2018/04/08(日)13:37
私の体内時計、亡父の金時計
腕時計の電池交換がすんだというので受取に行ってきた。
私は原稿締切など時間に縛られる職業なのに、体内時計ですませて、時計をさほど必要と感じずに30年間くらい腕時計なしでいた。還暦も過ぎて民生委員に就任後、日に数人の高齢者を訪ねなければならないこともあって、私の体内時計で事はすまなくなった。それで購入したのだが、貴金属としての時計にはまったく関心がないので、時間がわかればよいだけの玩具時計だ。それでも電池で動く以上、電池がきれれば交換しなくてはならない。
父が生前、自分の金張りの時計をプレゼントしてくれたことがあった。しばらく使っていたが、あるとき、チームを組んでいたデザイナーの故山本さんの銀座の事務所で打ち合わせをしていて、山本さんが私の金の腕時計に目をとめて「オッ!」と言った。私は恥ずかしくなり、帰宅すると、父に「いらない」と言って返してしまった。その時計、父は死ぬときまで腕にはめていた。入院先の病院で夜中に亡くなり、家族が駆けつけたときにはすでに霊安室に納められてい、後に遺物が返されたのだが、そのなかに時計はなかった。私は、父が功徳を施したのだろうと思うことにした。墓場に時計は必要あるまい。
さて、昼食後から制作にとりかかり、ただいま22時を少しすぎて一日の仕事を終りにした。来週は民生委員の仕事が4件、再来週は美術講義が2回。少しでも制作を進めておきたい。