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ファピーの風の花

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2007.01.29
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テーマ:韓国!(17282)
■韓国フィールド・ワーク(3)~元「慰安婦」の証言を聞いて~


以下の報告文は、~日本軍「慰安婦」歴史館にて~という記事の続きになります。
まずは↓の記事を順にお読みいただければと思います。

■韓国フィールド・ワーク(1)~「ナヌムの家」を訪ねて~
http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44542792.html

■韓国フィールド・ワーク(2)~日本軍「慰安婦」歴史館にて~
http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44601992.html

<補足事項>
この記事では、日本軍「慰安婦」が存在したのは事実か否か、
何万人存在したのかといった論争を取り扱うわけではありません。
あくまでも、一学生の私が、「ナヌムの家」を訪れ、ハルモニたちと
対話をしたという経験を報告することが目的です。
その点をご理解いただければ幸いです。



~(2)のつづき~

「ナヌムの家」にある日本軍「慰安婦」歴史館を見学したあと、
私たちはハルモニの証言を聞くことになりました。


※「ナヌムの家」で暮らすハルモニの多くは、絵を描いて暮らしています。
なぜなら、彼女たちは学校で教育を受けることができなかったので、
(元「慰安婦」の就学率は8%程度)未だにハングルを使えないからです。
つまり、絵を描くという行為が、ハルモニたちにとって、
大切な告白の手段であるわけです。


私たちは、ブン・ピルギさん(81歳)の体験談を聞くことができました。
 (歴史研究員の村山一平さんが、通訳&解説をおこなってくれました。)

>ブン・プルギさんの略歴
故郷は韓国の慶尚道で、15歳のときに強制連行された。
1992年から証言活動を始め、ドイツやアメリカ等でも証言をされている。


◎ブン・ピルギさんの証言

※メモ書きのため、箇条書きをお許し下さい。
以下は、ブン・ハルモニの証言です。


◇釜山に居た私は、15のとき、強制連行されました。
釜山から汽車に乗せられ、ソウル、北朝鮮を通って、満州まで連れて行かれました。
もちろん、このときは、連れて来られた場所がどこなのかもわからず、
このまま故郷に帰ることができないかもしれないと、涙が出てきました。

◇吉林省の慰安所では、女性の泣き声が幾たびも聞こえてきました。
初めての夜、私は軍人に、どのようにやれば良いのか、方法を聞きました。

◇2人の軍人が来れば、2枚というように、相手した分だけの紙が増えていきます。
この紙が多い女性は、軍人からの評価が高く、逆に少ないと、叩かれました。

※ブンハルモニの話は続いた。落ち着いた様子で、静かな口調で話していた。
(でもどことなく悲しげな目だったのが、今でも忘れられない)

◇私は、戦争はどうしても防がないといけないと思います。
なぜって? 男は戦争によって連れて行かれるし、女も私のように・・・・・。
戦争があって無事に済んだ人はいないのです。国がたとえ美化しても・・・。

◇日本の学生には、よく深く聞いてほしい。
戦争は絶対にしない方が良い。戦争によっていいことはひとつもない。
私たちは戦争をしてくれと頼んだわけではなかった。
植民地にされていたので、仕方なく戦争に巻き込まれた。
戦争のため朝鮮総督府から作物を奪われ、たくさんの苦労をしました。

◇慰安所では、軍人に、ペチカ(ストーブ)で熱せられた棒で、
わきの下を突かれました。わきの下には今もそのときの火傷の痕が残っています。
日本人は残酷なことをした。朝鮮人を滅ぼそうとした。

◇慰安所の中には、故郷の知人がいたけれど、何も話せませんでした。
知人だったけれども、お互い知らないふりをしていました。
話そうとしても、恥ずかしくて話しができなかったのです。

◇小泉首相は、私たちを殴って、首相を辞めていきました。
日本人の性格は変なのではないかと思いました。
私たちをスパイ扱いする日本政府には、ひどいという思いしか残りません。
もちろん、あなた方のような一般市民には、ひどいという思いはありませんよ。

◇日本政府はなぜ謝らないのですか?しっかり清算すべきだと思います。
私たちはまだ解放されていないのですから。安倍首相には、
心を広くもった上で、対処してほしいと心から願っています。

※ブンハルモニの証言は以上でした。81歳とご高齢だということもあり、
あまり長く話せないということです。そして何より、当時の辛く重い過去を思い出し、
それを大勢の前で話すことは、相当な気力と体力を要するということでした。
こうやって証言するという行為は、まさに身を削ることなんだと痛感しました。


◎学生とハルモニとの対話

※今回はハルモニと直接対話する機会をいただけました。

>学生
Q,男の人が怖くて、人を愛せなくなったりしませんか?

>ハルモニ
A,私は、慰安所から逃げ出して、歩いて帰って来ました。
今でも、男性が3人くらい集まって話しているだけでも
恐怖を覚えます。慰安所のことを思い出すから・・・。
慰安所のことは、92年までずっと隠してきました。頭の隅に追いやって・・・。
それでも、どんなに忘れようとしても、忘れられないのです。

>学生
Q,まだ何も言えずに苦しんでいる元「慰安婦」の人たちのことを、
どう思いますか?

>ハルモニ
A,言えない人たちはたくさんいると思う。
私は、テレビで告白している人を見たとき、少しだけ気が楽になった。
けれども日本政府には、早く謝罪してほしい。
日本政府は、私たちのことを早く死んでほしいと思っている。心に釘がある。
私たちの悲しい気持ちは、いったい、だれがわかってくれるのだろうか。

>学生
Q、ナヌムの家での生活はどうですか?
ナヌム=分かち合いという意味ですが、何を分かち合えましたか?

>ハルモニ
A,生活に関しては、テレビを見たりして、ずっと中にいます。
クルマがないと外に出られないし、仕事をしていないので、つまらないです。
けれども、学生が来るといつも楽しいです。マッコリなどを飲みたいですね。

>学生
Q,慰安婦の存在を知らない日本の若者も多いのですが、
それに対してどう思われますか?

>ハルモニ
A,歴史をもっと教えた方が良いと思う。
けれども政府は教えたがらないと思うけど・・・。


>歴史研究員の村山さん
→ブン・ハルモニは、92年に証言をして以来、ずっと一人でアパートで暮らしていました。
日本軍に有毒な注射を打たれたせいで、子どもを産めない体になっています。
アパートで一人暮らしをしているときは、昼に話した証言を、夜になって思い出して、
一人で寝れなくなったそうです。
そして、夢の中で慰安所のことを思い出して、何度も金縛りにあったそうです。
それが原因で体調を崩され、ナヌムの家に来ることになりました。



<転載される方へ>
転載は基本的に自由です。
転載の際は、ひと言コメントいただけると幸いです。
こちらの記事は、下の記事の続きとなっておりますので、
転載される際は、順番にご注意ください。
■韓国フィールド・ワーク(1)~「ナヌムの家」を訪ねて~
http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44542792.html
■韓国フィールド・ワーク(2)~日本軍「慰安婦」歴史館にて~
http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44601992.html







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Last updated  2007.01.30 09:39:44
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