2012/01/26(木)23:01
かけがえのない「ふたり」続編
さて、かけがえのない「ふたり」の関係の続編。
私の場合のそんな「ふたり」は、まずはわが娘のこと。
「お父さん、大好き」と言え! 「大好き!」
これが父親と娘が会うたびに交わす合言葉だった。
銅版画 「遠い日」
嫁いだ娘が父親の言うことを、まだ何でも聞いていた頃のこと。
倉敷市玉島の港に月が隠れて満潮の夜だった。
港の石垣にへばりついたような小屋に灯りがともる。
「あっ!今夜は居る!」
灯りを見つけたら一目散、家に帰って娘たちとかけつけた。
娘も息子も6年間、1年360日、毎日、剣道を励んでいた。
寒風吹き抜ける体育館で母親たちはじっと見守らねばならない。
見ているよりした方がいいと始めたかみさんもいつしか剣道2段。
先生と母親の厳しく優しい薫陶を受けて、娘はすくすくと育った。
港の小屋には会社を退職したおじさんとおばさんが待っていた。
「こんばんわ」 「やあ、きたか。ほらたくさん来てるよ。」
ひたひたと押し寄せる満潮の海に、四つ手網が下ろされる。
裸電球が光っている網の上を、夜光虫のように輝く生き物が数匹。
「ほら、いまだ!」 子供たちが歓声をあげて網を引き上げる。
やしの殻を割ったひしゃくで網を叩くと、それがひしゃくに入る。
6,7cmほどの小さなベイカと言う烏賊。
ベイカは捕らえられるとすぐに死ぬので、踊り食いは、
岡山の料亭でもでない珍味とおじいさんは言っていた。
持参した一升瓶の黄桜を片手に、子供に目を細めるおじさん。
酒の美味しさは銘柄ではなく、人と場所で決まるとか。
生きたまま、醤油をかけて喉に入れると、とろけるようだった。
絵は、その玉島港を見下ろす良寛が住んでいた丘の上。
息子は剣道少年団の主将、いつも母と水戸や群馬の大会へ、
娘と父親はお留守番という日には、よくこの丘に登った。
絵を描いている間、お転婆娘はいつも草スキー。
ダンボールの紙を尻に敷き、笑い転げながら、
、
何回も、何回も、転げ落ちていった。
「幸せを 絵に描きしか 春の野辺」
続く。
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