2019/12/29(日)16:48
岡崎宿~池鯉鮒宿(その4)、誓願寺から安城市へ
誓願寺から一路、旧東海道を進み池鯉鮒宿へ向かう。
岡崎宿の名物はほかに、奥の山で産する御影石(花崗岩)を利用した石製品のほかに
鍛冶物、八丁味噌や三河木綿などが名産品。三河木綿は16世紀はじめには京と奈良
に出荷されていたが、家康が江戸に入国すると江戸へ販路を拡大した。これらの産物
は矢作川の舟運により出荷された。城下町、宿場町そして湊町として岡崎は栄えた。
10/16(水) 8:50
旧東海道の右側に「竊樹(ひそこ)神社」
所在地:愛知県岡崎市矢作町字祇園106
境内には遊具がある
街中の小さな神社である
8:53
旧街道を進むと左側に「真宗大谷派 福万寺」の看板
所在地:愛知県岡崎市矢作町西河原12-2
国道1号線と旧東海道の間に位置する寺院である
中興之祖碑
吉田英生・澄子夫妻は共に福万寺門徒として崇敬の念厚く、
本堂修復をはじめ納骨堂建立・内陣仏具の整備等々の御寄進
を賜り、寺門の興隆に誠にご尽力いただきました。
依って茲に開基同様、中興之祖として記念の碑を建て後世に
その御功績を伝え、世世に法要を勤修致します。
平成22年 福万寺住職 戸松憲仁
本堂と手前に太子堂
本堂の扁額「福萬寺」
8:55
国道1号線の安城街道入口交差点
交差点角に位置する「赤ちゃんデパート 水谷 岡崎店」
所在地:愛知県岡崎市矢作町西河原41-1
旧東海道はここで国道1号線と合流し西へ進む
ここまでの歩数は、9,600歩
9:05
国道1号線の下り線に位置する「暮戸教会」
所在地:愛知県岡崎市暮戸町霞野6
石柱は、暮戸教会と真宗大谷派とあるが
旧東海道(国道1号線)の暮戸東交差点
9:07
交通量の多い旧東海道(国道1号線)の暮戸交差点
県道26号線と交差しており、右折して豊田、左折して西尾へ
暮戸(くれど)交差点
9:16
暮戸交差点から国道1号線に沿って旧東海道を約1km進む
鹿乗橋東交差点
旧東海道(国道1号線)の鹿乗橋東(かのりばしひがし)交差点
所在地:愛知県岡崎市宇頭町井ノ上
交差点を進み小さな鹿乗川を渡る
9:20
江戸日本橋から331.3km地点
この先を左に入る
そこには「聖善寺」
所在地:愛知県岡崎市宇頭町東側40-1
門前にある「岡崎市指定文化財、聖善寺」
・木造孝養太子像 一躰
寄木造、太子16歳で、両手で柄香炉を持つ形をとる。首部背面に墨書の銘があ
り、慶長4年(1597)に再興したと記されている、かつてあった像が何かの故に
滅失して、新しく制作したと思われる。
・聖善寺のしだれ桜 一本
孝養太子像の制作とほぼ同時期、今から400年程前に植えられたものと察せら
れる老樹である
聖善寺の本堂
本 堂
岡崎市指定文化財、聖善寺
・木造孝養太子像 一躰
・聖善寺のしだれ桜 一本
ヒガンザクラの一種エドヒガンの枝垂れ品である。かつては胸高囲2.4m、高さ
10m、枝張り15mにも及び、枝先が山門まで届く程であったが、伊勢湾台風に
より主幹が折れて樹勢が衰えた
聖善寺
山門右側の広告版に『風車(かぜぐるま)風が吹くまで昼寝かな 広田弘毅』
広田弘毅とのこの寺との関係は?
9:22
聖善寺から旧東海道へ戻ると、対向車線の北側に位置する「薬王寺」
国道1号線の南側(下り線)から北側への地下道がある
9:24
山門があるが???
9:25
国道1号線の地下道を潜り北側(上り線)へ。
和志王山薬王寺
所在地:愛知県岡崎市宇頭北町1丁目2-3
和志王山薬王寺(わしおうざんやくおうじ)
奈良時代に創建されたと伝えられる由緒あるお寺です。ご本尊の薬師瑠璃光如来は、
17年に一度御開帳される秘仏として本堂に納められています。
この寺に伝わる薬師如来縁起によると、尊像は、和銅年間(708~715、奈良時代初)
に、(現在の宇頭南町にあった)神の御手洗御立笠取の池から光を放ってこの世に現れ
になった。この地に住んだ・・・・・・・・・・
三河国 薬王寺刀匠鍛刀造址の石碑。
この辺りに、室町後期の刀鍛冶集団の三河国薬王寺刀派の刀工が住んでいたという
薬王寺本堂
境内にある地蔵堂
本堂を東方向から
本堂の瓦には「和志王山」と
9:28
薬王寺を旧東海道(国道1号線)から振り返る
9:31
弥次さんが旧東海道からそれ北側の住宅街へ入いる。
荒子古墳
所在地:愛知県岡崎市宇頭北町1丁目6
住宅街の中に公園として残っており、草を刈り取り整備されていたが説明板がなく
幟は、ごみ出しに関しての注意勧告、看板は「防犯カメラ作動中」
そして住宅街を西へ向かい隣接する「北浦古墳&北裏古墳」
所在地:愛知県岡崎市宇頭北町2丁目13-11
矢作古墳群の一つで公園として整備している。
ここにも説明板がなく、石碑は「岡崎宇頭土地区画整理事業 完成記念」
9:36
大塚公園、午後には子供たちが来るのであろう
9:42
旧東海道(国道1号線)に戻り、数百メートル歩き安城市へ入る。
安城市は子どもの頃、地理で「日本の丁抹(デンマーク)」と教わった。大正時代末期
から昭和時代初期にかけて、安城を中心とした碧南部は、「日本の丁抹(デンマーク)」
と呼ばれた。当時世界的な農業国であったデンマークの名が冠せられたのは、単に農
業経営が多角的で教育・指導期間が充実し、組合組織が発達していたこと等、農業の
あり方が先進的であったことだけではありませんでした。
安城市歴史博物館があり、碧南部の人々が農業・農村振興にどう取り組んだかを、デ
ンマークの農業と共に紹介している
国道1号線の尾崎東交差点。
旧東海道はここを右方向に直進して「尾崎の松並木」へ進む
愛知トヨタ自動車株式会社 宇頭営業所 太陽光発電システム
太陽電池モジュール40枚(総面積 約38.5㎡ 8直列×5並列)
只今の発電電力:0.?KW、積算発電電力量:???KWH
9:44
旧東海道には松並木が立ち並ぶ
9:48
旧東海道を進むと下水道工事中
安城市のおすいマンホール。
デザインは安城市発祥の三河万歳の扇と桶胴太鼓(大締太鼓)
下水道工事を終えたエリア
岡崎宿から池鯉鮒宿へー続く