カテゴリ:旅行記 モンゴル '00.6月
写真に写るのは現地ガイドのオユナさん。 【'00.06.30】 * * * 今、近畿地方では信じられないような大雨なのですね~。皆さん、大丈夫でしょうか? こちら香川県では、ここ最近 一滴の雨も降っていません。 今年も又、水不足が深刻化しそうです。(T_T) * * * 「ブータンにはお墓がないのよ。」 又もや Masakoの問題発言か?!w(☆o◎)w 「え~、だってブータンも日本と同じく仏教国なんでしょう~?」 「だから~、日本の仏教が随分と違ったものなんだって。」 ブータンでは、死後四十九日が過ぎると再び新しく生まれ変わるという教えの元、日本のようなお墓や法事といったものがないのだとか。 (日本における檀家制度は、近世の歴史による独自のものなのでしょうから、50回忌までも法要を営む日本の方が珍しいのかもしれません?!) 輪廻転生の教えから、人は現世での行いにより生まれ変わる場所が決まってくる、、、今は人間でも その行い次第で来世は畜生に変わる可能性もあるわけです。 本当のところ、再生転生があるのかどうかは私も分かりません。 ですが、この教えがブータン人の支えとなり、自然と共に 質素ながらも助け合い仲良く暮らしている彼らの笑顔を見る時、それはとても素晴らしいことだと思いました。 ブータンの寺院を訪れると、そこには神聖な空気が流れ、生きた信仰の場であることが よく分かるのだそうです。 * * * 私もモンゴルを旅した時に、同じくチベット仏教の2つの寺院を訪れたことを思い出しました。 その一つが、モンゴルのラマ教総本山と仰がれる「ガンダン寺」です。 Masakoから聞く ブータンのお寺のような澄んだ空気というよりは、煙たいほどの土埃が舞うウランバートルに相応しい、モクモクとして 肌にまとわりつくような空気。 けれど、そこには所狭しと信心深いモンゴル人が集まって来ます。 お寺の周りには、経典が書かれてあるという円筒が ずらりと並んでいます。 それらを手のひらで回しながら唱えることにより、有難い経典を悟ることになるのです。 勿体なくも私が訪れた日は、ちょうどそのお寺にモンゴルにおけるラマ教の最高位の方がいらっしゃいました。 「なんて あなたはラッキーなの! もちろん、それは今日この場所にお参りに来ている全ての人に言えることだけどね。」 オユナさんは目を輝かせます。 ウランバートルで暮らすオユナさんでさえ、中々お目にかかれない方だそうです。 私って、そんなにツイてるの? その程度の思いでお寺の中に入りました。 重々しい衣装に身を包み 大きなオ一ラを持つその方は、参拝者一人ひとりの頭に手を置きながら何かしら唱えてくれます。 私は意味も分からず頭を下げているだけでした。 狭いお寺の中は、熱気とお線香の匂いで咳こんでしまいそう。 それでも、そんな中で見たモンゴルの人々の笑顔と手を合わす姿勢は印象的でした。 神聖というよりも むしろ現界そのものでしたが、やはりそこにも生活と共にある生きた信仰の場がありました。 遠いモンゴルを思いつつ、Masakoの不思議なブータンの話を聞きながら、"なんとなく分かる気がするなあ~"と感じた昼下がりです。^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.28 21:44:14
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