カテゴリ:poincare ~ポアンカレ ~
◆小説のかなり大雑把なあらすじ・登場人物◆は、記事の下のコメント欄を。 最初から、または途中の回からは、◆ 一覧 ◆からどうぞ。 ※ 申し訳ありませんが、リンク先は携帯では表示できません。 ![]() ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○ お正月の病院はどことなく静かだった。外来も休診で、売店も閉まっていた。 元日に病院から少し歩いた所にある神社に、初詣に行こうと琢人に誘われた。ちょうど吾朗ちゃんもくーちゃんも来ていたので、皆で一緒に。 大晦日に聞こえた除夜の鐘は、その神社でついていたものだった。 皆で引いたおみくじ。大吉を引き当てたのに、正直ちょっと複雑だった。 今年の運勢? 私にとって今年ってあとどのくらいあるのだろう。おみくじを引いたことを後悔した。 顔には出さないようにしていたつもりだったけれど、私が素直に喜んでいないと見抜いたのか、琢人がからかうように言った。 「良かったじゃないか、最後に引いたおみくじが大凶ってのも嫌だろう?」 琢人は気が付いていたかなぁ。あの時、くーちゃんも吾朗ちゃんも顔を引きつらせていたことに。 けれど慰めになっていない彼の遠慮のない言葉は、私にはかえって楽だった。変に気を使わないでいてくれるから、私も気を使わずに済む。 「そっか、それもそうだね」 そう言って、笑ったのは強がりなんかじゃない。心からそう思えたの。 年明け最初の土曜日は、この時期にしてはとても暖かかった。 一時帰宅していた入院患者も病室に戻り、病院はいつもの雰囲気を取り戻していた。 「天気もいいし、ちょっと外に出てみないか? 駐車場から中庭抜けてきたら、池のそばの木に黄色い花が咲いていてきれいだったから見に行こう」 吾朗ちゃんに誘われて、外に出てみることにした。 黄色い花、多分それは蝋梅(ロウバイ)のこと。昨年の今頃、私も母を誘って中庭に見に行ったっけ。あれから一年。大きな出来事が重なってしんどかった分、二年にも三年にも感じられた。 中庭には蝋梅を見に来た先客がいた。母がホスピスに移る前に同じ病室にいたおばあさんだった。あの頃から、ずっと入退院を繰り返しているらしい。 おばあさんは車椅子に乗った私を見て驚いた様子だった。 「今、母がいたのと同じホスピスにいるんです」 「そうだったの」 私の言葉におばあさんは目を細めて、少し顔を曇らせた。 「そう言えばあなたご結婚されてたのよね。こちらが旦那様?」 「あ、いえ、結婚はしていましたが、母が亡くなってしばらくしてから離婚したんです。この人は…」 「僕は月野紗英のいとこで、居村と言います」 すかさず吾朗ちゃんがそう答えた。そうだよね、私の母のこと知っている人に「兄」とは名乗れないものね。いちいち説明されても、された方も困っちゃうだろうし。 私もいつかくーちゃんに、自分は吾朗ちゃんのいとこだと、咄嗟に嘘をついたのを思い出した。 「そう、旦那様じゃないの。良かった」 良かった? 私はおばあさんの微笑みに戸惑った。 「どういうことですか?」 おばあさんはクスクスと小さく笑った。真っ白になった髪の毛が、日差しに透けて細く光る。 「だって、旦那様があなたに付き添っていたら、坂下先生が焼きもち焼くじゃない」 何を言い出すかと思ったら…。後ろで吾朗ちゃんまで小さく笑った。 「やだ、何言ってるんですか。母が入院してた頃、ふざけて看護師さんたちに私のこと恋人とか言ってましたけど、坂下先生は患者さんもお見舞いの人も、誰彼構わず自分の恋人って言ってるんですよ。あの先生の言うこと真に受けちゃダメです」 「あら、そうかしらねぇ。そんなことはないと思うけど」 おばあさんはいたってまじめな顔付きだった。 「確かにあの先生、誰でも僕の恋人って言ったりするけれど。レントゲン撮りに行くとき、私にまでデートのお誘いって言うしね。でもそうじゃないの。言っていることは皆同じかもしれないけれど。いつかあなたとあそこの廊下で会ったことがあったでしょう? あなたを見つけた時の先生、嬉しそうと言うか、照れくさそうというか、きっと先生はあなたのことが好きなんだって、あのときに思ったの。あのときのあなたも少し緊張したように見えたから、先生を意識して緊張しているのかと思ったんだけど。違った?」 それは私が吾朗ちゃんのアパートに住んでいることを、琢人に打ち明けた日のことだった。もう私のことに関わらないでと、琢人に告げたのもこの日だった。 「坂下先生のことは別に…。それに私は、もう…」 「もう自分は長くはないから、傷が深くならないように坂下先生にはなるべく関わらないようにしよう、そんなふうに思っているの?」 とても優しいその声が、私の胸を貫いた。 「だとしたらそれは違うと思うの。一般病棟からホスピスに移ったときに、あなたのお母さん、お見舞いに来る人が自分を不幸にするって嘆いていた。皆が自分を可哀想な目つきで憐れむって。私はまだ生きているのに、これから最後の一分一秒まで、もっともっと幸せになろうと思っているのに、そう言ってたのを覚えているわ。あなただって、もっともっと幸せにならなくちゃ」 日の光を照り返してキラキラ光る池で鯉が跳ねた。穏やかだった水面に波紋が広がる。 「それにね、悲しませてしまうことばかり心配するより、あなたにだってまだ誰かを幸せにできる力も時間もあるんだから、今のうちにそれを使わなきゃいけないと思うの。諦めないで。大切な人と一緒に幸せになりなさい」 「紗英、余計なことかもしれないけど…」 それまで黙っていた吾朗ちゃんも口を挟んだ。 蝋梅の花は五分咲きといったところだった。黄色い花の色が、澄み切った空の青さを際立たせる。その青さが私の胸に沁み込んでいく。甘く、切なく、痛い。 私は大吉のおみくじのことを思い出した。今更だよね。今更だけど…。(つづく) ○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○.。.:・°○
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