奇  知  外  記

2017/10/14(土)17:10

独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」

独生女考(105)

昨日の続き、『「正しいこと」、「間違っていること」』。今回は特に「独生女」に見るその矛盾性についてだ。分派の方々、韓鶴子総裁の「独生女」批判されておられる方であっても、『原理講論』と文鮮明総裁は「正しい」と否定される方はいない。ところが、『原理講論』、特には「キリスト論」の中からの 第4節 重生論と三位一体論 に「善の父母」――「独生子」「独生女」のことが書かれていることをこれまでも指摘してきた。 ここでは「イエスと聖霊」という言葉もそれに置き換えて読むことが出来る。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。……ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。ところが、いつからこの聖霊(独生女)が原罪があるということになったというのか。 分派の方々は文総裁お一人の「独生子」は肯定されておられるが、韓総裁の「独生女」を否定されるのであれば、まずは上記の教理が間違っていると言われるのが筋である。原理講論は「正しいこと」としながらも、韓総裁の言われる「独生女は間違っている」、ここに一つの矛盾を感じる次第である。 次に、文総裁は「正しい」、韓総裁の「独生女」は間違っている。 これにも別の矛盾を発見することが出来る。文総裁のみ言の中には、「独生子」という言葉が千数百回、「独生女」も百回あまり語られているという話だ。文総裁み言の中から「独生子」だけでなく「独生女」もあるということだ。その「独生女」を文総裁がどのように語っておられるか、である。分派の方々はそれを論じようともしない。 文総裁は「正しい」、としながらもその語られた『「独生女」は「間違っている」』とハッキリ言われたらどうか!! ところで、私のまわりにも韓総裁の「独生女」だけは信じられない、「バカか?!」というには失礼に当たる方がいる。 韓国語も分かるだけに、どこかの大学教授の書いたそれが「独生女理論」だと言っては吹聴して回り、「その理論が信じられない」といっては騒いでいる。私自身の意見は「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!! 」で書いた通りであり、それが「独生女理論」などではないということだ。そんなもの(韓国語で書かれたもの)を見せようか、といっても私にすれば、即・ごみ箱行きである。 彼はまた、その大学教授の名を挙げては語るが、その根底には個人的な偏見も感じ取れる。 この日曜日、私からは「間違っていることは、間違っている」と彼に申し上げた。 教会長の説教のこのことをもう一度思い起こして欲しいものだ。 もしも、「間違っていることを、正しい」とするなら彼の認識不足によるものということだ。 原理講論と真のお父様は信じるが、韓総裁の「独生女」は信じられないと言っては、ネットで調べた情報まで持ち出して周りに触れ回るのもどうかとも思う。他の「信仰の生命」にも関わる問題だ。 さて、話を戻して分派の方々にも何度もお伺いするが、私のブログで取り上げている黒・天聖経P.177(以下)は、この文章末尾には「1972.6.11」の日付が書かれている。45年前の文総裁のみ言で語れれていたものだ。 大学教授の「独生女理論」(?)よりはるか昔に文総裁が「独生女」について話されていたということだ。私からは『独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!!』ということで、『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。この後を読み続ければ、 ここでもハッキリと第三のアダムの相対者について、「堕落前のエバ」「堕落していないエバを探し出さなければ」と書かれていた。 今日、韓総裁の無原罪の「独生女」を裏付ける一文である。 ところが、「お母様は原罪なし お父様は原罪あり これは本当ですか はっきり答えよ!」などと松濤本部前で騒ぎ立てている話も聞く。 第三アダム--再臨主の相対はキリスト教圏から探し出さなけらばならなかった。無原罪の「独生子」「独生女」が出会って「子羊の婚宴」のはずであった。ところが、文総裁の第1番目、2番目が失敗し第3番目に韓総裁が来られた。統一原理の蕩減原則から、誰かがこの失敗を蕩減しなければならない。 2000年前のイエス様と同じだ。イエス様自身、神のひとり子として来られながら洗礼ヨハネの失敗によって、サタンからも試練を受けイエス様自らが洗礼ヨハネの立場から出発しなければならなかった。 原理講論にもそれが書かれている。 今年私の教会では、ご聖誕日記念礼拝では教会長が貴重な映像だといっては1960年当時のご聖婚式の様子を視聴した。 私は既成教会から反対される中、数度に分けて式を行わなければならなかったと聞いてはいたが3度であった。失敗したアダム家庭、イエス様家庭、そして、再臨主の家庭と衣服を着替えては復帰段階を経たもののようだ。 「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」について騒がれること自体もナンセンスだ。 上述の原理講論や文総裁の「独生女」のみ言まで無視しての騒ぎに何の「道理」があるというのか?! これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓   

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る