カテゴリ:poincare ~ポアンカレ ~
◆小説のあらすじ・登場人物◆は、今回の記事の下のコメント欄をご覧ください ![]() 最初から、または途中の回からの続きを読まれる方は、◆ 一覧 ◆からどうぞ。 ※ 申し訳ありませんが、一覧は携帯では表示できません。 ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ 陽が落ちて、辺りはすっかり暗くなった。 私は吾朗君のアパートのドアの前に立っていた。通いなれたはずのその場所は、一週間経っただけで、どこか余所余所しい感じがした。 通路に灯った蛍光灯の一つが切れかかっていて、ちらちらと点いたり消えたり、さっきから何度も繰り返している。 「せっかく、ここまで来たんだから」 そう自分に言い聞かせて、かじかんだ指先で玄関の呼び鈴をそっと鳴らしてみた。 携帯のアドレス帳からどうしても消すことができなかった吾朗君の名前が、久しぶりに着信画面に表示されたのは昨日の午後のことだった。 電話に出ていいものかどうか迷いはあったが、思い切って出てみることにした。 「くるみ…」 耳元で聞く彼の声に、胸がざわめく。 「どうしたの?」 けれどそれ以上、吾朗君からは何の言葉もなかった。 「吾朗君?」 電話はそのまま切れてしまった。 咄嗟にかけ直してみても、携帯は電波が届かないか、電源が入っていないというアナウンス。家の電話にもかけてみたけれど、いつまで鳴らし続けても吾朗君は出なかった。 少し苦しそうな声だった。どうしたんだろう。熱でも出して寝込んでいるの? すぐに行って確かめたい。でも会ってしまったら、気持ちが戻ってしまいそうで怖かった。 「やだ、それってSOSだったんじゃないの?」 会社の昼休みにベーカリーハウスでランチを食べながら、亜矢と玲菜に昨日の電話のことを話してみた。食べかけのサンドウィッチを片手に、亜矢は身を乗り出して喋り始めた。 「ほら、ドラマとかであるじゃない。何者かに刺されて助けを呼ぼうと思って、知り合いに電話するっていうやつ。あれよあれ。じゃなきゃ自殺を図って死の間際に、とかさ」 「ちょっと亜矢、縁起でもないこと言わないで」 思わず大きな声を出してしまった私に、周りの視線が一斉に集まった。 「声、でかいって」 玲菜が苦笑する。 「ごめん。でも亜矢が変なこと言うから」 「だってさ、苦しそうな声で電話かけて来たんでしょ。断末魔の叫びってやつ以外に何があるのよ」 一向に悪びれる様子もなく、亜矢はそう言ってサンドウィッチを頬張った。 「例えば、ほら、風邪で高熱出して、寝込んでるとか」 亜矢に反論してそう言うと、今度は玲菜が笑いながら言った。 「ホントは会いに行きたいんでしょ? 看に行ってあげたら、って言って欲しいって、顔に書いてある」 「やだ、そんなこと」 「あー、そういうことぉ」 亜矢まで面白がって、私をからかった。 「だから違うってば、そうじゃなくて」 「じゃあ、どうなのぉ? 本当は会う口実が欲しいだけなんじゃないのぉ?」 二人にそんなことを言われて、午後はますます吾朗君のことが気になってしまった。 電話での様子は確かに変だった気がする。万が一、亜矢の言う通り、吾朗君の身に何か起きていたらどうしよう。急に病気になって、一人で倒れているとか。まさかどこかで事故にでも? 次第に不安が込み上げてきて居ても立ってもいられなくなった私は、給湯室からこっそり吾朗君に電話をかけた。でも昨日と同様に携帯も家の電話も繋がらなかった。 思い切って吾朗くんの会社に電話をかけているところに、玲菜がやって来た。電話しているところ、見られたくなかったのに。 「あの、企画営業部の居村さんをお願いします」 あら、やっぱり? 玲菜はそんな顔をしてみせた。 「申し訳ございません、本日居村は休みをとっております。何かご伝言があれば私が承りますが」 「いえ、結構です。失礼します」 電話を切った私を、玲菜が心配そうに見ていた。 「ねぇ、くるみ。会社終わってから、ちょっと様子見に行ってみたら?」 「うん…」 「別によりを戻すとか戻さないとか、あれこれ考えずにさ。ただ何があったのか確かめに行くだけでいいんじゃないの? 元カノとして」 玲菜に背中を押されて、私はやっと会いに行く気持ちを固めた。 呼び鈴を鳴らしてみても、吾朗君の部屋からは何の反応もなかった。 留守なのだろうか。以前ならこんな時には合鍵で入って、中で帰りを待つこともできたけれど、私にはもう合鍵はなかった。 「元カノとして」 ふと玲菜の言葉が頭をよぎる。 私も、紗英さんと同じ、元カノ。 それは苦い寂しさと同時に、もう無理に張り合わなくてもいいんだという安堵のような、不思議な気持ちを呼び起こした。 もう一度呼び鈴を鳴らしてみる。やっぱり何の反応もない。何気なくドアノブに手をかけて回してみる。するとドアは他愛なく開いてしまった。鍵はかかってはいなかった。 吾朗君が鍵を閉め忘れて外出するなんて考えられない。中にいるはず。急に胸騒ぎがして玄関を開けると、奥のリビングに灯りが点いているのが見えた。 「吾朗君、いるの? いるなら返事して」 低く呻くような声が聞こえた気がして、私は慌てて駆け込んだ。 「くるみ? どうして…」 彼は横になっていたソファから身を起し、驚いた目で私を見つめた。その顔はひどく疲れていて、憔悴しきっていた。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○
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