復讐を正当化してはならない?
1966年外国映画興行成績です。 金額は配給収入。 1位 「007サンダーボール作戦」 10億1857万円 2位 「メリー・ポピンズ」 4億2900万 3位 「バルジ大作戦」 3億9134万 4位 「グレート・レース」 3億2791万 5位 「戦争と平和(第一部)」 2億7300万 6位 「ネバダ・スミス」 2億955万 7位 「テレマークの要塞」 1億8695万 8位 「ドクトル・ジバゴ」 1億6900万 9位 「巨大なる戦場」 1億5224万 10位 「砦の29人」 1億3926万円 第6位の「ネバダ・スミス」(1966)。日本公開は1966年7月で、私が見たのはリバイバル上映された1972年の1月でした。 監督ヘンリー・ハサウェイ、撮影ルシアン・バラード、音楽アルフレッド・ニューマン。 出演はスティーブ・マックイーン、ブライアン・キース、カール・マルデン。 スザンヌ・プレシェットさんやジャネット・マーゴリンさんが出ています。「復讐」について書こうと思ったのですが、アメリカの西部劇で「復讐」をテーマにした作品として真っ先に思い出すのはこの「ネバダ・スミス」です。 主人公マックス・サンド(スティーブ・マックイーン)の両親が3人組の悪党に惨殺される。 父親が殺され、母親は身体を切り刻まれて殺される。マックスは遺体とともに家を焼き、仇討ちの旅に出ます。旅の途中で出会った鉄砲鍛冶職人ジョナス・コード(ブライアン・キース)から銃の扱いと心得を教わります。そして3人組の1人(マーティン・ランドー)をナイフでの戦いの末に倒すのですが、みずからも傷を負ってインディアンの女の子(ジャネット・マーゴリン)に手厚く介抱される。2人目(アーサー・ケネディ)が刑務所にいると知ったマックスは自分も刑務所に入って、いっしょに脱獄すると見せかけて仇討ち。そしてついに3人目(カール・マルデン)を追い詰めるのですが。 この3人目との対決のクライマックスですが、これが問題です。両足を撃ち抜いただけで、なぜトドメを刺さずに復讐をそこでやめてしまったのか? 2人目を自分も刑務所に入ってまで追った執念はどうしたのか? 復讐を最後までやり遂げずに途中でやめる、というのが「アメリカ映画」なんですね。 アメリカ映画には、かつて「映画製作倫理規定(ヘイズ・コード)」なるものがありました。 1930年に、おもにギャング映画に対する牽制を目的として、映画製作倫理規定(プロダクション・コード、ヘイズ・コード)が公表され、1934年にカトリック団体などからの圧力により、さらなる厳格な運用が要求され、その結果、PCA(映画製作倫理規定管理局)が発足。 1966年には改訂がおこなわれるのですが、1968年になって時代に適さないとのことで廃止されます。 1968年の廃止以降は観客の年齢による入場制限(レイティング・システム)へ移行し、現在に至っています。「映画製作倫理規定」の一部分を抜粋しますと、以下の通りです。1.観客の道徳水準を低下させる映画は、これを製作してはならない。 それゆえ観客を犯罪、悪事、邪悪もしくは罪悪に対して共感させてはならない。2.劇や娯楽の要請の範囲内で、人生の正しい規範が示されなければならない。3.自然法,実定法を問わず、法が軽んじられてはならない。 また法を犯すことについて観客の共感を得てはならない。I 違法行為 法や正義をさしおいて犯罪に共感させたり、摸倣したくなる気持ちを観客に起こさせるようなやりかたで犯罪を示してはならない。 一、殺人 (a)殺人の方法は、模倣願望を誘発しないやりかたで示さなければならない。 (b)残忍な殺人を詳細に示してはならない。 (c)現代における復讐を正当化してはならない。 二、犯罪の方法を明確に示してはならない。 (a)窃盗、.強盗、金庫破り、および列車、鉱山、建物などの爆破は、 その方法を詳細に示してはならない。 (b)放火も同様の配慮が必要である。 (c)小火器の使用は、必要最低限度にとどめなければならない。 (d)密輸の方法は、これを示してはならない。 要するに、基本的には「映画は人生の正しい規範を示すべきであり、観客を犯罪や不道徳なことに共感させてはならない」ということです。 そして「復讐の正当化」は、この「観客を犯罪や不道徳なことに共感させてはならない」に反することであり、人生の正しい規範を示すことにも反することなんですね。 長くなるので、つづく。