カテゴリ:本や映画の感想
いまにも自爆テロを起こしそうなテロリストの犯行被害予測と、一人の少女の命を天秤にかけて、多くの人が決断を迫られるという映画で、見ていてハラハラした。 政治家は自分で決断したがらず、次々と上の立場の人に意見を伺い、判断を先送りしていく。 コブラに集まっていた政治家の一人、良心的な女性議員も同様に見えた。もし、あの女性議員が口を挟まなければ、ヘルファイアでの攻撃は迅速に行えて、少女の命は救われたように見えた。 軍人のトップは任務の遂行を一番に考え、感情には流さず、決断が早い。 しかし、軍人には決断する権利がない。 結果的には、その道のプロである軍人の判断が一番被害を少なくする方法だったように思えた。 政治家やドローンを操作する現場の軍人の良心を刺激した渦中の人である少女も、全くの無垢の少女とは思えない面もあった。 一度人に売ったパンを、また他人に売ろうとした結果、この災難から逃れられなかったとも思える展開だったのである。しかも、そのパンは地面に落ちたパンであった。 最初の買い主がテロリストの部下に追われていなくなってしまったため、少女はそのパンを他の人に売った。二重にお金が入った時、少女の顔がニンマリしているように見えた。 少女の立場に立ってみると、死の間際、少女は自分の親たちが信じる宗教の掟に照らして、自分が犯した罪について、罪悪感を感じずにはいられなかったのではないかと思う。その罪悪感が、まだ意識のあった少女を死の方向へ引きずり込んでしまったのではないか。この少女の一家は狂信者ではなかったにしろ、その意味で、やはり宗教が彼女の命を規制していたように見えた。 二重売買は日本でも罪に問われる。少女の罪についてなら、平和な日本で暮らす自分にも理解できる。これはモラルに欠けると。 そしてもしそれが、狂信者によって規制されていたとしたら、命も奪われかねないという予測はできる。 しかし、自爆テロを行うようなテロリストの心理はわからない。軍人トップや政治家たちに関しても同様で、彼らが担っている責任や、その判断が善か悪かとか、何が正義かなんてことは理解の範疇を超えている。 そういう意味で、私にとってこの映画は、子供の良心を問うた部分しかリアリティがない。 子供だからといって、たとえそれが小さな犯罪だからといって、許されるわけではない、と言っているように取れた。 つまりこれは、狂信者側の思惑通り、ということだろうか。 この映画は、そういう脅しの構成になっているのだろうか。 宗教によって犯罪が規制されていない社会なら、少女の二重売買が死に値する行為だとは思えないのだが、盗みを行った手を切り落とすことも辞さないような社会なら、それも仕方がないのかと。 その他、印象に残ったのは、アメリカはCDE(周辺被害予測)をすべて数値化し、判断を迅速化しているのに対し、イギリスの政治家は感情的に状況を眺めているうちに、結果的には状況を悪化させてしまったように見えたこと。 アメリカの政治家がクールに見えたのは、実戦経験の数に関係しているのだろうか? ドローンを使った軍事作戦には、それに関わる人間の心理的負担を軽減させようとするかのように役割分担が決められていて、想像していたより多くの人が関わっているということも、まるでアウシュビッツの役人を見習っているかのように思えた。 上空6000メートルに飛ぶドローンからの映像があんなに鮮明なら、山で立ちションしているのも丸見えだなと思った。 また、カナブン程度の大きさのドローンがあるというのを始めて知った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.14 15:30:06
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