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テーマ:「女王の教室」(270)
カテゴリ:教育いろいろ
教育委員会の人、全然一癖なかったよ~
はずれだ~ しかも、真矢が倒れたのは、寝不足と栄養失調だった~ まあ、ここで不治の病だったりしたら逆につまんないからよかった。 なぜそんな状態になってしまったかというと、 可能な限りの、教育に必要な資料を集め、 実技を身に付け(防御とかけんかとか) 個人ファイルを作っていたからだった。 手にとられた個人ファイルの厚さ。 あれは、普段私が「クラス用」に使うファイルの3倍はあっただろう。 もちろん、いっぱいだったとは限らないけど、 それだけの資料を3月までにためるだけの意気込みは確かにあったのだ。 とても、かなわない。 はっきり言って、たいていのことは、 子供が帰った後、会議が一つでも入れば忘れてしまう。 毎日、全員のメモを取るには、その場で即、書かなくては時間がない。 でも、それを家で思い出してやっていたとしたら、 すごいことなのだ。 子供の資料の取り方はいろいろあって、 私が教えてもらっただけでも、4~5種類ある。 そのひとつは、座席表を作り、一日で全員分を埋めるというやり方。 1時間ではさすがに無理だから、一日の中で。 1週間でもいいと言う人がいる。 メモができなかった子を次の日、重点的に見ていく。 積み重ねていくと、長所短所や、得意不得意が見えてくる。 それでも、一人一文が精一杯なのに。 体罰はいけない。 体罰とは、児童生徒の身体、精神に苦痛を与えることだったと思う。 でも、罰がなかったら、善悪の判断のつかない子供たちは、 何を以ってそれを知るのだろう。 私は10年前に教職について、 世間知らずだと思っていた自分よりも、 3年生の子供はもっと世間を知らないのだと唖然として、 「善悪は洗脳するしかない」と思った。 体罰をしてはいけなかったら、教え込むしかない。 阿久津真矢は、洗脳と同時に体罰と差別を行った。 強烈である。 かつて、大手を振ってされていたことが禁止になって、 ほかに方法を知らない教師たちが中途半端な個性尊重をしているのに対して、 このあまりにも強烈な、教育の方法。 今までこのドラマは、親と社会に対するメッセージだと思っていたのだけど、 実は、教師に対しても強烈なメッセージを発しているのだと思った。 誰も、真矢にはなれない。 だからこそできる、ドラマの中の教師。 そして、私は、実際に同じことをやれば、(真矢と同じ努力をすれば) 子供は同じように変わると思う。 だって、あれほど強烈なことをしなくても、 同じことを言いつづけた私のクラスは、2学期には変わっている。 自慢ではなくて、 授業にあそこまで真剣に取り組むところまではいかなかったんだけど。 授業に遅れない。 →理由を言わないと席につかせない。 →時間になったら問題を始めて、遅れたことを自覚させる。 →席についていた子にはシールを上げる。 授業中のトイレ →始まる前に行きたくなりそうな子は行かせる。 →我慢できなくなるまで、我慢させる。 もっとレベルの低いところで、 給食当番はさっさと白衣を着る、というのもあるんですけど・・・ 並んでもしゃべるので、早い順、走った子は後ろ、しゃべった子も後ろ、 横入りも後ろ、ちょっかい出した子も後ろ、ちょっかい出されて相手をした子も後ろ、なんて繰り返したりもしました。 体罰できたら、差別できたら、どんなに楽だろう。 そう思いました。 でも、単なる体罰や差別では、だめなのです。 確固たる意思と、自分を捨てても子供の正しい道を示す道筋を持っていないと。 女王は許されざる教師であり、反面理想の教師なのだと思います。 先生の、強い思いは子供たちに必ず届くのです。 親の思いももちろんそうです。 必ず届くと信じて、あきらめないで、 子供たちをまっすぐに育てていきたい、 と私は思います。 さて、プライベートがめちゃくちゃな私に、その可能性はあるのでしょか??? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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