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2006年05月20日
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日本漫画全史抄

1.手塚以前

漫画という言葉には、中国語の「漫筆」からという説と、「漫画(まんかく)」という名のヘラサギの一種である鳥の名から「種々の事物を漁る」意になったという説がある。いずれも元は文章に対しての用語であり、それが絵の意味に転じたとされる。

また『北斎漫画』における「漫画」という語には「戯画的な絵」「絵による随筆」という意味が強かった。明治になり、今泉一瓢(いっぴょう)によって caricature の訳語として「漫画」をあてたのが現代に通じる呼び名の始まりである。

日本最古の漫画には、天平一七年(745)「写経受紙張断簡」がある。平安時代には「あて絵」、「嗚呼絵」などの諷刺画があった。鎌倉時代になると、仏画が派生した六道絵の『餓鬼草子』や『大江山絵詞』、『百鬼夜行図絵』があった。

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平安時代後期から鎌倉時代に成立した、「嗚呼絵」や戯絵風の鳥羽僧正覚猷著『鳥獣人物戯画』は日本漫画の古典である。

他にも絵巻物には漫画的な表現がみられる。『福富草子』という主人公が屁芸で成功する話では、噴出しの先祖とも言うべき、直接台詞が人物の横に書かれていたり、『信貴山縁起絵巻』では一枚絵で場面転換をしており、現代の漫画に繋がる要素を含んでいる。

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江戸中期から後期になると、「鳥羽絵」「おばけ絵」が流行した。葛飾北斎は戯画『北斎漫画』を書いた。この中には鼻息を表す線が描かれるなど、現代で言う「漫符」の古い形が既に見られる。社会諷刺した作品が多く、地震をなまずに似せて描く「鯰絵」が200種以上出回った。その他にも「文字絵」「鞘絵」「もぬけ絵」「道化絵」「あわて絵」「おこ絵」「変わり絵」「鳥羽絵」「大津絵」があった。また、歌川広重、幕末の歌川国芳ら多くの浮世絵師たちが戯画を描いた。

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「黄表紙」の『金々先生栄花夢』では夢を見る場面にフキダシが使われる等、現代の漫画に通じる技法が既にあった。

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十返舎一九は当初一人で絵と話を作ったが、次第に原作者に専念するなど、現代漫画における原作者と作画家においての関係を思わせる。

江戸時代末期の1862年に、日本初の外字雑誌にして漫画雑誌の『ジャパン・パンチ』が英国人チャールズ・ワーグマンによって横浜居留地で発行された。彫師・摺師は日本人で、和紙に印刷された和綴じの本であった。ここから「ポンチ絵」という風刺または寓話的漫画を意味する語が生まれた。イギリスの風刺漫画雑誌『パンチ』が語源であるという別の説もある。1874年には河鍋暁斎と仮名垣魯文がこれを参考に『絵新聞日本地』という雑誌を刊行。後に続き『寄笑新聞』が、さらに1877年には明治時代を代表する漫画誌『團團珍聞(まるまるちんぶん)』が誕生した。

日本最初の連載漫画は、『團團珍聞』連載の田口米作『江の島鎌倉長短旅行』(1896年)である。「長」と「短」と名付けられた主人公二人組による観光旅行を描いたこの作品は、特定のキャラクターによる一貫したストーリーを描いた最初の漫画であった。

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明治末期から昭和戦前期にかけて、ワーグマンやジョルジュ・ビゴー等の海外漫画の影響を受けた北澤楽天は、福沢諭吉の紹介により1899年に時事新報に入社し、『田吾作と杢兵衛』や『灰殻木戸郎』などの風刺漫画の傑作を次々と生み出した。更に1905年には全ページ漫画の多色刷りの雑誌『東京パック』を創刊するなど、日本における風刺漫画の発展に大きく貢献した。また、1921年には日本最初の新聞日曜版漫画である『時事新報日曜付録・時事漫画』を創刊した。楽天が1928年から『時事漫画』で連載した『とんだはね子』は、日本で最初の少女を主人公とした連載漫画であり、少女漫画の先駆的作品である。北沢楽天は「漫画師」と自称し、漫画という言葉を普及させようとする。

日本最初の長編のストーリー漫画は、東京朝日新聞連載の岡本一平「人の一生」といわれている。大正14年から休載しながらではあるが、昭和4年まで続く大長編となった。それまでは専ら風刺の手段と見なされていた漫画が、大衆娯楽として認識されていく過程において、岡本の活動は大きな役割を果たした。
岡本一平は、1915年に日本初の漫画家団体である東京漫画会(後の日本漫画会)を設立した。翌年に創刊された同会の同人誌『トバエ』により、ドイツの漫画誌『シンプリチシムス』などに触発された簡素な描線やデフォルメされた画風が日本漫画に取り入れられた。岡本一平も当初は、「漫画子」、その後「漫画家」と称し、「漫画」という言葉の普及に積極的にかかわった。

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1923年に執筆された織田小星作・樺島勝一画『正チャンとリス』や、麻生豊『ノンキナトウサン』以降から、現代漫画に通じるコマ割りやフキダシといった表現手法が定着し始める。

1932年には、近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄らの若手漫画家により、新漫画派集団が結成された。

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1930年代には、講談社の『少年倶楽部』他の子供雑誌で連載された田河水泡『のらくろ』中島菊夫『日の丸旗之助』島田啓三『冒険ダン吉』『タンクタンクロー』などの子供向けの人気漫画が単行本化され、ベストセラーとなった。

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宍戸左行『スピード太郎』は、手塚以前に映画的手法を取り入れたストーリー漫画の先駆といわれる。視点の変化、クローズアップ、ロングショットなど。例えば、太郎を高所に吊り上げているロープを悪党が切ろうとするシーンでは、吊り上げられた太郎とその下の地面を俯瞰で描いたあと、下からロングショットで太郎を小さく描いて、高所の恐怖感を煽る。そして、ピンと張ったロープに悪党のナイフが当てられている様子をクローズアップで描き、緊迫感を出している。1930年12月に読売新聞の日曜版の付録『読売サンデー漫画』で連載開始、途中で『よみうり少年新聞』に移り、1934年2月に連載終了。全113ページであった。

これらの新聞や雑誌で連載された主流漫画とは別に、駄菓子屋やおもちゃ屋の店頭で販売される2~3色刷りの薄い漫画本が存在した。これらの安価で粗雑な漫画本は赤インクの多用から、赤本と呼ばれた。これらの赤本では、初期の芳賀まさをや阪本牙城といった作家が原稿を描いていた。

第二次世界大戦に参戦すると、情報局による言論規制や用紙不足により自由に漫画がかけない時期が到来し、日本の漫画産業は一時期衰退を余儀なくされた。

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最終更新日  2006年05月21日 14時01分55秒
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