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たった15分のケース記録なのに、
いったい何故こんなにも、その人の深い真実が現れてくるんだろう。 あるケースでは、かかりつけの心療内科の先生とのことが語られていた。 プロの先生に語っても、聴いてもらっている気がしないのに、 クライエントとして、ミニカウンセリングを学んでいる仲間をカウンセラーに語ると、 ラクに自分でいられて、聴いてもらっている安心感があるというのだ。 ケースを聴きながら、ウソを言っているのでないことが良くわかる。 両親や周りの大人たちに聴いてもらえなかった、わかってもらえないという体験を、 どんなに根強く持っていようとも、 そのことを言葉にして語るとき、クライエントのエネルギーが感じられる。 ケースを録音するときは、一人のカウンセラーが聴くが、 ケース検討をする学びの場では、 仲間たちみんなが円座になって、ていねいに耳を傾ける。 語られている内容が、否定的であろうとなかろうと、 ただその語っているクライエントの存在を、大事に唯一無二の存在として、 ひたすら傾聴する。 これは、従来のカウンセリングのケース検討とは、 およそ離れた視点からのアプローチだ。 ケースでのカウンセラーの働きかけを、逐一チェックして、批判していく場ではなく、 クライエント自身に確認しながら、 聴いてもらっていると感じるカウンセラーの態度が、どのようであったかを、 検証していくことで、 カウンセラーとして、できていることを見ていく。 欲を言えば、あと何をプラスすれば、 よりクライエントが、自分の気づきを深めていくことができるかを、自ら学んでいく。 カウンセラーとして、 否定されることなく、肯定的な態度で関わってもらうことは重要だ。 いくら口先で、肯定的態度・共感・自己一致などと言っても、 そのような関わり方をされなければ、わからないことがある。 本を読んで理解するだけでは、全く不十分なのだ。 カウンセラーとして、自分がすべきことを頭でわかったつもりでいても、 実際にケースを録り、逐語録を作成すると、 指摘されなくても、自分の姿に愕然として、チェックしたくなるところは出てくるものだ。 そのような批判的態度からは、何も生まれない。 そのことを充分に知っている学びの仲間たちは、スキルではなく、 その今の自分として、全身全霊で、クライエントと向き合う。 医者やセラピストは要らない。 このような仲間がいれば、おのずと解消していく問題もある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.10 13:56:56
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