テーマ:きょうは…(1680)
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昨晩、食事の後で横になって休んでいると父からの電話が入った。
母が生きてた頃は一度も無かった事だが数か月に一二度程度で電話が入るのは父も年を取った証なのかもしれない。 他愛の無い近隣の話で特に問題が生じた事も無かったので定期便の様なものである。 父の遠縁の末息子が長子の居候になってるとの話を聞き思わずこれまで父に言った事の無い話をした。 てか、十数年前に僕が脳出血で倒れた時、父は入院当初に病院に来ただけでその後は一度として見舞いに来る事は無かった。 ま、あれこれと一人で考える時間が出来て良かったのだけどね。 父は見舞いには来なかったけれど、退院後は僕の面倒を見続ける気で居たのは理解している。 僕の退院の条件として医師から言われたのは一人暮らしを望むのなら退院は許可できない、家族の元に帰るのなら退院を許可しますとの事で僕は退院し住んでた部屋を引き払い田舎へと帰った。 その僕が何で今東京に居るのか?と言うと、リハビリ生活を何年か続けこれなら一人暮らしが出来るかも?と考えた事もあるが父母の背中を見て育った僕には他者に面倒を見て貰い続ける事への抵抗感があったからだ。 現状を知る人は僕がどの程度動けるかは解っているとは思うが、退院時に現状維持で良し良くなるとは考えず現状維持を心がけてくださいと言われた僕がここまで復活出来たのはこういう身体に産んでくれた両親とこういう考えに至る背中を見せてくれたからだと考えている。 だからいい歳をした親父がお前の面倒位と未だに言うのに親父やお袋の背中を見てて動けないならともかくも自身で働いて食べられるなら出来る時は自身で…と初めて伝えたら笑っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/02/12 10:23:41 PM
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