昨日は鴎外の句をアットランダムに紹介した。彼は軍医高官として戦場や任地に単身赴任することが多かったので、家に残した妻子を思う寂寥感をどこかにかかえこんでいる。句にもそれがあらわれていて、たとえばこんなふうに・・・
繪はがきや春の朝餉の膳の上
(任地の下宿の朝餉の膳に、妻からの絵はがきが載っていた。ぱっと春の気持ちが胸にくる)
ながき日をめぐりめぐりぬ幾胡同
(胡同とは中国北方地方の横町のこと。そのような町を転戦につぐ転戦で、もう幾つめぐったことか。長い月日が経った)
鬼灯やおとうと呵(しか)る姉の口
(ホオズキを噛みながら弟を叱る姉。こましゃくれた様子が可愛らしい。我が子よ我が子よ)
旗捲いて歸んなんいざ暮の秋
(軍旗を捲いて、さあ、国に帰ろう。もう秋も終ろうとしている)
二とせや毛の脱け落ちし毛皮韈(けがわたび)
(戦場で履きつづけた防寒用の毛皮の足袋も、すっかり毛が抜け落ちてしまった。もう二年になるものなぁ)
そして、昨日の最後に紹介した句、
短日をかしこう詰めし行李かな
(日が短くなった冬の一日、任地から帰京するために独り暮しの荷物を行李に詰めている。暮れないうちに、うまく詰めおわったことだよ)
いよいよ帰京する、その出発のとき、
見かへるや一とせ棲みし雪の家
(いま発つときに、一年間独り暮しをした下宿屋を振り返って見れば、家はすっかり雪をかぶっている)
冬籠冬休父子閑話かな
(久しぶりの我が家。寒さに家に閉じこもっている。ちょうど息子が冬休みだ。父子の会話でのんびり冬の一日がすぎてゆく)
こうした鴎外の句が私の心に沁みるのは、自分が13歳のときから親元を離れて学校生活をしてきたことと無縁ではない。立場も境遇も年齢も違うが、私もまた幾度旅の支度のスーツケースを詰めたことか。幾度、家を背にしてバスに乗り、列車に乗り、船や飛行機に乗ったことか。たまに会う父と、なんということもない短い会話をしたことか。帰省すると、末の弟が、まとわりつくようにしていたものだ。そして、母からの手紙を何度読み返したことか。その手紙は現在も数十通、保存箱のなかにある。
・・・鴎外は60歳で亡くなった。66歳の私は、いまようやっと、鴎外の年齢としてその句の心に触れなんとしているのだと思う。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 20, 2012 10:12:51 AM
コメント(0)
|
コメントを書く
[詩・俳句・短歌・英語俳句・英語詩] カテゴリの最新記事
もっと見る