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2024.07
2024.07.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「価値」っていうのは、なかなか考えていくと面白い。
「誰にとっての価値」か。


社会にとって必要にも関わらず、その数が減っている「子供」という存在は、その価値があがっていくと考えることができる。
子々孫々の繁栄や、家の継続や、国家の維持として、社会は子供を必要としている。
しかし、ビジネスとしては「少数の子供」は主要な消費者にならない。
高齢者用の、オムツだの杖だの栄養食だのサプリだの装具だの靴だの手すりだのを売ったほうが、単価を高く設定できるうえに、消費者(購買層)が見込める。子供用の服なんていうのは「すぐに大きくなる」「すぐに着れなくなる」「子供にそんな贅沢なものは必要ない」などと単価を高く設定できない。ネコ用の服やイヌ用の靴のほうが、「どれだけ贅沢をさせているか」「愛玩動物への見える愛情バロメーター」「飼い主同士の示威行為」として有用なために単価を高く設定しても売れる。資本主義社会(消費社会)では、子どもの価値は低く見積もられているかもしれない。
しかし、昭和中期と比較したときに、子どもにかかる費用は増加している。メンコやベーゴマではなくTVゲームを娯楽として買い与えられ、習い事や中学受験など教育的な費用が必要となる。家では個室が与えられ、各個々人に専用の通信モバイルが与えられる。メシだけ食わせて、寝床を与えておけば良かった時代と比較したら、莫大な費用だ。
投資対象としての子供における将来的な収益は、今や限りなくゼロに近い。家の手伝いとして働かせれば、児童労働と言われる。祖父母の面倒をみさせると、ヤングケアラーだと言われる。子供を、その家庭の資産だと扱うことはできない。子供には子供の人権があり、子供は親の所有物ではないとされてしまう。産んで、メシと寝床だけ与えて、価値が見込める段階で売却することはできない。女児ならば、近所の飯炊き女として遊女として売ることはできず、娼婦として働かせて稼ぎを納めさせることもできないー現代にも娘をキャバクラ嬢にしたい親がいるらしいが。
男児を、土方に蟹工船にマグロ漁船に丁稚奉公に押し込んで、稼ぎを親の懐に入れることもできない…ことになっている…。
将来の売却益を見込んで、投資のための子育てなどできなくなった。それどころか、カネをかけて、教育をして、その挙句にうつ病になって引き籠ってウンチ製造機と成り果て、挙句の果てに親をその手にかける負債となることすら在りうる。


「子供は両親の愛情の結実として誕生する」という美辞麗句の裏には、「子供は将来的に収益が見込める投資対象」だったからこそ、子供が増えていた。「子供の価値」はあがったのかさがったのか。それは誰にとっての価値なのか。





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最終更新日  2024.07.14 16:37:48
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