カテゴリ:どうあっても歴史に残る事
2022年3月18日金曜日
2018年に偶然にウィーンのシュテファンス寺院で知り合った、国立キエフ青少年合唱団の友人達が、プチーン、じゃない、えーっとプーチンとその側近たちによって引き起こされたウクライナ戦争に巻き込まれてしまってから、彼等の安否が気に掛かって、毎日のように日本語とドイツ語の時事ニュースにしがみついているので、この落胆、じゃない、えーっと楽天ブログがおろそかになっていますねぇ。 でも、ニュースを見ているだけじゃ記憶が薄れて行くので、今後の為に印象に残る状況を記しておかないとなぁ~。 おっと、上の写真は2015年に撮られたもので、年長組の間からちょこっと顔を出している団員君がまだ本当に幼げ。 息子達もそうだったけれど、思春期の少年の成長の早い事ったら。 18歳になったこの団員君はキエフから離れて郊外の祖父母の所に身を寄せていますが、ウクライナはまだ寒くて、薬を買うために4時間半も薬局の前に並んだ日は氷点下7°だったとか。 小さな息子のいるお兄さんが志願兵になってロシア軍から街を守っているそうで、家族みんなが団結して故郷を守る覚悟を決めていますが、こちらは気が気ではありません。 もう一人の友人の団員P君は自分の住んでいる家の隣が爆弾で壊されたので、危険から逃れてルーマニアに近い静かな街に避難しているのですが、そこでもサイレンが鳴っているそうで、更に攻撃が悪化するようになって来たら西に避難するかもしれない。 ざっと言うと、ベルリンの中央駅にはワルシャワ駅から到着するウクライナの人達が今は毎日1万人以上になっていて、駅の中に緊急休憩所が設けられている状態です。暖かいジャケットを着ているだけで、みんな本当に着の身着のままで列車に乗って来たのですね。 ベルリンでは今日までに178,000人が登録されていますが実際の数字はもっと上だと聞いています。 この人たちの行き着く先は使用されなくなったテーゲル空港内や、 閉鎖されて何十年も経つ、ヒットラーの建てたテンペルホーフ空港跡に設置された仮設建設。 運が良ければ個人的に受け入れるボランティアや親族など。 ドイツのリトル東京と呼ばれるデュッセルドルフでは今2700人の避難民が来ていて、一部にはライン河に浮かぶ、この船上ホテルが避難民に貸し出されていました。 ところがですよ、戦火を逃れて避難先にたどり着いた18歳のウクライナの少女が、隣の船室にいた交換学生の26歳と37際のナイジェリアとシリアの男達に強○されると言う事件が起きたのです。 何でそんなのがウクライナ人の避難所にいたのかと思ったら、ウクライナで偽造パスを手に入れて、ちゃっかり避難先に紛れ込んでいたんだそう。 成人したウクライナ男性は国外に出られないので、国境では自分たちの本来のパスを見せて、ポーランドに入ったとたん、ウクライナのパスを使って援助を受けられる避難民に成りきる。 それにしても、何日もかけて命からがらロシア兵から逃れて来た少女に、アフリカ人とイスラム人の奴らめ、どさくさに紛れて何ちゅうことを此処でしでかしてくれるんじゃ~。 この事件があってからは、デュッセルドルフ市は女性には男性とは別々の施設を設置したそうだけれど、60歳以上の男性しかウクライナの国外には出られないはずが、何で色の黒い若い男達がその中に混じっているのか、管理者は不思議に思わなかったのかなぁって、そっちの方が不思議じゃ。 (2015年に8万人ものイスラム人がベルリンに避難民として来た時、ケルンではシルベスターの騒ぎの最中に、ドイツ女性達がアフリカ人とイスラム人に暴行を受けたニュースが幾つもありましたよ。) 核を脅しにするピーチクパーチンの戦争にNATOが手出しできないのはわかるけれど、武器を持っていない市民を次々に殺していくロシア軍はただの殺人軍団じゃないですか。 何でこれが戦争なのよ、これは殺人でしょー!! ゼレンスキー大統領がドイツの国会でオンライン演説をしましたが、ドイツがロシアからのガスの輸入を止めない事を批判していました。 ドイツがロシアからガスを買う、プーチンがその費用でウクライナに火をつける、ウクライナが必死でその火を消している、みたいなものだって、CDUの若い政治家が言っていましたけれど、本当だわ。 どうあれ、国と自由を守ろうとする彼の演説はいつも心に沁みます。 自分の自由を主張して戦ったのはウィーンのエリザベスも同じね。 ところでこの問題のロシアからのガス輸入。 元ドイツ首相のシュレーダーがロシアの国営天然ガス会社とばっちり繋がって私腹を凝らしながら、プーチンとも懇意の仲なのでした。 このイーストサイドギャラリーのブレジネフとホネッカーみたいにね。 プーチンは西側諸国の外務大臣たちが、どんなにウクライナへの攻撃を止めさせようと意見をして努力しても、のらりくらりと適当な返事をしてみんなをカンカンに怒らせていましたね。 誰もプーチンの考えを変えさせることは出来ないと、諸国が閉口している最中に、ロシアにいたドイツの特派員が偶然ホテルのロビーでシュレーダーのボディガードに出会ったのです。 特派員なので著名人のボディーガードとは面識があるのですよね。 そこでドイツ政府は初めてシュレーダーが夫人を連れてモスクワに行っていることを知りました。 そうなるとみんなは色めきだって様々な想定を始めましたが、ひょっとすると彼がプーチンを言い含めることが出来るかもしれないという期待もあったようです。 けれど、シュレーダーの雇い主のプーチンが部下の言う事など聞くはずがないと決めつける政治家もいました。 何故シュレダーがモスクワに行ったのか、誰も訳を知りませんでしたが、実はドイツのウクライナ大使が、シュレーダーとプーチンの仲に期待してミッションの遂行を頼んだらしかったのです。 ドイツの時事放談では、シュレーダーを嫌悪している報道記者が「何でシュレーダーがモスクワにいるんだ!」といきり立っていました。 この動画は私のお気に入りなので此処に残しておきます。 サムネイルで左はドイツのウクライナ大使で左はCDU政治家。 人殺しのプーチンと懇意で、人気の良くないゲルハルト・シュレーダーにはRussenn-Gas-Gerdなどと言うあだ名がついていました。 けれどその一方、プーチンの考えを変えることが出来て、悪得シュレダーが平和の天使にでもすり替わったら、自分は韓国人にもさぞ鼻高々になれるだろうとタカをくくったのか、5人目の夫人のソヨン・シュレーダー・キムはインスタにこんな写真を載せていました。 クレムリンを背景にした演出満々の写真ですが、意図が見え見え。 こんな写真を載せるなんて、よっぽど懇談の結果に自信があったのかな。 ドイツの記者の間では、奇妙な写真だとか、自分で撮ったんだろうとか、インスタに載せては消し、載せては消す変な女、とかあまり好評ではありませんが、グーグルで調べたらこの夫婦、似た者同士ですね。 ま、この人たちの事はどうでもいいんですが、プーチンとの会談はウクライナにとって全く無益だったようです。 ウクライナ大使は「悲劇に終わった」と言葉を添えていました。 アメリカ大使が定住先が決まるまで大使公邸で受け入れるとか。戦争が終わらず、ロシア軍が日に日にウクライナを崩壊して行くニュースがストレスになって、矛先をシュレーダーに向けてしまいました。 でも、早くノルドストリーム1の栓を閉めて、輸入先をアラスカに変えてもらいたいですよ。 日本には今日までに73人のウクライナ避難民が来ているそうですね。 日本人と結婚している方の肉親も日本はすぐに受け入れてくれるとか。 悲しい中の嬉しいニュースです。 2022年3月20日 日曜日 |
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