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先日の日記の最後に「頭が真っ白になる出来事」と書きましたところ、
皆様から沢山の励ましのメールを頂きました。 本当に有難うございました。 そして心配をお掛けして申し訳ありませんでした。 実は生理が始まる直前の7月5日。 弟から電話がありました。 「おやじが肺癌かもしれない・・・・」と。 母は私の高温期が続いているということを知っていましたので 「おねーちゃんには言わないで。心配かけたくないの」と弟に口封じをしたようですが、 弟も不安で自分の心の中に納めて置くことが出来なかったのでしょう、 すぐ電話をしてきました。 6月に行った健康診断で肺のレントゲン写真だけが出来上がらないから・・・という 不自然な理由を医師は父に告げていたらしいのですが、 実は丁度その頃学会があるので父のレントゲンを持参して出席していたらしいのです。 数人の先生方から「肺癌だろう」という意見がでて、 土曜日に病院から電話がかかってきたそうです。 そして月曜日、別の手配された病院で精密検査。 翌日 火曜日の夕方に結果が出るということになりました。 日曜日にそのことを知った私でしたが、努めて冷静に・・・が 冷静になれていなかったと旦那は言うけど、ようは思考が停止してしまったのです。 私は結婚前に勤務していた病院の院長先生に連絡を取りました。 すぐに先生も調べてくださり、築地の癌センターへの紹介をしてくださいました。 万が一の時はそこに行かなければ・・・・頭の中はもうパンパンで 何も手がつかない状態でした。 そして涙がいつまでたっても止らない・・・。 検査当日。 一睡もしていない父と母は早朝5時に近所の池上本門寺に出向き参拝。 そしてお御籤をひくと 『 落ち着きなさい 』 と書かれてあったことをメールで伝えてきました。 そのお御籤の言葉が不思議なほどストンと心にはまった時、大丈夫かもしれない・・・と感じました。 翌日、火曜。 義妹は父の検査結果を一緒に聞きに行くためにわざわざ仕事を休んでくれました。 万が一の時、早急に紹介状を書いてもらうために「ついて行きます」とかって出てくれたのです。 弟夫婦の気持ちを立てて、私は自宅で待機していました。 結果が分るその時間が迫るごとに胸が張り裂けそうで、何をしていたのか記憶が無いくらいです。 たまたまその日、漢方の先生の問診の日でしたが「気が停止している」とのことで漢方は中止となり、 結果が分った時点で連絡をするということになりました。 そして夕方5時。 母から電話。 言葉にならない声で「よかった・・・・・だい・・じょぶだった」と泣いていました。 私も「そう・・わかった」とそれだけ言って電話を切りました。 いっきに緊張が解けて大便がしたくなりました(苦笑) 大脳と排便は繋がっているのですが、頭が動き出した途端、排便とは・・・(^_^;) そして昨日、お礼を申し上げに職場の院長先生の下へ挨拶に行きました。 父と院長先生は結婚式の時に面識があるのでとても心配してくださいました。 久しぶりの職場。 久々の同僚達は60歳に間もなくなるそうで 「え~!暖ちゃん41なの?全然変らないよ~」 「だってみんな60目前でしょ?でも若いよね~」 「言うな言うな・・定年制度変えるんだから」とワイワイガヤガヤと思い切り楽しめました。 コージーコーナーでミルフィーユを1ホールを買い、 そこには「祝!おめでとうございます」とプレートを乗せてもらいました。 実家ではちょっとした宴をしましたが、その後、父の身体を調整しました。 このところずっと母の調整ばかりしていましたから、父の身体を観るのは随分と久しぶりでした。 今回のことで改めて「いつまでもあると思うな親と金」という言葉ががずしんときました。 そして早く父に孫を抱かせてあげたいと痛切に思いました。 時を同じくしてテレビでキャッシー中島さんの長女さんが、 29歳という若さでお亡くなりになったと知りました。 しかも肺癌・・・・・。 人事とは思えず、胸が痛みます。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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