618177 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

イドラ~私的遍歴~

イドラ~私的遍歴~

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2010.08.12
XML
カテゴリ:小桜姫物語
浅野和三郎


解説

とにかく、「光る砂漠」ファン、戸国ファンの皆様には

上の「解説」を読んでもらわなくては話ができません。

私、戸国も一緒に読みながら、心に残った部分だけを

書き留めていこうと思います。


つまるところ、本書は小櫻姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、

総計三人がかりで出来上った、一種特異の作品、所謂、霊界通信なのであります。


ちなみに、受信者T女というのは、浅野和三郎の妻多慶子夫人のことです。

(写真を参照)

浅野和三郎についてはウィキペディアを参考にしてください。

僕の言葉で簡単に紹介しますね。

1874年~1937年。

小泉八雲の英文学の教えを受け(東京帝大で)、

英文科に在籍しながら、英文学の翻訳を出版したり、

短編小説を発表するなど、超秀才なのでした。



和三郎の妻多慶子は三男の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、

1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに

霊言(トランス・トーク)を行うようになり、

『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版しました。



1936年(昭和11年)末、

『小桜姫物語』の原稿をまとめ上げ出版の準備を終えた後、

1937年(昭和12年)2月1日急性肺炎を発症。

2月3日に急死した。




小桜姫は室町時代(足利時代ともいう)の女性です。

室町時代とは、

広義では「室町幕府が存在した時代」に当たり、

足利尊氏が1336年に建武式目を制定し、

1338年に征夷大将軍に補任されてから、

15代将軍義昭が1573年に織田信長によって京都から追放されるまでの237年間を指す。


しかし、建武新政を含む最初の約60年間を南北朝時代、

応仁の乱(1467年)または明応の政変(1493年)以後の時代を戦国時代と区分して、

南北朝合一(1392年)から応仁の乱勃発または明応の政変までの

約75~100年間を狭義の室町時代と区分する場合も多い。




小桜姫は、最初の通信で「四百余年の昔」と伝えているから、

通信はじめの1929年ー400年=1529年頃ということになる。

ま、安土桃山時代になる50年~80年前くらいに生きた女性だと思う。

夫は、相州荒井の城主三浦道寸の息、荒次郎義光とある。

時代は足利時代の末期と通信されている。

つづく。

(コックン+戸国)














お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.08.19 20:37:37
[小桜姫物語] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X