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東日本大震災が発生してちょうど2カ月。
昨年から今年の5月に妹の住む岩手へ行こうと計画していたのだが、震災が発生して少し躊躇していたのだった。 妹や親類は全員無事を確認し、妹とは震災前より電話で話す機会が増えたのだが・・・やはり、顔を見たい・姪達の元気な姿を見たいと思いGW明けに休みを確保して岩手旅をする事にした。 出発したのは10日の夜。 「GW後、いつでもいいから3連休」と通常2日しかシフト希望出来ないのにsoraの希望をかなえてくれた上司はきっと連休初日が震災発生後2ヶ月目だなんて気にも留めていなかっただろう。 10日の夜、東北自動車道を柴ズと共に北上開始。 いつもと変わらないように思えた東北道だったのは最初のSA・蓮田までだった。 蓮田SAでは「何かが違う」と漠然に感じていたのだが・・・佐野SAを目指しているといつもの平日より車が多い事に気付く。そして、北上すればするほどSA・PAの出口に停車している大型車が目立つ。 那須SAを過ぎてから異変を目の当たりにした。 規制掲示板に表示されていたのは「白河ー本宮 地震80キロ規制」の文字。 初めて規制掲示板で見る地震という文字。この文字が仙台、盛岡まで表示されていた。 福島県に入ると車体が上下に揺れる事に気付く。路面が隆起か沈下して小さな凹凸があるのだった。 高架橋のつなぎ目は復旧工事された跡があり、余震で崩れたと言われている路肩には土嚢が積んであった。 深夜の国見SAに立ち寄ると、数年前夜間は営業していなかったフードコーナーが営業していた。 その一角に旅の思いを記入できるノートが置いてあった。 表紙には「がんばろう!日本! がんばろう!東北!」と書かれ、あるノートには立寄った方が書いたと思われる「がんばれ!福島!」の文字があった。 ノートにはボランティアに行かれる方や被災された実家に帰る方、観光に行く人帰って来た人など沢山の方が記入されていてスタッフの方が赤ペンで返事を書かれていた。 全てがあの大地震の爪跡であって、一日も早く復興を願い動いている人々の光景なのだと思った。 被災地の方を始め、復興工事にかかわっている方々は頑張っていると思う。 頑張っている人たちにこれ以上「がんばれ」とは言えなくなった。 一歩一歩着実に復興に向かって進んでいる。皆頑張っている。 よそよそしい言葉かもしれないが、これからは・・・ 「応援してます!東北!」「元気になろう!東北!」 と言いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.24 23:41:15
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