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pipopaR

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2004年03月07日
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ごぶさたです。日記をサボりだしてから随分経ちますが、それなりに平和に暮していました。
書きたいことも沢山あって、週末にまとめて書こうと思いながらズルズル日々を過ごしていました。
そうこうする間に悲惨な一ヶ月が始まってしまい・・・
で、なんとか書ける状態になったのでボチボチ書くことにします。


極貧な割には、好き勝手に暮してるので結構幸せでした。
過去にあった悲惨なことは「あの頃は自殺を考える程苦労したわ~」って回想しちゃう程遠い過去のことになってしまい、すぐに自分の身に再び降り掛かるなんて思ってもいなかった。

私の父は数年前に脳挫傷の後遺症で軽い痴呆状態である。
現在は独り暮し出来る程に回復しているが、壊れた脳は元には戻らない。
痴呆になる前には勤人だったが酷いアル中だったのでまともな人だったわけでもない。
暴れるので家族からも随分昔に逃げられいる。
アル中特有の暴言のせいで親族や同僚にも嫌われていたので現在の落ちぶれた彼に同情してくれるような人間は誰もいない。
次女である私も本来ならば関わりたくはないのだが、あんな状態になってしまったので腐れ縁だと諦めて付合っている。

アル中全盛期だった頃の彼には本当に苦しめられた。
憎んでいたので絶縁しているつもりだった。
大人になって久しぶりに(不本意ながら)会った時には精神障害者になっていた。
それからもっと苦しめられてボロボロにされた。
殺してやると思った。自分の運のなさを呪った。
絶縁するということは、行政的にはこちらが行方不明にならない限り不可能なんだと思い知った(扶養義務)

もう何年も前の話だ。今は暮らせるだけの年金も貰いどうにか父は1人で暮しているし、アル中全盛期の頃より父親らしいことも言う人になったので、私も彼が月に2度程我が家に訪ねてくる関係が当たり前になっていた。
正直言って、母子家庭の私には自分の生活だけが手一杯で他人の世話まではみたくない。
(私にとっては、息子以外は赤の他人なのだ)
この付き合いがギリギリの許容範囲で彼の状態が悪化することは、私達親子の生活が破綻することを意味するので想像もしたくないことだった。

年末は残業で忙しく、年が明けてからも何かと忙しかったので父親が我が家を訪ねてくる機会が随分減っていた。
彼には週一の病院通い以外に特に予定が無い。
暇を持て余す彼は下手をすると毎週でも来たがるのだが、ここの所様子が違っていた。
昔は読書家だったが脳挫傷以来、新しいことを記憶出来ないらしく、文章は読んだ端から忘れてしまうと言い新聞以外は読まなくなっていた。
しかし今年に入ってからは推理小説を熱心に読むようになり続きが気になるからと言って来ない週が続いた。
口が縺れて話しにくそうだったのも、随分マシになっていた。
脳が少しづつ回復しているのだろうかと明るい気分になり油断していた。
そして想像したくもなかった災難は突然やって来た。


昨夜、父と三度電話で話した。一度目、18時にこちらから電話する。
明日久しぶりに来るという、とても調子が良さそうだ。
食事に出かける所だと言うので用件だけですぐに切る。
二度目、19時に帰宅した父から電話がかかる。
上機嫌で呂律が怪しい。少し酒を飲んでいるようだ。
三度目、23時半に父からかかる。
口調が明らかにおかしい。先程話したことを覚えていないし曜日も時間も分からない状態だった。

今朝の大阪は吹雪いていて雪が積っている。
寒いし足下が悪くて危ないので来ない方がいいと言おうと10時に電話をするが電話に出ない(まだ寝ているのか?)
11時にもう一度電話をいれるがやはり出ない(もう出発したのか?)
昨夜遅くの父の具合を思い出すと嫌な予感がする・・・
神戸に住む父の家から大阪の我が家まで2時間はかかるが、15時半になっても来ないので更に嫌な感じだ。
(きっと一旦外出したが、あまりの天候の悪さに引き返したのだ)
18時になっても連絡がつかないので息子も変だと騒ぎはじめる。
息子に夕食を出してから、やはり神戸に行ってみることにした。
今から神戸に行くと何ごとも無ければ終電までに往復出来るだろう。
しかし悪い予感が当ってしまえば今日はもう帰ってこれない。
一晩息子を独りにしておくわけにはいかないので隣町の母に電話をいれる。
父(彼女の元夫)を嫌っている母は露骨に行くことを反対する。
反対を押し切って行く私に呆れた声で「ガッピーどうすんの?私は明日仕事やから面倒みられんで」と牽制されてしまった。
仕方なしに近所に住む息子の父親(私の元夫)に電話をいれて泊まりに来てやって欲しいと頼む(多分帰れない)
道中、何度か目に入れた電話がようやく繋がったが、受話器の向こうからはうめき声しか聞こえなかった。
(救急車は現地から電話をかけないと呼べないのだ)
電車を乗り継ぎ、タクシーを飛ばして父の家に着いたのは21時半。
合鍵で部屋の中に飛び込んで見てしまった光景はとても複雑だった。

台所に続く和室に股がるように父親はうつ伏せに倒れていた。
恐らく長時間倒れて動けなかったのだろう。
失禁しており気持ち悪さのせいか、どうにか膝の辺りまでずらした下着を挟んだまま尻をむき出しにしていた。
電話口までどうにか這って行こうともがいたせいか下に面した部分が血だらけになって乾いていた。
今日はこの冬最低レベルの冷え込みで手足の色は紫に変色している。
きっと明け方、トイレに起きてそのまま倒れて動けなくなったのだろう。
19時間近くこの状態だったということになる。
きっと、また薬の副作用だ・・・
2002/09/02の日記2002/09/03の日記

これは・・・死ぬかも・・・
いや、来なければ確実に死んでいたな・・・
そしたら、この腐れ縁から開放されたのに・・・
ああ、でも、まだ動いているから・・・救急車呼ばなきゃ・・・

掠れる声で「水・・・」とだけ言う父を抱え起こし口元に水を入れたグラスを持って行くと凄い勢いで飲み干す。
この人はなんて悪運が強いんだろう・・・とどこかで思う私。
汚れた下着を引き剥がし、清潔な服を着せ布団まで運び毛布で包む。
滅茶苦茶になった床を慌てて片付け、簡単な入院セットをまとめるとサイレンの音が聞こえた。
救急車を誘導して父の所へ救急隊員を連れて行く。
救急隊員は父の酷い姿と、荒れた部屋の状態に一瞬絶句する。
身体中にある生々しい痣に恐らく痴呆老人虐待を疑ったのだろう。
詰問する口調で「何でこんなになるまで放って置いたんですか?」と事情徴収になる。
電話でも話したのだが、再び説明・・・
この人は一人暮らしで、連絡が取れないから大阪から来て今発見したのだと説明。免許証で住所まで確認されてやっと納得してもらえる。
(昨今の時節がら救急隊員も救命以外の仕事があるんだねっと身を持って体験)
大柄の父を階段しかない4階から車まで運ぶのは一苦労である。
どうにか救急車に乗り込むが受け入れの病院がなかなか見つからない。
車が動き出したのは自宅を出てから随分経ってからだったと思う。

病院に着くと、再び同じ質問に繰り返し答える。
彼が何故ここまで酷い状態になるまで発見されなかったかという理由・・・
それには彼のアル中の過去と脳挫傷の経緯と離婚されて一家離散だったことまで超簡単に語らなければならないのだ・・・

過去に何度この略歴をあちこちで話しただろう。
私は単にこの人の娘だということ以外に親子らしい関係は実は持っていないというのに。
周囲は私を彼の家族として扱う。
それは「父親の倒れた気の毒な娘」としてではなく「扶養義務のある人間」としてだ。
父から扶養義務を放棄されていた娘に、父の扶養義務を要求するのだ。





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最終更新日  2004年04月11日 09時21分19秒
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