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「本棚を見ればその人がわかる」とよく言われる。
そうかなぁと思う。それは単にぼくが読む本は、ほとんど図書館から借りているという個人的な理由ばかりではない。 “My library is an archive of longings.” 「わたしの本棚はわたしが求めてきたものの記録」と、スーザン・ソンタグは、若き日のノートに綴っている。 本棚が、その持ち主の過去、現在、そして未来の願望を映し出す鏡であるとしても、例えば書棚の列の中に、孤独を主題とした小説や、メイ・サートンの『独り居の日記』、『ゴッホの手紙』等を見つけても、それは彼女や彼が「孤独」を求めているということではなく、かえって切実に'someone'を求めていた証かもしれない... ちょうど恋人との倦怠期に、胸を焦がすような恋の歌を聴きたくなるのと同じように。 禁酒中の人が「酒」に関する本を夢中になって集めるように。 ぼく個人に関していえば、これまで読んできた本は主に「孤独」や「孤立」「メランコリー」「アンニュイ」「自殺」といったテーマを扱ったものが多い。これが映画になるとその傾向はますます強くなる。 それはほかでもない、ぼくが生きたくても生きられなかったこと、友を得たくても得られなかったことの反転・反照に他ならない。本棚に並ぶ本が写真でいう「ポジ」であるなら、ぼくのこころのなかにはそれらの反転した「ネガ」が散乱しているはずだ。 仮にぼくが読んできた多くの本が今ここにあったとして、それを見てその裏側にあるものを読みとることができる人がどれだけいるだろう。 蛇足を承知で付け加えるなら、「本がある限り、キミは孤独じゃない」なんて言葉をぼくはテンから信じちゃいない。 ドストエフスキーも、ニーチェも、ゲーテも、ヘッセも、漱石も太宰も、ぼくやキミが生きていることさえ知らないんだ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.08 15:21:21
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