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あれから数時間後、こどもを寝かせようと一緒に横になりました。感覚的には間もなく(実際には2時間もたっていましたが…)、夫に肩をトントンと叩かれて目を覚ましました。いつの間にか眠っていました。時計を見たら、夜中の12時45分。病院から連絡があったようです。 義母と義姉と夫の3人は急いで支度をして病院へ…。その直後義母が忘れていった携帯が鳴りました。普段は人の携帯など絶対に出ないところですが、緊急の時なので出てみたら「今病院に向かっていますか?」という看護士さんの声。義母だと思って話しています。「はい」とだけ答えると、「もう間に合わないかもしれない、それだけお伝えしようと思って…」とのこと。急いで来て欲しくて、思わずかけた電話だったのでしょう。これを伝える気持ちにはなれなかったのですが、一応夫の携帯に連絡を入れてみると、もう病院に着いたとのこと。「そっか、じゃ、いい」とだけ言って、電話を切りました。 4月21日午前0時55分。義父は旅立ちました。 最期の時には立ち会えませんでしたが、 話の様子から、眠るように逝ったことと思います。 その後、義父が家に帰って来て、葬儀社の方が今後の段取りの打ち合わせに来られました。この夜中でも、お仕事です。大変なお仕事ですね…。 その後も何をしていいのか迷いながら、家の中を片付けたり、どこへ連絡したらいいのかなどと、話し合います。眠いけれど、とても眠る気持ちにもなれず、からだのどこかに痛みを感じながら、考え考え用事をこなします。外へごみ出しに出ると、空は明るくなっていました。 「もう夜が明けたんだ」と見上げた空は、薄い雲がたなびいていました。 風が強く寒い、時には雨粒が落ちる、天候の変化の激しい日でした。 その日をお通夜と決めた時から、しなければならないことが山ほどありました。色々な手配の締め切りが、どんどん迫ってきます。眠っていないものだから、体が自分のものではないようです。 実家から私の父が駆けつけ(母はあまり体が丈夫ではないので)、みっけの相手をしてくれました。いつもはモンクばかり言っている私ですが、今回はとてもありがたかった。こどもの相手をしている余裕がなかったので…。おじいちゃんを亡くし、淋しい気持ちのこども達の、心の支えになってくれたと思います。 全てを式場で行ったので、昔に比べたら、ずいぶんと楽なのかもしれません。少子化に伴い、親戚縁者が少なくなってきた今では、こうでもしないと、執り行うことが出来ないとも思えます。 義母はもとより義姉や夫の深い悲しみを思うと、新参者の私などが涙するなどおこがましい…とは思いながらも、私なりに思い出もあり…こども達を誰よりも可愛がってくれた元気な頃の義父を思い出すと涙が出ました。 献花の時、こどもたちと一緒に「ありがとう」ということばで、お別れをしました。 別れは悲しいけれど、3年間もの、肉体的にも精神的にも苦しい状態から解き放たれて、自由になったのだから、悪いことばかりではないのだと、語り合っています。 今は静かに見守ってくれているのでしょうか…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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