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田中およよNo2の「なんだかなー」日記

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2006年11月30日
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カテゴリ:硬派
村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を第1部第2部第3部通して読んだ。
通して読むのは久し振りで、多分2、3回目だったと思う。
長いから読みきれるかなって思ったけど、1週間で読めた。
たまには長い通勤電車にも感謝しなければなるまい。

こんなに面白かったんだっていうのがまずの感想。
次に、確かに、僕らは人の抱える地獄とかって、理解できていない場合があるよなって、思った。
その理解できなさをなにかで、僕たちは埋めているんだろうなとも。

一番初めに読んだ時は、カワハギの拷問のシーンがすごく印象に残ったり、笠原メイさんはちょっと魅力的だなぁとか、思った。
ただ、よっぽど、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のほうがおもしれえや、ってのからすると、進歩だ。
僕も成長したのかなぁ~。

凄く、各々のエピソードのつながりらしきものには、都度、主人公の独白で解説を入れているし、親切に作っている。
面白い。

でも、何が面白いのかってちゃんと説明したり、書こうとするのだけど上手くいかない。
何年かかかるのかな、とも思うし、村上春樹さんが言うとおり言葉にできなくても、読者になにか届けばいいのだし、ね。
ウンチクをささげるよりも、飲み込まないといけないのかなって、思う。
物語として。

あらすじとしては、主人公のオカダトオルから、妻のクミコが消えてあちら側の世界に行っている。
そして、あちら側の世界はクミコの兄の綿谷ノボルがそれに関連していて、特殊な方法で戦いを挑むっていうのが、話の筋。
そこに色んな奇妙な人が絡んできて、いろんな人の視点や、考え方があって、そして、物語があった。
(詳細なあらすじなら、こちらを参照下さいね)

ただ、しょーこりもない僕はこの小説を考えるとっかかりとして「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と比べてみたい。

改めて説明すると「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」っていう二つの世界が進行する、村上春樹さんの中期(といっていいのかな)の小説である。
どちらかというと「世界の終り」がリアルな現実で、「ハードボイルド・ワンダーランド」は非現実で象徴的な世界だ。
そして、二つの世界に直接のつながりはない。
シャフリングシステム、一角獣、図書館の女の子。
そういった、名前がつけられたアイテムでつながりがほのめかされているだけだ。
(あらすじはこちら

だから、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を乱雑に定義すれば、こう言えるんじゃないだろうか。

「二つの世界を言葉を持ったモノやコトで繋げるだけの不完全な描写で、そもそも不完全である心を、完全に描いている」と。
(ホント、乱雑なのですが)

一方、「ねじまき鳥クロニクル」にも多くの世界がある。
僕が綿谷ノボルと現実に生きている世界や、間宮中尉のノモンハンと捕虜の世界、動物園での虐殺の話や、言葉をなくした子供の話、そして、電話の向こうの誰かが僕を呼んでいる壁の向こうの世界。
それらが延々と、名前がつけられたアイテムではなく、おのおのの物語の内容での繋がりを持たせている。
例えば、現実に生きている世界での綿谷ノボルと、ノモンハンでの皮剥ぎボリスの権力の握り方や、一皮向いた下に隠れている暴力性なんかはとても似ている。

でも、結局、何が現実にあったかはわからない。
また、なにが現実になかったかもしれないのかも。
あるいは、何が起こるべきであったのかもわからない。

「こちら」と「あちら」で主に二つに世界は分かれてるけど、なんだか、それら全部が「あった世界」、「あったかもしれない世界」、「ありうべき世界」とかいったようにも分けられるように思う。

これらが、「ねじまき鳥クロニクル」では何重にも渡って語られる。
これらの各々の世界がシナモンや、ナツメグ、そして主人公のオカダさんを通じて語られ、また、オカダさんは「あった世界」で井戸に降りるのだ。
この世界の繋がりを埋めるのに、様々な物語やエピソードが組み立てられている。

きっと、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のやり方であれば、物語(お話ってことです)のダイナミズムではなくて、モノに名前とつけてそれだけで終わっていると思う。
きっと、バットと井戸だけで世界を行き来して、バットや、井戸に関わる一つ一つのエピソードはないはずだ。

「ねじまき鳥クロニクル」のラストは主人公があったかもしれない世界で行動することで、ありうべき物語に近い未来を引き寄せて終わる。
勿論、クミコが戻ってきたわけではないから、ありうべき物語に現実にあった世界になったわけではないけれども。
少なくとも、正義とか、言葉とかの下に隠れてうごめいている、人を汚す邪悪な力はひとまず息を止める。
不吉な予感を残しはするものの。

つまり、「ねじまき鳥クロニクル」を乱暴に断言すると、こうなるのではないか。

「多くの世界の間の不完全さは物語という形で埋めることができるのだ。さらに、ある種の物語は現実を変えうる力を持つことさえあるのだ」と。

また、逆に物語っていうのは神話の時代から人間はどうやって生まれたのかなどの、わからないことに回答を暫定的に与える役割をしてきた。
嘘っぱちともいえるけど、それって、人間の想像力の凄さの一つだよね。
村上春樹さんが世界で読まれているのは、もの物語を集団じゃなくって、個人の深い井戸のレベルで小説として書いてることだろう。
ややこしく言うと。

さて、評論家からは「ねじまき鳥クロニクル」は村上春樹さんがデタッチメントからコミットメントに変わった作品だと評価されている。
それまでの村上春樹さんの作品は描写できないものは、描写できないんだってクールな割り切りがあったけど、「ねじまき鳥クロニクル」では描写できないものでも、起こるべきであったり、あったかもしれない物語として描いてやるんだって、僕は思う。

でも、評価が確定した作家なのに、新しいやり方に挑戦する意欲って本当にすごいと思う。
この意欲が、村上春樹さんが自分で自分のモノマネをしない小説家にしてるんだろうな。

ちょっと、また、長くコムズカシクなってしまった。

でも、ほんとーに面白いから。
僕だったら一つ一つのエピソードを独立して短編にさせたいくらい。
人が生きることとか、一瞬で意味がわかるってどういうことかなって、疑問も浮ぶ。

読了後、まっくろな中のうにうにしたものが、僕の心にはりついて、しばらく離さないようだ。
数年後、この小説が僕の考えに及ぼした影響がわかる日がくるのかな。

そういえば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を初めて読んだ時はただ、凄さに圧倒されて謎を解こうとしていた。
最近読み返すとなぜか、泣いてしまった。
泣くような小説とは思えなかったんだけどな。

「ねじまき鳥クロニクル」もそんな、成長に合わせて僕のゆりうごかされ方も違う小説なのだろうかな。
涙は流さなくても、飲み込んだ僕はなにかに気がついていれば、いいのだけど。

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最終更新日  2006年11月30日 01時16分13秒
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