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カテゴリ:ファミリーコンステレーション
コンステレーションの特徴として、
代理人を配置するというのがあるが、 今日は、その瞬間から、そのエネルギーがびんびん伝わってきて、 怖いほどだった。 瞬時に反応する化学実験のようだ。 その動きや、身体に起きる変化を観察するのは、 興味深い。 そのときには明らかにしていなかった事が、 座を閉じた後に、メンバーからの感想ではっきりしてくる。 代理人の感想も、実にリアリティがある。 クライエントとしているとき、 すでに持ちえた知識やファシリテーター経験を、 できるだけ白紙にしようとすればするほど、 それは操作的になるようだ。 わかった気になりたくないと、わからないフリをすることで、 その操作が混乱を招く。 事実をもつれさせて見えなくさせる。 本気で、事実を見ようとしているのかと疑いたくもなる。 そんなとき、事実として現象として、 クライエントとしてのわたしの身体的反応が、 ごまかしを許さない。 ほんの少しでも、思い上がった子どもの顔をのぞかせると、 痛みが伴ってくる。 無力であること、謙虚になること、 頭が自然と下がったときに、その痛みは自然となくなっていく。 このどうしようもない、どうにかできる範囲を超えた、 手の及ばないことに、つい、傲慢な子どものわたしが、何かをしたくなる。 そして、痛いのはイヤだと、駄々をこねたくなる。 痛みを受け入れ、無力さと共にいること。 たくさんのコンステレーションや、 様々な事例を見てきてもなお、 自分自身に染み付いてしまった子どもに、今日も気づかされる。 性急さも子どもっぽさのひとつだ。 ここは、ゆっくり、 そんなどうしようもないわたしに、付き合おうとするか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.31 12:34:44
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