2008/01/27(日)12:42
シリウス 蘇我氏
蘇我氏がやって来る前に日本列島内には縄文時代から二つの太陽信仰のネットワークがありました。青森の三内丸山と大和の三輪山を基点とするものでした。最初、東北のネットワークが先行していました。こうしたネットワークがあったことが日本列島が中国や朝鮮とは違う強力な太陽信仰の受け入れ地として同じ信仰をもつユーラシアの遊牧民から重視されたのでしょう。ユーラシアに自分達の存在基盤の揺らぎを感じていた人々が日本列島に新たな希望を求めて渡来してきたようです。そのほとんどは日本列島内では太陽信仰に於ける先進地帯である北日本にやってきました。応神、仁徳及び北陸系の王朝はいずれも北日本を拠点にして成立したと思われます。そうした土台があったところに何波にも及ぶ波の中で最期にやってきて北日本の王となったのが蘇我一族でした。彼らはユーラシア全域に拡がったミトラ教とシリウスの聖方位をもってやってきました。ミトラとは彼らの拠点サカスターンのあったペルシアの国教でした。ペルシアの国教はミトラの太陽信仰が基本でありながら、しばしば折衷的で暦はシリウスの観測を軸にしつつ『副太陽』であるシリウスをも崇拝の対象にしていました。『副太陽』という意味は、昼間の一番明るい星は太陽なのですが夜間で最も明るい星がシリウスということです。シリウスは太陽系から8.7光年の距離にある新しい星で古代日本でも『大星』といわれていました。人は『光』の根源を太陽よりシリウスに感じはじめていました。紀元前500年頃、ペルセポリスの冬至の真夜中、現在の12時にシリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝きました。この方向に向かって、新年を告げるシリウスを遥拝すると遥拝する者の真後ろ(後ろの正面)は、真北から20度西に傾くことになるといいます。この方位を聖なる方位、聖方位として日本列島至る所に今も存在するのです。隠れてしまって気づかれることは、ほとんどありませんが。しかし有名な童謡『かごめ かごめ』は、このシリウス信仰を唄っていることが解かりました。 カゴメ、カゴメ
カゴの中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
後ろの正面はだあれ
カゴメとは籠目、冬至線と夏至線が交差して出来た菱形の文様をいいます。例えば、ある地点に立ち、そこから冬至の日没を望む方位線を引きまた同じく夏至の日没を望む方位線を引いたと考えます。この二つの線は、その地点で59度強の角度をもって交わるがこの線を一定の距離をもって平行に少しづつ、ずらしていくことによってある一定の距離をもって平行する網の目を作り出すグラフィック・ネットワークが作られます。その網目の文様を『かごめ かごめ』といったのでしょう。籠の網目も菱形で同じですから。また六芒星のことかもしれません。すると『籠のなかの鳥は いついつでやる』とは蘇我氏は鳥との縁が深く、鳥のシンボリズムをもっていました。そこから八咫烏や烏帽子が生まれ、『飛ぶ鳥』と書く飛鳥が生まれたのでした。『夜明けの晩に鶴と亀がすべった』これは夜明けなのに晩という矛盾した時間に鶴と亀は四神獣の朱雀と玄武、すなわち方位を示します。つまり南北が統べった。それはシリウスの聖方位を示します。その時の『後ろの正面』は誰?ということでしょうか?