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カテゴリ:新・百二十五年物語
著者石橋道秀さんは 山代町大字城に生まれて 小城高等学校を出て 中央大を卒業して中学校の先生をした人だ 昭和33年生まれだから中三トリオと同級生 彼の書いたこの本は わがふるさとのことながら 知らないことばかりだった 俺の主観で 好きなところだけを引用して ふるさとのみんなにも読んでほしいと思った 伊万里とは? 大陸から伊万里湾に入ってきた渡来人から 軍事上の拠点のひとつであった「吉野ヶ里」を守る 要塞の一つであった可能性は否定できまい と、石橋くんは言っているのだ。 小島と牧島のあの島同士が狭さ および小島古墳をどうとらえるかが 俺らにはおもしろい 「こじま」の「コ」は小さい、「シマ」は「ソム」で地形の意味 小島古墳が前方後円墳だったのはなぜか? 伊万里湾を航海する海人を守護するとともに、 侵入する外敵に対する示威行為であっただろう 外敵を防ぐには 神威を借りるとともに 武力も必要であった その点 鉄は重要であった 製鉄技能は不可欠であった 従って 今岳河口から浦ノ崎にかけては製鉄集団が住んでいた可能性もある お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.08 21:11:13
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