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Going My Way♪~気まぐれkaaの日記

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2009年02月24日
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カテゴリ:精神世界・子育て
最近の日記は理屈っぽいし宗教チックすぎる、と娘から文句を言われつつ。。。
でも、何だか色んなことが私の中で繋がってきて、どうしてもそんな内容になってしまうんです。
興味ない方は、どんどんスルーしちゃってくださいね。

息子が学校へ行かなくなったことがきっかけで、私自身ものすごく色々な勉強をさせてもらっています。
今もまだ学びの途中なので、失敗も迷いもありますが、最近特に、自分の中で「ああ、こういう意味があったんや~」などと、整理されてきたことがたくさんあります。
そして、自分なりに答えを見つけた直後に読んだ本などに、そんなことが書かれてあったりします。
それも、違う人たちから同じようなメッセージだったりするんですよね。
もっと早くその本(言葉)に出会っていたら、こんなに回り道しなくてよかったのかもしれませんが、やっぱりそれも意味があったんだろうな、って思います。
回り道をしたからこそ、色んな経験もできたし、自分で納得できたんですね。
(私も、自分がいいと思ったことをみんなに伝えようとしすぎることがありますが^^;)

自分の子育てに関する色々な問題など、以前は私も自分に問題があったんだろうと思っていました。
子どもたちに罪悪感を持っていた時期もありました。(特に娘に対して)
でも、そうじゃない、子どもにあれこれ問題が起こるのは、自分自身の成長のためなんだ、と思えるようになってからはそれほど悩まなくなりました。
講座を聴いたり本を読んだりすることによって、それがどんどん確信になっていったのですが、ちょっと消化されないというか、なにかが足りないような、そんな思いがありました。

確かに愛情不足だったかもしれない(娘)、溺愛の過保護だったかもしれない(息子)
でも、極端に厳しくしたわけでもないし、甘やかし放題だったわけでもないはず。
それでも色々な問題が出てきた。
それは、私を成長させてくれるためのメッセージであるとは思っていたのですが、ふと気づいたんです。
「『私が私らしくあるために』もっと自由になったら?」という、子どもたちからの「愛」だったんだって。

なぜか「恋愛感情」のないまま、現実から逃げるような結婚を(しかも2度も)してしまい、それでも自分が決めたことだからと半分諦めたような人生を送っていた私でした。
「すべてに意味がある」
そのことにこだわりすぎて、向き合いすぎてしまっていたんですね。
自分の問題ととらえすぎて、相手の問題まで自分で引き受けすぎていた。
「自分が変われば相手も変わる」と思って、相手のために自分が変わろうとしすぎた。
「すべてに意味がある」から、自分が頑張らなきゃ、って思ったんです。
我慢しすぎたんです。
でも、
確かに意味はあるけど、全うすることがすべてではない。
そのことで自分が成長できたらいいんですよね。
頑張るだけがんばって、それでも自分が辛いと思ったら、逃げることもありだと思うんです。
結果ではない。
その過程に意味があるんですね。
色んな出会いの中で、やっと自分の気持ちに正直に生きていいんだ、ってことに気づかせてもらえました。

以前「や~~めたっ!」
>考えたら子どもたちが変わったきっかけは、娘のときは最初の離婚、息子の場合は今回の別居かもしれない。

と書いたけど、そうじゃない。
「親が変われば子どもが変わる」
もちろん、それはそうだと思います。
でも、中には、「お母さん(お父さん)が変わってよ!」というメッセージを子どもが発している場合もあるんだ、って気づきました。
子どもに教えられているんですね。
特にピュアな子どもたちの場合、そうなのかもしれません。

うちの場合、子どもたちはきっと心のどこかで「お母さん、それで幸せなん?」って感じていたんだと思います。
私がそれに気づかなかっただけ。
特に娘には、再婚して早い時期(娘が高一の時)に「お母さん幸せそうじゃない」って言われちゃいましたし^^;
「ケンカもできひんようなら夫婦ちゃうやん」も娘の言葉(笑)
まだまだ娘たちには現在進行形で色々教えられています。


『子どもが問題を起こすのは、子ども自身のことというよりは、親に「それでいいの、幸せなの?」と訴えかけているのです。だから自分の生き方そのものをかえていかなければ解決できない。』
(「お父さんお母さん、私の叫びが聞こえますか?」金盛浦子:PHP研究所)より

また、
「わが子」の気持ちがわからない(長谷川博一:PHP文庫)の中にも
名門高校に入学後、急に母親(自分をかばってくれていた)に対して暴言や暴力をふるうようになった娘さんの事例で、
『(自分の)気持ちが分からないことを母に怒っているのではなく、「苦しんでいるのは母親自身だ」という事実に気づいてもらいたくて発していたメッセ-ジ。』と書かれてありました。


子どもって、本当にピュアで優しいんですよね。
もちろん、逃げないことにも意味があります。簡単に逃げられない場合も多いでしょう。
やっぱり人それぞれだし、正解はひとつではありません。
気づいて学んでいくことに意味があると思います。
でもね、「自分自身が幸せになること」を求める権利は誰にでもありますからね。
自分を責めるのではなく、自分が幸せになれるためにどうすればいいのか、ということを考えていけたらいいと思いますよ。
気づかせてもらえたことに感謝です☆





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最終更新日  2009年02月24日 22時27分58秒
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