テーマ:韓国!(17282)
カテゴリ:韓国と韓国歴史&韓国語etc..
以下の報告文は、~日本軍「慰安婦」歴史館にて~という記事の続きになります。 まずは↓の記事を順にお読みいただければと思います。 ■韓国フィールド・ワーク(1)~「ナヌムの家」を訪ねて~ http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44542792.html ■韓国フィールド・ワーク(2)~日本軍「慰安婦」歴史館にて~ http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44601992.html <補足事項> この記事では、日本軍「慰安婦」が存在したのは事実か否か、 何万人存在したのかといった論争を取り扱うわけではありません。 あくまでも、一学生の私が、「ナヌムの家」を訪れ、ハルモニたちと 対話をしたという経験を報告することが目的です。 その点をご理解いただければ幸いです。 ~(2)のつづき~ 「ナヌムの家」にある日本軍「慰安婦」歴史館を見学したあと、 私たちはハルモニの証言を聞くことになりました。 ※「ナヌムの家」で暮らすハルモニの多くは、絵を描いて暮らしています。 なぜなら、彼女たちは学校で教育を受けることができなかったので、 (元「慰安婦」の就学率は8%程度)未だにハングルを使えないからです。 つまり、絵を描くという行為が、ハルモニたちにとって、 大切な告白の手段であるわけです。 私たちは、ブン・ピルギさん(81歳)の体験談を聞くことができました。 (歴史研究員の村山一平さんが、通訳&解説をおこなってくれました。) >ブン・プルギさんの略歴 故郷は韓国の慶尚道で、15歳のときに強制連行された。 1992年から証言活動を始め、ドイツやアメリカ等でも証言をされている。 ◎ブン・ピルギさんの証言 ※メモ書きのため、箇条書きをお許し下さい。 以下は、ブン・ハルモニの証言です。 ◇釜山に居た私は、15のとき、強制連行されました。 釜山から汽車に乗せられ、ソウル、北朝鮮を通って、満州まで連れて行かれました。 もちろん、このときは、連れて来られた場所がどこなのかもわからず、 このまま故郷に帰ることができないかもしれないと、涙が出てきました。 ◇吉林省の慰安所では、女性の泣き声が幾たびも聞こえてきました。 初めての夜、私は軍人に、どのようにやれば良いのか、方法を聞きました。 ◇2人の軍人が来れば、2枚というように、相手した分だけの紙が増えていきます。 この紙が多い女性は、軍人からの評価が高く、逆に少ないと、叩かれました。 ※ブンハルモニの話は続いた。落ち着いた様子で、静かな口調で話していた。 (でもどことなく悲しげな目だったのが、今でも忘れられない) ◇私は、戦争はどうしても防がないといけないと思います。 なぜって? 男は戦争によって連れて行かれるし、女も私のように・・・・・。 戦争があって無事に済んだ人はいないのです。国がたとえ美化しても・・・。 ◇日本の学生には、よく深く聞いてほしい。 戦争は絶対にしない方が良い。戦争によっていいことはひとつもない。 私たちは戦争をしてくれと頼んだわけではなかった。 植民地にされていたので、仕方なく戦争に巻き込まれた。 戦争のため朝鮮総督府から作物を奪われ、たくさんの苦労をしました。 ◇慰安所では、軍人に、ペチカ(ストーブ)で熱せられた棒で、 わきの下を突かれました。わきの下には今もそのときの火傷の痕が残っています。 日本人は残酷なことをした。朝鮮人を滅ぼそうとした。 ◇慰安所の中には、故郷の知人がいたけれど、何も話せませんでした。 知人だったけれども、お互い知らないふりをしていました。 話そうとしても、恥ずかしくて話しができなかったのです。 ◇小泉首相は、私たちを殴って、首相を辞めていきました。 日本人の性格は変なのではないかと思いました。 私たちをスパイ扱いする日本政府には、ひどいという思いしか残りません。 もちろん、あなた方のような一般市民には、ひどいという思いはありませんよ。 ◇日本政府はなぜ謝らないのですか?しっかり清算すべきだと思います。 私たちはまだ解放されていないのですから。安倍首相には、 心を広くもった上で、対処してほしいと心から願っています。 ※ブンハルモニの証言は以上でした。81歳とご高齢だということもあり、 あまり長く話せないということです。そして何より、当時の辛く重い過去を思い出し、 それを大勢の前で話すことは、相当な気力と体力を要するということでした。 こうやって証言するという行為は、まさに身を削ることなんだと痛感しました。 ◎学生とハルモニとの対話 ※今回はハルモニと直接対話する機会をいただけました。 >学生 Q,男の人が怖くて、人を愛せなくなったりしませんか? >ハルモニ A,私は、慰安所から逃げ出して、歩いて帰って来ました。 今でも、男性が3人くらい集まって話しているだけでも 恐怖を覚えます。慰安所のことを思い出すから・・・。 慰安所のことは、92年までずっと隠してきました。頭の隅に追いやって・・・。 それでも、どんなに忘れようとしても、忘れられないのです。 >学生 Q,まだ何も言えずに苦しんでいる元「慰安婦」の人たちのことを、 どう思いますか? >ハルモニ A,言えない人たちはたくさんいると思う。 私は、テレビで告白している人を見たとき、少しだけ気が楽になった。 けれども日本政府には、早く謝罪してほしい。 日本政府は、私たちのことを早く死んでほしいと思っている。心に釘がある。 私たちの悲しい気持ちは、いったい、だれがわかってくれるのだろうか。 >学生 Q、ナヌムの家での生活はどうですか? ナヌム=分かち合いという意味ですが、何を分かち合えましたか? >ハルモニ A,生活に関しては、テレビを見たりして、ずっと中にいます。 クルマがないと外に出られないし、仕事をしていないので、つまらないです。 けれども、学生が来るといつも楽しいです。マッコリなどを飲みたいですね。 >学生 Q,慰安婦の存在を知らない日本の若者も多いのですが、 それに対してどう思われますか? >ハルモニ A,歴史をもっと教えた方が良いと思う。 けれども政府は教えたがらないと思うけど・・・。 >歴史研究員の村山さん →ブン・ハルモニは、92年に証言をして以来、ずっと一人でアパートで暮らしていました。 日本軍に有毒な注射を打たれたせいで、子どもを産めない体になっています。 アパートで一人暮らしをしているときは、昼に話した証言を、夜になって思い出して、 一人で寝れなくなったそうです。 そして、夢の中で慰安所のことを思い出して、何度も金縛りにあったそうです。 それが原因で体調を崩され、ナヌムの家に来ることになりました。 <転載される方へ> 転載は基本的に自由です。 転載の際は、ひと言コメントいただけると幸いです。 こちらの記事は、下の記事の続きとなっておりますので、 転載される際は、順番にご注意ください。 ■韓国フィールド・ワーク(1)~「ナヌムの家」を訪ねて~ http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44542792.html ■韓国フィールド・ワーク(2)~日本軍「慰安婦」歴史館にて~ http://blogs.yahoo.co.jp/olivia_elton_john_denver_70s/44601992.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.30 09:39:44
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