子供がいる事自体が奇妙だが、この闇の中で子供の身体はしっかりと見えていた。つまり、ぼんやりとした光を放っている。 「遊ぼう」 「……良い子はおねむの時間だ。俺は眠るから一人で遊んでいなさい」 幽霊か何かか。取り敢えず関わらない方が良いと考えた彼は、現実逃避をしながら布団へと潜り込み、再び眠りの世界に入ろうとした。その態度に子供はご立腹になったのか、えぃという声と共に指を鳴らす。と、同時に彼の身体が動かなくなった。心霊現象の十八番、金縛りだ。 「じゃー一人で遊ぼうっと。まずはお医者さんごっこね」 子供の楽しそうな声にふと嫌な予感を感じ目を開くと、視界の中に両手に包丁を持った子供が現れた。お医者さんはお医者さんでも、執刀医だったようだ。 (って、俺は患者ですかっ!) 彼の慌てる顔を見て、子供は満面の笑みを浮かべる。包丁を持ち直してから、オペ開始の宣言をした。 「まずは、お腹の中を出します」 どこも悪くないのに手術の必要はないんじゃ。包丁なんかでやったら内臓が修復不可能になるんじゃ。麻酔も無しでやるんですか。何より、貴方医師免許持ってますか。 色々と突っ込み所はあったが、彼はそのどれも口に出さなかった。既に子供がにこやかに包丁を腹部に近づけつつある。 「ストップ、ストップ! 待った待った!」 幸いにも、金縛りで声まで封じられてなかったらしく、多少掠れてはいたものの制止の声は問題なく出た。その声に、刃先をギリギリまで近づけた子供の動きが止まる。 「分かった。遊んでやるから、お医者さんごっこ以外のにしよう」 「わぁーい」 必死の要求を受け入れたのか、子供は包丁を床に放り投げた。直後に響いた重い音に冷や汗を流す。額の汗を手で拭こうとして、身体が動くようになっている事に気づく。金縛りを解かれた様だ。 「じゃぁ飯事ね」 それ位なら良いだろう。しかし飯事の道具なんてあったっけ……? 危険な遊びではなさそうだと安心してベッドに腰掛けると、どこから取り出したのかテーブルが現れていた。その上には材料と調理器具が完備されている。 「今から、ご飯を作るからね」 「はーい」 どうやら彼は子供役の様である。包丁を握りしめる子供に恐怖を覚えつつ、しかしそれが自分に振り下ろされる事は無かった。代わりに、ドスッという音と共にまな板の上にあった鶏肉が綺麗に切断されている。つい先程、その包丁で腹を抉られそうになっていた事は思い出さないようにしておく。 子供はそのまま鶏肉を包丁で切り続け、ペースト状になった所で鍋に放り込んだ。そして次の野菜も同じ様に滅多切りにする。それら全てが入った鍋に水を加え良く混ぜる。それに何か粉末を少々加える。 「はい。出来たよ」 コップに注がれ渡された『それ』は、どう見ても人間が飲む物ではない。火を通していない生肉を口にする気も起きず、彼は賢明にも口を付けた振りをする。が、子供はそれを見逃しはしなかった。 「飲んでないでしょ」 包丁片手ににこやかに脅され、彼は恐る恐る液体を少し含む。肉の血生臭さとは他に舌がピリピリとするのを感じて、思わずコップに液体を戻した。だが子供はそれを咎めようともせずに笑っている。頻りに舌の刺激感を気にしている彼に、子供は感想を求めた。 「美味しいでしょ」 「まぁね……」 嘘でもそう答えないと何をされるか分かった物ではない。だが、どうやら遅かったようだ。 「そうでしょ。隠し味にトリカブトを入れたから」 サラッと毒物の名前を出され、背筋が凍り付く。全部飲み干していたら致死量だっただろう。いや、あの一口でも無事かどうか分からない。さっきの事といい、殺そうとしているのだろうか。 これ以上何を食わされるのかと心配を始めた彼に、しかしながら飯事はこれで終わりにするようで、鍋やら残った食材はいつの間にか消えていた。だが、まな板と包丁はまだ残っている。 かと思うと、子供は再び両手に包丁を持っている。テーブルに残されたのは包丁一丁とまな板のみ。この状況から子供が次に何を言い出すかが容易に読めてしまうが、彼はその推測が間違っている事を願うしかなかった。が、 「次はチャンバラね」 やはり結果はこうなるようであった。確かに子供が好きそうな遊びだが、刃物を振り回すのは止めた方が良いんじゃ。と、彼が言葉にする前に子供が突っ込んでくる。 子供よりも一応勝る運動神経で何とか一撃目は回避したものの、二撃目は彼の左腕を掠った。綺麗に一本の赤い直線が引かれる。 「ちょっと待った」 「待った無し」 「まだ俺は包丁持ってないってっ!」 そう叫びながら彼は包丁と、盾代わりにまな板を手にした。無いよりはましだと言い聞かせながら、子供の攻撃をまな板で受けようとする。右手の包丁は軌道上に置いたまな板に弾かれるが、その隙に左手の包丁で右手を浅く切られる。 痛みを無視して、彼は子供を蹴り飛ばして間合いを取った。霊体に物理攻撃は効かないと、ちらりと頭を掠めたがその様な事はなかったようだ。子供は蹴飛ばされて床を転がったが、大したダメージも無いようで直ぐに起きあがっている。 とにかく、何とか隙をついて子供の動きを止めなければならない。そうしないと逃げようとしている間に金縛りを使われるのがオチだ。 (だったら) 今度は彼から攻撃を仕掛ける。右手に持った包丁を子供に向かって投げつけたのだ。それと同時に彼自身も子供に向かって行く。子供が投げられた包丁を避けた隙に、まな板で身体を守りながら彼は子供に体当たりをした。 当然体重の軽い子供が負け、彼がさっきまで寝ていたベッドに背中から着地した。彼はまな板を捨て、布団で子供を包み込む。そのまま体重を掛けて押さえ込む。 「布団蒸しだっ!」 季節が冬で、布団が厚い事をありがたいと思った。流石の包丁も布団を貫いてくる様子は無い。だが、布団の下で暴れているのは伝わってくる。 しかし、彼はそのまま窒息させるつもりは無かった。そもそも幽霊に窒息があるのかも謎だが、逃げる事が先なのである。 一気に力を込めて布団を潰すと、彼は即座にドアへと走った。子供が立ち直る前に外へ出れば何とかなる。子供も外で騒ぐのは嫌うはずだ。彼の手がドアノブに触れる。 「……どこに行くの」 絶対零度の声が彼の背中を突き刺し、彼の動きを封じた。声の主は分かっていても思わず振り返ろうとするが、金縛りは微動すらも許さない。 微かな足音を立てて子供が近づいてくるのが嫌でも分かる。その手には恐らく包丁が握られているという事も。 「まだ僕は遊び足りないんだけど」 首筋に固く冷たい何かを感じる。子供の背では彼の首には届かないだろうが、それでも包丁を突き付けているのはあの子供だという実感があった。もの凄い危機に陥っているという自覚も。 子供が彼の正面に回って来るが、包丁はそのまま首筋に残っている。もう一つの包丁を持って、子供が冷たい微笑みを浮かべる。 「初め通り、お医者さんごっこにしようか。お魚屋さんでも良いよ」 「…………」 彼がその問いに答えられるはずもない。どちらにせよ、自分が『解体』されるのは容易に想像が付く。それにしてもこの子供は職業を誤って覚えているようである。このこの親はどの様な教育を施したのだろうか。 「答えないの? お魚屋さんにするよ」 無駄な事を考えて返事が無い彼の代わりに、子供は自分で答えを決めたようだ。それに合わせて首筋の包丁がゆっくりと動き出す。包丁は彼の首を切断しようと鋸のような運動を繰り返している。 「綺麗に三枚に下ろしてあげるからね」 じわじわと皮が切られているのが分かってしまう。激痛ではないものの長々と続く呪いにも似た苦痛から逃れようと、一思いでやってくれ等と叫びたくなるが、それならそれでその瞬間に死が決定してしまう。 声も出ない彼の首を包丁が機械的に切り進む。直に頸動脈へと到達したら、これまでとは比較にならない程の出血があるだろう。そうしたら……。 「……と、思ったけど時間切れ」 不意に残念そうな声が聞こえたかと思うと、包丁が離れて子供の手に収まった。どうやらまだ死んでいないようである。大出血を起こしているわけでもなく、直に止まるだろう。 「じゃぁ、また遊びに来るからね」 死の淵を覗き込んだ衝撃で彼はその声を聞いても動けなかった。子供が目の前から消えた後で、まだ金縛りが残っているかのようなぎこちない動きで時計を見る。 ――二時半。 ……まだ眠れる。彼は今までの体験を夢だと思い込む事にして、再び布団の中へと潜り込んだ。布団に穴が空いているが、それも気にしない。きっと幻だ。 精神にダメージを残したまま、彼は眠りの世界に逃げ込んだ。 次の日。彼が安眠を貪っている牛三つ時。 「また、遊ぼう」 ……彼の受難は続く。
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最終更新日
2006/01/01 09:07:31 PM
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