山田維史の遊卵画廊

2009/11/04(水)11:19

まんまるお月さん

 11月だというのに東京薬科大学のキャンパスでは桜が咲いていた。幾本もの桜の木のなかで一番小振りな木が、色は薄いがことごとくの枝に花を咲かせていた。どういう加減かと、私は驚いてしばらく眺めていたのだった。  我家の小庭では柿の葉が急にいろづき始め、早朝、その落葉掃きに忙しい時間をさらに忙しくさせられている。昨日は一日中冷たい雨が降って、濡れ落葉が石畳に張り付いてた。夜になって雨があがったので、玄関の扉をあけて夜空をみあげると、雲のきれめに真ん丸な月があった。まだ空気は濡れていたから、その月には意表を突かれた。折しも、またいつかのように、月の左側を旅客機が灯を点滅させながら通過して行った。そして、たちまち月も飛行機も暗い雲におおわれてしまった。  一夜明けて、今日はカラリとまさに秋晴れの一日だったが、天気予報どうりの寒さで、木枯らし一号(そんな言葉があるかどうかは知らぬが)が吹いたとか。水道の水の冷たさにびっくりしたのだった。  そして今夜も丸い月が出ている。またもや飛行機が通過して行った。昨夜見た時間より遅いはずだが、なんと間がよいことだ。昨夜より低空で、点滅する光も大きく見えた。  一句ひねろうとしたが出てこない。自分でおかしくなって、笑いながら家に入った。  笑いが私の顔にいつまでも漂っていたのだろう、ベッドから老母が私の顔を見て、「にいちゃんの笑った顔が懐かしい」と言った。  私はとっさには母が何を言っているのか分らなかったので、母の顔のそばに耳を近付け、「何?」と聞き返した。  「にいちゃんの笑った顔がなつかしい」と母は言い直した。  「そうなの? 僕の笑いが懐かしいの?」  母は、ゆっくりうなづいた。  過日、入院中のベッドでも、同じことを母は言ったのだった。私が中学・高校生時代、会津若松の学校からしばらくぶりで八総鉱山や、後には札幌の両親の家に帰ると、その晴々とした笑い顔が好きだった、と。  「ははは、今では爺さんの笑い顔だねー」と、私は母の頭を撫でながら笑った。

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