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カテゴリ:KokoroほぐしWS
イメージの力は、大きい。
それが、長年にわたり、世代間を越えて、 伝えられているものであれば、なおさらのこと。 「心配してくれているのが愛だと、 わかっていても、それが邪魔だし腹が立つ。」 「わかってるんです」と参加者は言う。 でも、 「動けなくなってしまう。」「自分の感情がわからなくなってしまう。」 「母と同じことを、自分が子どもたちにしている事もわかってるんですけど。」 そう「わかってるんです。」 「けど」と。 このような経験は、この参加者に限った事ではない。 大概の親は、子どもの事を心配する。 そしてその「心配」が、親の「愛」の形の一つだという事も、 頭では理解しようとする。 だが、過剰な心配は、子どもの負担を大きくし、子どもは愛し方を見失ってしまう。 「わかる」ことが、必ずしも行動と一致しない事は、よくあること。 そもそも、思考と感情の次元が違うのだから、常にズレは生じる。 「思考」↓ 「感情」↓ 「感覚」↓ 「存在」 と、そのそれぞれの層が存在に深まっていくとき、 「思考」の信頼性がもっとも薄くなる。 「思考」は、簡単に理解したがり、論理を振りかざす。 「感情」や「感覚」は、それにふりまわされるが、ついていく事など到底できない。 頭がよくて、物わかりのいい人ほど、このような現象に陥りやすい。 自分のこころが、だんだん見えなくなっていく。 理解してわかろうとするのもまた、子どもの親への愛だ。 親は子どもを愛するがゆえに、心配する。 ところが、これらの愛は、もつれや滞りを生じさせる。 本来「愛」は、相手にエネルギーを送ることなのだ。 「心配」がもたらすものは、相手のエネルギーを奪ってしまうという事実。 「理解」がもたらすものは、思考の侵略を容認してしまうという事実。 このkokoroほぐしでは、「愛」を感じることを、充分に味わう。 もつれや滞りを少しずつ、解いて、愛の流れにつながっていく。 ほんの少しずつ、丁寧に感じていく。 いのちの流れにつながって、今の自分を見たとき、 凝り固まったイメージが、変容している事に気づく。 動けず座り込んで、下を見ていた参加者が、 自分の足で立ち、視線が前方に向けられていた。 イメージされていたものが、はっきりと表現され、 ぼんやりとしたイメージが、明確になる。 しっかりと、ハートに収まったとき、 理解とは違う次元の現象が、起こるのを発見するだろう。 すべての流れは、宇宙の法則に則って、動き出し変容していくそのさまを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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