メリークリスマス と 懐かしい ロシアのマガダン
メリークリスマス 私たちはロシアの北 マガダンにいたことがあります。 ロシアは ロシア正教の国ですから クリスマスは1月15日ごろ 祝っていたと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私と夫は2005年 ロシアの北方 マガダンで 日本語教師として1年間暮らしたことがあります。ロシアは広大な国ですが マガダンはその北の果て、日本人捕虜たちが働かされた地でもあり、寒い寒いところでした。地の人は 私たちが日本人だと知ると寄ってきて「この大きなビルは日本人たちが 建ててくださいました。本当に丁寧な仕事をされました。」と感謝の言葉をかけてくださり、ちょとうれしかったこともありました。また、ここは ロシア人の政治犯が大勢収容されていた地です。学歴の高い人も大勢いたでしょうから、とても文化的で 画廊もあり オペラホールもありました。言語大学があり「英語、日本語、韓国語」などの課があり、私たちの前にも何人もの 日本人ボランテア教師が 赴任していました。日本政府は私たちにボランテア教師にはそっけなかったですが、韓国の先生方はホテル住まいでした。待遇がちがいました。これはタジキスタンでも同じでした。でもそのせいで寮が近いので 学生たちとの お付き合いが多くなり、一緒に食事したりして たのしかったです。町中に 湯を沸かす 大きな塔と煙突があり、皆に湯がとどくようになっていて快適でした。 室内は あたたかでしたし熱い湯がでました。さすが大国だと思いました。外気は零下30度になるときもあり カメラのシャッターが下りない日もありました。海は 何か月も凍って船はきませんでした。男の子は氷の上を オートバイで走ったりしていました。多他民族同志がそれぞれを尊重し 仲良く暮らしているようにみえました。韓国人が多いのにびっくりしました。 人々は 暖かく私たち日本人夫婦に接してくれ 民族のお祭りやオペラなど連れて行ってくれたりして素晴らい一年ででした。 丁度其の頃 マガダんの近くの町に プーチン大統領が 来ているとのニュースを 聞いた記憶があります。このあたりは地下資源が豊富で 開拓するための視察だったようです。 はるばるやってきたとの噂でした。 冬は 零下30度の日もありました。今、そのロシアとウクライナが戦争になり、お互いに人を殺しあっています。それぞれに言い分があるようです。これからの国の在り方が 決まっていく戦争です。ロシアは 「戦争と平和」を書いた 文豪トルストイ を生んだ国です。国民がなんとか がんばって 終戦にしています。もらえないでしょうかね。マガダン生活の記録は この「新つれづれ日記」の前の方にに書いていますのでよかったら みてください。新つれづれ日記の 一番上の欄に 目次が並んでいますから「ロシア・マガダんを クリックしてください。