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読売新聞が臓器移植の連載をしているんだけど、やっぱり脳死からの臓器移植っていうのは、自分の死生観には合わない。
「元気に生活している親族から臓器を提供してもらうのは、健康な身体を傷つけているので心苦しい」 ってひとの話があったけれど、「じゃあ、脳死からなら遠慮なく臓器を貰えるってことか?」と問いたくなる。 移植を受けたひとは、「脳死なら気にせずに貰える」とは言ってない。 けれど、読売新聞の記事の構成が「健康に生活しているひとから臓器を提供してもらうのはいかがなものか?」な誘導をしているのがあからさまでね。記者のーもしくは医療技術者の「脳死なら別にいーじゃん」な考え方が、あまりにも明け透けで、そんな考え方で脳死からの移植が本当に浸透すると思っているのかー本気で浸透させる気があるのかねぇ…。 脳死は、臓器のストックじゃないんだよ。 「脳死だから(人権が制限されても)構わないでしょ」っていうんなら、それは「障害者だから(人権が制限されても)構わないでしょ」「痴呆老人だから(人権が制限されても)構わないでしょ」「高齢者だから(人権が制限されても)構わないでしょ」へと進みませんかね? 医師会会長は、臓器提供の意思カードに記名してるんだっけか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.25 17:36:32
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