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2024.06
2024.03.08
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【更年期の呪い】


読売新聞の人生案内に、50~60代からの相談で「昔のことを思い出して悔やんでしまいます。気の持ちようを教えてください」みたいなのがしばしばある。
以前は、「何を悩んでいるんだろう」みたいに思いながら読んでいた。
いまは、なんとなくその気持ちがわかる。
これからの自分の人生に、驚くような転機は来ないのだろうなぁという焦りと諦念がせめぎあっているのだろう。


相談内容では、「いま、不幸というわけではない」「結婚して夫婦仲も悪くなくて、子どももそれなりに頑張っている」ような内容で、その人なりに普通に頑張って、普通の幸福を手に入れている。だからこそ、「これからも普通に過ごしていくんだろう」という気持ちになってしまうのだろう。
それに対する回答は、「人生100年とも言われています。まだまだこれからですよ」「思い悩んでいる時間なんてありませんよ」的なものだ。60代からプログラマーになってゲームを作ったお婆ちゃんの話や、定年退職になる年齢から転職して会長になって大学長になった話など、「ひとは一生のあいだ成長できます」みたいな話だったりする。高校生の息子と一緒に大学受験して東大に合格した主婦の話なんかもでたり。
けれど、そんな人生を歩むのは一部なんだよなぁ…。


自分の人生を振り返る年齢が、更年期なのだろうか。
もうちょっとマシな選択ができなかったかなぁと思い悩み悔やみ…愚にもつかないことを考えて身もだえる。
弘兼憲史のマンガでよくあるやつだ。よくあるやつってことは読者にウケルってことで、読者にウケルってことは、多くの人間がその想いに囚われるってことだ。彼のマンガでよくあるのは、「あのとき、あの恋が実っていたらー」といういわゆる「あのときに、あの手をとっていたらー」なものだ。いまの生活に不満があるパターンが多いが、それはマンガの演出だろう。実際には「自分の人生はこんなものだろう」と諦念と不満足感で生活しつつ、「もしも、あのときにあと一歩が出ていたら…」との想いが付きまとい憑りつく。
それはドラマのような痛恨のミスや一生の不覚ではなく、もしもあのときにあの言葉に従っていたらー程度の岐路だ。


小学校の同級生が「オレももっと勉強して医者になれば良かった」な妄言も、いまなら少しだけわかる。
あのときに、もうひと踏ん張りしていたら、環境が変わっていたのではないか。
あのときに、逃げずに踏みとどまっていたら、いまとは違う人生だったのではないか。
なぜ、安易な道を、平坦な道を、安寧を選んでしまったのか。


亡霊に縛られる。





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最終更新日  2024.03.09 22:03:39
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