カテゴリ:フロシャウワー隊
(初公開2016年10月1日・2019年10月26日の記事のコメントー再編集2022年) ブルックナーコアの先輩隊 1964年組、フロシャウワー隊。皇室に招待されたのはこの隊が初めてだったのでは? フロシャウワー先生のクラスを引き継いだのは1972年来日のアングルベルガー隊でしたが、私達はその頃、まだその隊がブルックナーコアの名称を持っているとは知りませんでした。アングルベルガー隊の少年たちでさえ、自分たちがブルックナーコアとは知らなかったのですから。 2002年の6月に天皇両陛下がウィーンを御訪問した時に、アウガルテンで歌ったのも何とブルックナーコア。本来はホーフブルクで合唱をお聞きになる御予定でしたが、両陛下はアウガルテンへの訪問を望まれ、少年達はサロンで野ばらを歌いました。そして64年組だったファルナーさんは両陛下のアウガルテン宮殿の案内役を引き受け、日本でもそれがテレビ放送されることをペンフレンドのekさんに書き送ったのです。けれど、ekさんは丁度自分が参加している混声合唱団のドイツ演奏旅行中でした。惜しくも彼女はその番組を見ることが出来なかったのですよ。 この時のブルックナー隊のカペルマイスターはシェベスタ・マルティン氏。1994年から2007年まで受け持っていられたようです。日本には行っているのかしら。 今年(2019年)のブルックナーコアもこの写真がドイツの新聞に載りました。 記事38のコメントの続き---2017年2月から ek 2017年02月11日 16:25 ponkoさん 初めてコメントさせて頂きます。 以前よりponkoさんのお部屋にお邪魔させていただいては、我が人生 最良の日々に想いを馳せておりました。 いつもはこっそり拝見させていただいてはそっと失礼していたのですが、64年組への皆様の熱い想いに つい指を動かしてしまいました。 私が64年組の公演を聞いたのは、4月の横浜文化体育館です。今のようなコンサートホールではなくパイプ椅子が並べられた体育館でした。 友人と「どうしても行きたい!」とやっと手に入れたチケットは残り僅か数枚の時でした。 あの感激は今もはっきり覚えております。 それからと言うもの、寝ては夢 起きては溜め息の日々。 そして その年のクリスマスからメンバーの一人と文通をはじめてました。 あれから50年 今ではお嬢さん達や奥様から可愛いお孫さんの写真をいただいたり、年月の長さをつくづく感じております。 今回のponkoさんの記事に懐かしさが込み上げて、彼が遠い昔(?)に送ってくれた演奏を聞き返したいと思っています。 こうして 沢山の方々が64年組を思ってくださっていること 次回の奥様への手紙に書き添えたいと思っています。 きっと 彼も喜んでくれる事でしょう。 64年組の公演は本当に素敵でした。 合唱 ソリスト素晴らしい歌声がまだ胸の奥で響いています。 ponko310 2017年02月13日 01:31 ekさん 64年組の横浜コンサートに行かれた方なのですね。 ムムムㇺ、何と羨ましい~。 会場の様子まで書いてくださって、実感が湧いて来るようです。 その64年組の団員の一人と、なんとその年からの長いお付き合いがあるekさんは私にとってファンの大先輩です~。 この記事を読んで、自分の懐かしいファン時代を思い出してくださってありがとう。 ekさんのコメントはきっと他のオールドファンの気持ちを揺さぶってくれることでしょう。 同じ思いを抱いているファンの方はまだ沢山いると思いますから。 64年組の歌声は今もまだ私達の胸に残っていますよね。 そのメンバーを愛して彼に幸せなご家庭を作ってくれた奥様にはぜひ私達の感謝の気持ちをお伝えくださいな。 そしてそのメンバーだったどなたかにも、心からのご挨拶をお送りします。 yuichann 2017年02月13日 21:38 ponko様 こんばんわ!お久しぶりです。 64年組は「横浜文化体育館」でのコンサートだったんですね。 ステージ上で花束をシャーリングさんが持っている写真が出てきました。(テレビを撮影したものかな?)同級生から貰ったものかもしれないです?写した記憶がありませんから・・・。 残念ですがアルト側ではないんです。オペレッタの写真は、ミュルナーさんが写っています。 感激のお言葉を待っています! ponko310 2017年02月14日 07:01 yuichannさん 懐かしい写真が見つかってよかったですね。 64年組のファンにとっては羨ましい限りです。 これからも大切に保管なさってください。 越後の雪椿 2017年03月06日 19:22 ponko様 今日3月6日は'64組のエーリヒ・シャーリング氏のお誕生日。65歳かあ。いいお爺さんになられているでしょうね。あ!またへばりつき病が出た(苦笑) ponko310 2017年03月06日 21:56 越後の雪椿さん そうなんだ、今日は彼のバースデーだったのね。 65歳じゃきっと大きなお祝いをしていると思うわ。 ひょっとして日本のファンからカードが届いているかもしれないわ。 今でも彼のファンはいっぱいいるんじゃないかな。 ek 2017年03月07日 22:05 Ponko様 先日は私の拙い書き込みに素敵なお返事頂き感激致しました。 あれ以来、どっぷりと64年に戻ってしまって、彼から届いた手紙を一通目から読み返してしまっています。昨日1995年まで到達しました。 67年に退団した彼は、音楽を専攻し、学校のカンマーコアーやオーケストラに在籍し、ウィーン少年合唱団の時同様にヨーロッパ 各国、アメリカへと飛び回って素敵な演奏を披露し、またコンペでもご活躍なさっていました。残念ながら私はレコードでしか聴いた事がないのですが。また、コルス ヴィエネンシスの一員として歌われていました。 卒業後、国営放送局でサウンドエンジニアとしてお勤め。 1978年にホーフブルクで挙式。お相手は1974年に彼のお家にお邪魔した時にお部屋飾られていた方。妹さんが彼女だと教えてくれました。1979年にお父様になられたそれからの彼の手紙はまるで育児日記の様です。 彼の手紙には懐かしいお名前が時々登場。昨日読んだ手紙には21名名前が書かれていましたよ。 なんだか彼の履歴書みたいになってしまいましたね。 あ~なんだか 寂しくなってきました。気分UPしてきます。 長々とお邪魔してしまいました。ごめんなさい。 ponko310 2017年03月08日 08:14 ekさん 何だか寂しくなってきましたって、こっちまで感染しましたよ~。 昔の手紙を読んでいると、去ってしまったそのころが思い出されるんですよね。 今が幸せじゃない訳じゃないんですけれど、純粋に心を弾ませたあの頃が懐かしい~~。 67年に退団した64年組の方というと、ちょうどそのころ退団した私のウサギちゃんと同期ですよ。 私の交際のある元団員達は揃いも揃って音楽の道には進んでいませんが、その方は音楽関係を保たれたんですね。 お子さんが生まれてから育児日記のようになったお手紙も楽しそうです。 こちらの男性は育児にも興味があるので、きっとお話が弾んだことでしょうね。 その方が日本公演を終えてからの学校での経過や結婚や育児など、一緒に会話なされていままでに至っているなんて素敵な友情だわ。 ハルハマ―さんが亡くなってしまったのは残念だけれど、そのほかの方はみんなお元気に暮らしていらっしゃるといいですね。 64年組は何といっても一番最初に憧れて、全員の名前と顔を覚えたクラスですもの。 yuichann 2017年08月25日 20:40 ponko様 ご無沙汰しております! 毎日暑い日が続いて、蕩けてしまいそうです。 写真の方、もしかしたらロスナーさん?お兄さんのヨハンさん。違ったら申し訳ないですが?恥ずかしいですね。 ponko310 2017年08月25日 21:07 yuichannさん おっと、蕩ける前にこちらに来てもらいたいわ。 大切なオールドファンには健康に気を付けてもらわなくちゃ。 こっちはもう朝晩肌寒くなってますよ。 この写真の方、あなたの挙げたお二人さんじゃないですねぇ。 うふふ、このコメントをグーグルの訳でちゃんと読んで下さっている元団員の方々がいらっしゃいます。 私みたいにyuichannさんのコメントにくすっと笑うかもしれませんね。 Yuichann 2017年08月26日 09:02 ponko様 失礼しました❗ ファルナーさんですか? わー分からないです。 old失格ですね❗ 笑われても仕方ないです! ek 2017年08月26日 21:45 Yuichannさん ファールナーさんのお名前出してくださってありがとうございます。 彼でないのが残念ですが、Yuichannさんが名前を出してくださったおかげで、私 ファールナーさんは今頃どんなお顔になっているかな~って想像させていただきました。 私の中のファールナーさんはこの方よりずーっと若いままですから。 越後の雪椿 2018年04月14日 20:57 ponko様 ご無沙汰しております。久しぶりの書き込みになりますがブログは読ませていただいております。 一週間ほど前あるラジオ番組で「合唱」を取り上げていてその中で「今流れている歌は「ふるさと」で歌っているのは世界で最も有名なwskで1960年代には少女雑誌の表紙を飾ったほどでアイドル的存在でした。」と女性アナが言うと「僕は知りません」と男性アナ。知らない筈彼らは20~30代ですからね。 もうすぐ来日するwsk。今年もわが県には来られないですね。招へい元がテレ朝の頃は必ず来てくれたのに・・。 ek 2018年04月15日 02:27 越後の雪椿様 お久しぶりです。 お話くださったラジオ番組オールドファンには嬉しいですね。 雪椿さん、Ponkoさん あの頃確かに彼等はアイドルでしたね。と言うよりアイドルとして大騒ぎされていましたよね。 発売されていた少女雑誌には毎週 特集が組まれ、今回Ponkoさんがご苦労くださったゲッティンガーの旅日記のように合唱団の行動がわかっていましたものね。 誰が一番人気かとか人気投票もありましたね…(笑) 当時の招聘元がNETと呼ばれていた時代。朝の情報番組に生出演 ミニ演奏会を披露してくれましたよね。単なるバラエティー番組にちょっと出演みたいな1~2曲だけの登場ではなく、「天使の歌声」「はるばるやってきた音楽の使者」みたいにちゃんと彼等を演奏家として紹介、番組内で時間を取ってくれていましたよね。毎年 こどもの日には彼等のコンサートの模様が録画放送されていたように記憶しています。テレビに映し出された少年達はまだ小中学生の年頃なのに、きりっとした姿が落ち着きと気品にあふれ 真っ直ぐ前を見てインタビューにも答えていました。 自分より年下のあの幼い少年達のその清らかな姿に憧れたものです。そして歌い出すとそれは単なる憧れだけではなく、尊敬さえ生まれたのです。私にとって彼らはアイドルのような熱い思いに加え、有る意味 教師でもありました。彼等の演奏する曲 作曲家に興味を持ち 素晴らしい音楽の世界へ導いてくれました。 私にとって 彼らは単なる一時的なミーハーなアイドルではなく、今でさえ永遠のアイドルとして存在し続けています。 きっと 雪椿さんもPonkoさんも ここに集うオールドファンの皆さんも同感!って言ってくださるのではないかな~!? ponko310 2018年04月15日 06:03 越後の雪椿さん 読んでますよ~って声を掛けてくれるだけでも嬉しいですね。 今年もそちら方面に合唱団が行かなくなってしまったのは不思議で仕方ありません。 何故なんでしょうね。 ところで私は去年来日したモーコアをベルリンに聞きに行きますよ。 4年ぶりのウィーン少年合唱団です。 一昨年のレーゲンスブルクも去年のドレスデンも良かったし、ウェストミンスターなんてもう、ボーっとするくらい素敵でしたから、楽しみが増えました。 ponko310 2018年04月15日 06:41 ekさん 同感で~す。 はたまたあの時代の思い出を熱く語ってくださいますな。 昔の彼らの気品ある姿を思い出しますわいな。 でもね、先日見たベルリンフィルでのライヴのフランスの少年合唱団は腕を後ろに組んできりっと歌っていたわ。 もう、胸を張って腕を後ろに組んで歌ってるだけで感激するようになちゃった。 情けない。 ek 2018年04月16日 04:57 Ponko様 私達の目に心に焼き付いたウィーン少年合唱団の姿と重ね合った感激を情けないとは何事ですか! 私達にとってのあのウィーン少年合唱団の立ち姿への憧れは青春時代の大切な宝物の一つ。 それを求める思いを情けないとは…情けない! なんて、Ponkoさんに対して生意気な事を言っている私こそ情けない!ですね。 フランスの合唱団が…そうですか。さぞかし美しかった事でしょう! ponko310 2018年04月16日 06:42 ekさん あなたの言葉にガッツ玉3つ。 ではお言葉に甘えて当時の彼らを反映する姿にこれからも簡単に反応させていただきます。 もっとも私のはパブロフの名を受けてタヌキの条件反射になっていますけれどね。 1964-1967 2018年11月26日 17:24 このブログを見つけ懐かしさでいっぱいです。私は、1964年組をリアルタイムで聴いていた”おばあさん”です。また時々参させていただいて良いですか?楽しいお話を楽しみにしています。 ponko310 2018年11月26日 18:37 ようこそ1964-1967さん 当時の合唱団を知っている希少な方がまた新しく現れて下さって嬉しく思います。 私はテレビでしか聞いたことが無かったのですが、64年組の歌声には映画の「青きドナウ」の時のような感動を受けました。 ekさんやピンクのワンピースの友人のように生で聞かれた方が羨ましいです。 あの隊はやっぱり私に取って未だに一番の憧れです。 1964-1967さんもこのブログでは歳は関係ありませんからね。 どうぞ気軽におしゃべりにいらしてください。 楽しみに待っています。 1964-1967 2018年11月30日 23:14 ponko310 様 温かいお返事ありがとうございました。嬉しいです。 私は1964年に偶然にテレビの放送を見てすっかり合唱団に"取りつかれて"しまい母にせがんで公演に行かせてもらいました。幸いにもけっこういい席で団員一人一人の顔がはっきり見えたのを覚えています。 因みに、私は青きドナウは当時は知りませんでした。つまり、いきなり64年組を見てファンになったわけです。青きドナウを観ていたらもう少し早くファンになっていたでしょうね。 既に他の方が書いていらっしゃったら申し訳ありませんが、来日当時最年少だったファールナーさんはORFの技術担当で、CDやニューイヤーコンサートにもお名前が出ていました。 他にも皆さんよくご存じなので、お話を楽しみにしています。 ponko310 2018年12月01日 06:26 1964-1967さん あのテレビ番組の場面をいくつか覚えています。 レオポルド君が歌いながら微笑んで仲間と目線を交わしていたのを誰か見たかしら。 それにうつむき加減のヨハン君の訴えるような不思議なアルトの歌声。 ワルター君もエーリヒ君も覚えています。 だけど私が好きだったペーター君もフェルディナント君もおかしなことに覚えていませんよ。 ファルナーさんの事が書いてあるekさんのお話は記事160から連載で載っています。 良かったら訪問してくださいね。 あの合唱団を良い席で聞けたなんて私には夢のようです。 私が初めて最前列で聞けたのは72年組でしたが、その時はまだ心を寄せていなかったクラスだったのです。もう、ついてな~い。 ek 2018年12月02日 00:06 1964-1967様 またお一人お仲間が増えて嬉しいです。私も64年組から熱烈なファンになったおばあさんです。 どうぞ、よろしくお願いいたします。1964-1967さんがファールナーさんのお名前に目を止めてくださって、このお部屋にコメントを書き込んでくださった事 嬉しかったです。あの64組からのファンの方の中に 彼の足跡を感じて下さることを知る事は私にとって本当に嬉しい事です。長年期に渡り、彼のペンフレンドでいられた事は、光栄な幸せな事でした。このお部屋にPonkoさんが沢山の彼の明るく歌う天使の姿を残して下さって、私にとってはこのお部屋は 大好きなこのブログの中でも、格別な宝の部屋です。私にとってはシェーンブルン宮殿以上の大切な所です。もう会えない彼に会えるんですから。こんな話をまたしてしまって、Ponkoさんや皆さん笑われてしまいそうですね。これからも、1964-1967さんの熱い思いをお聞かせください。 ek 2018年12月02日 00:21 Ponko様 また新しいお仲間が増えて嬉しいですね。Ponkoさんのこのブログのお仲間の多くは64年以降の方々の様に思っておりましたが、このお部屋の長さ コメント数が延々と続いている熱さに皆さんの思いが伝わって来ますね。やっぱり64年組万歳!です。 素敵なお部屋を作って下さって感謝しています。これからも、どうぞ折に触れ、玉手箱の様に開けると夢の国にいざなってくださる記事をよろしくお願いいたします。 ponko310 2018年12月02日 04:34 ekさん 本当にそうね。 64年組を懐かしいと思っているオールドの方はもっといると思うけれど、この歳ではインターネットをやっている方に限りがあるのでしょうね。 だから偶然此処に来てくれた方たちは何かの縁があるのかもしれません。 私もPCをやっていなかったらブロ友たちの存在を知らなかったし、その方たちのお蔭で沢山の熱い思い出が詰まったブログになっています。 特にオールドファンのお部屋は私だけのブログじゃなくなっていますからね。 嬉しいコメントのお蔭でこのブログは勝手に歩いてくれているみたいです。 だから、私は私の道を行きますよ~。 Yuichann 2018年12月02日 17:08 Ponkoさん、「私の道」楽しみにしています。 ekさんいつも素敵なお話ありがとうございます。私まで嬉しくなってしまいます。(穏やかな気持ちになります)1964-1967さんのお話も懐かしく読ませて頂きました。64年組最高ですよね!来年の1月3日フロシアウアー先生の息子さんのコンサートを横須賀芸術劇場へ聴きに行きます。 ponko310 2018年12月02日 19:23 Yuichannさん 私の道はタヌキのけものみち。 それでよかったら踏み込んできてください。 うふふ。 フロシャウワー先生の息子さんのコンサートを楽しんでいらしてね。 声を掛けてみてくださいな。 お話を待っています。 1964-1967 2018年12月02日 23:59 Ponko 様 ekさんのお話早速読ませていただきました。ご案内有難うございました。 私にとって64年組は永遠に別格なのです。当時の時代背景と共にあの時のままが心に残っています。 それから、私もテレビにかじりついて見ました。そして、画面を写真に撮ったりました。白黒です。けっこう良く撮れて今もスクラップブックにはってあります。懐かしいです。 1964-1967 2018年12月03日 00:27 ek様 コメントを有難うございした。 こちらこそよろしくお願いいたします。 私が行ったのは、6月4日の東京厚生年金会館での最終公演でした。チケットを買いに行ったのが遅かったのでそれしかなかったのです。席もお店の人が選んでくれて、それがけっこう良い席だったのでうれしかったです。 ファールナーさんの事は前に書きましたが、CDやテレビでお名前を拝見していましたし、Chorus Viennensisにいらっしゃった頃のお写真も拝見しました。子供の頃と変わらず優しいお顔ですぐにわかりました。眼鏡をかけていらっしゃいましたよね。長年にわたってek様のような良いお友達を持たれてお幸せだったと思います。また色々なお話を聞かせてください。 1964-1967 2018年12月03日 00:31 Yuichann様 64年組しか眼中にない私ですが、宜しくお願い致します。 皆様の懐かしいお話を読ませて頂くのがとても楽しいです。 ek 2018年12月03日 06:37 yuichann様 私には、もったいないお言葉ありがとうございます。 また自慢話?ってPonkoさんに笑われてしまいそうですが、幸いな事に私は、もったいない程の友達に恵まれました。ファールナーさんからの手紙からは、毎回 私が64年にステージ上で見たあの柔らかいふわ~んとした優しさが届いていました。 彼の音楽に対する思い、ご家族に対する思い、ずっと変わらず温かさに満ちたものでした。 沢山の素晴らしいペンフレンド達 そして、Ponkoさんのブログで出会えたやはり熱く優しいお仲間たち。 素敵な時を本当にありがとうございます。気持ちの通じ合う仲間とのおしゃべりは本当に楽しいですね。 これからも、どうぞよろしく素敵なお話聞かせてください。 ek 2018年12月03日 07:10 1964-1967様 なんて凄い事でしょう! 1964年から、同じようにWSKに魅了されたお仲間の中にファールナーさんの退団後の事を詳しくご存知な方がいらしたとは! 私 時折思うのですが、1994年に64年の演奏旅行を懐かしんで 全員集合で集ったあの同窓会。 毎年世界中を飛び回っていた彼らが、なぜ30年を記念して全員参加なされた位盛大に開催したのか? 毎年同窓会開催してもおかしくない程のご活躍なのにって。 それだけ彼等があの演奏旅行を大切な思い出として位置付けて下さっていたって思って良いんですよね? 私達の熱い思いが届いて、21名の団員の皆さんのみならず、先生方や団長さんまで集い 語らい 当時の映像に大笑いなさり、懐かしんでくださったのかな?と。 私達 ファンの熱さが届いたと自慢しても良いんですよね? どうぞこれからも 熱い思いお聞かせください。 1964-1967 2018年12月03日 10:58 ek様 私も初めはオールドファンの方たちといっても、1967年組以降の方が多いのではないかと思っていました。64年組は「あの伝説の」とか言われて、あまりに昔過ぎて思い出話をするのさえ憚られるような雰囲気もありましたが、ここでは沢山の方が沢山の貴重な思い出を話していらしゃるのを知って嬉しくなりました。 卒業生全体の同窓会は、毎年か数年毎かにアウガルテンで開かれているようです。半年にもおよぶアジアへの大演奏旅行は団員達の素晴らしい思い出になっていることでしょう。昨年タイマー組が大ツアー後50年を記念して、集まったり当時の記録や写真などをデータ化して皆に配ったと聞きました。それぞれの組で「記念行事」のようなことが行われているようですね。 ponko310 2018年12月03日 19:13 1964-1967さん そのスクラップブックを持ってぜひベルリンに来て下さい!!! 1964-1967 2018年12月05日 15:31 64年の事では、その昔、シャーリングさんからの手紙を見せてもらったことがあります。当時は団員から手紙をもらうなど夢のまた夢、しかもそれがシャーリングさんからとなれば、物凄く大変なことでした。それで私の頭が追い付けなかった為か、せっかくそんな貴重なものを見せてもらったのに不思議なことに予想していたような感動というか驚きは、なぜかあまりありませんでした。ドイツ語だったので全く読めなかったし、唯一読めたのは最後の名前のところだけでした。見せてくれた人に「なんて書いてあるの?」と聞けばよかったのにそれすら頭に浮かばなくて、見せてもらって何も読めないまま「はい、有難う」と返してしまいました。全く何をしていたのでしょうね、私って。 Ponko 様 72年のソリストだった、ほらあの~、そうそうヘルベルト・ベックさんはご自分で合唱団を持っていらっしゃるとyou-tube か何かで見ました。 ponko310 2018年12月05日 19:46 1964-1967さん コメントはその記事に関連したことなら、どこに書き込んでも新着コメントとしてブロ友さん達の目に付きますからいつでもおしゃべりに来て下さいね。 シャーリングさんのお手紙を見せていただいたときの反応は何だか私にもわかります。 人生経験の少ないナイーヴな頃はどんな素敵な事にぶつかっても上手く対応できないものじゃないですか? それほどの感動が無かったのも自分に関しての手紙じゃなかったからかもしれませんね。 でもその思い出だけは残った。 今こうしてそれが話せるってやっぱり素敵なことだわ。 ベックさんはザルツブルグで指揮のお仕事をされているみたいですから合唱団を持っているのは可能性がありますね。 その動画が見つかったらリンクを教えて下さいね いるかどうかまでどうも分からないですねぇ。
1964-1967 2018年12月26日 11:26 ponko 様 遅くなって失礼しました。 concentus vocalis でその合唱団のHPに行けます。良かったら見てください。 それから、物凄く嬉しいことがあたのですが聞いていただけますか? 64年組ではないのですが、長~~い間あこがれていたある元団員の方と偶然に連絡が取れました。最高のクリスマスプレゼントになりとっても嬉しいです! どうぞ ponko さんも一緒に喜んで下さいね! ponko310 2018年12月26日 19:34 1964-1967さん ベックさんの指揮する合唱団を見つけました。 なんて素敵な合唱なんでしょうね。 あの華奢な体つきだったベック君がすっかり貫禄のある男性になっていました。 同じクラスだったルカにも聞いていましたが、素晴らしい指揮者です。 そんなに長く憧れていた元団員の方と繋がりが持てたのは私にも嬉しい知らせです。 これからもその方との連絡が続きますように。 素敵なクリスマスプレゼントに乾杯。 1964-1967 2018年12月29日 15:47 ponko 様 ベックさんの合唱団楽しそうですね。CDも出ています。 ponko さん一緒に喜んでくださって有難うございます。あまりに嬉しかったのでお知らせしましたが、まるで子供の様だって笑われてしまいそうですね。このブログで皆さんとお話しが出来たから、嬉しいこともあったのかなと思っています。来年もこのブログが盛況でありますように、そして皆さんにとって良い一年でありますようにお祈りしています。 ponko310 2018年12月29日 19:13 1964-1967さん 青春時代の憧れの人からの連絡なんて、子供に返って大喜びするのは当然です。 大いに狂喜しましょう。 そんなことが経験できる人はこのブログのオールド達しかいないかもね、うふふ。 外見はともかく、ファンも元団員達も心の中は当時のままですからね。 オールド万歳ですよ。 来年からは此処だけでなく他の場所にも顔を出してくださるのを楽しみにしていますね。 1964-1967 2019年01月01日 23:43 ponko 様 有難うございます。67年からは、ファンのお友達もできて沢山の情報を頂けるようになりましたが、64年のはあまり無くて結局当時少女雑誌に出ていたものくらいしか私は持っていないのです。 やっぱり私は64年組が一番好きですね。かなり偏った好みとは思いますが・・・ あと、映画「野ばら」の中で山荘に向かうバスの中で歌われている曲が何かご存知の方があったら教えてください。ネットのどこかで、楽譜を見たことがあるような気もするのですが、はっきりしません。 貴女の大切な合唱団の思い出の一部を打ち砕くようなことを言ってとっても申し訳ないのですが、言ってもいいでか・・・? 怒らないでくださいね・・・ このページに紹介されている64年組のビデオの子守歌ですが(私もこれが大好きで何度も聴いています)このソプラノはリヒャルトさんではなくて、彼が入団する以前に既にレコードとして発売されていたものの中に入っているものです。元団員の方も「彼はアルトだったし」とおっしゃているそうです。確実にあの64年組が歌っているとわかっているのは、帰国後録音されて日本でもすぐ発売された「ウィーン少年合唱団と世界一周」というレコードです。 ponko310 2019年01月06日 06:45 1964-1967さん あっはっは。 ウィーン少年合唱団の動画や写真など、実際にその団員が歌っていないものなんて沢山有り過ぎて何を信じて良いのか判らないと言うのが現実なんですよね。 知らぬが仏で、青きドナウのトニー少年の歌声や野ばらのトニー少年の歌声は私はインターネットをやりだすまで彼らの本物の歌声だと思っていたんですからね。 リヒャルトさんやスメタナさんが実際にあの歌声ではなかったとしても、彼らの姿はあの声に相応していると信じるのも楽しいものです。 ファンの間では誰が歌っているのか名前を知りたがっている方が沢山いますが、それは素敵な曲を聞いてどの作曲家が作ったのだろうと知りたくなるのと同じですね。 ましてや、たった4年間で失われていく少年の歌声ですもの。 その素敵な歌声が誰のものだったか記録に残してくれたらよいんですのにね。 私は美しい歌声を聞いて、それに合った少年の姿を想像するのが大好きですから、誰の歌声でもいいんですよ。 私の思い出も夢も打ち砕けることはありませんから、そう言う興味あるコメントはいつでも歓迎です。 このアホでいい加減なブログが賢明なブロ友さん達のお蔭で少しはきちんと立てているみたいで嬉しいです。 yuichann 2019年01月06日 10:53 今年もよろしくお願いします! 64年組の歌声の映像日本の何処かに有ると信じて探しているのですが?なかなか思うように行きません。半世紀以上前なので主催者が分からなかったり、会場がもう無かったりしています。数年前にNHKで初来のWSKの映像を観ました。NHKのライブラリーには55年の映像があるみたい?NET(テレビ朝日)にはもう無い!残念! 1964~1967さん「野ばら」バスの中で歌っている曲は多分「歌声響けば」だとおもいます。昔、NHK「みんなの歌」で歌われていた様に記憶しています。1937年「野ばら」の前にも似たようなドイツ映画が有りましたね?ponkoさん何という題名でしたか?ウイーンの孤児の少年?(直訳なので)何とかという題名だったか?その中でも「歌声響けば 」が歌われていた様な気がします? 記憶が定かでは有りません、違っていたらごめんなさい! ponko310 2019年01月06日 19:32 yuichannさん 64年組のテレビ放送、何とか探し出してください。 お答えするのを忘れましたが、バスの中で歌っている合唱は確かに「歌声響きけば」ですよね。 でも映画「野ばら」ではなくて、「高らかに鐘は鳴る」の場面です。 野ばらでの合唱は山へハイキングに行くときの行進でした。 1937年の野ばらの前の映画ねぇ。 知らないか忘れたかのどっちかです。 yuichann 2019年01月14日 13:57 Ponkoさんのブログからヒョンな事で昔のwsk関連の映画にたどり着いたのです。それが「ウイーンの孤児」(邦題)でした。(1937年製作) その約20年後にリメイク版「野ばら」(邦題)が製作されたそうです。1937年頃は、あのウイーン少年合唱団に似た合唱団がいた頃ですね。あと、戦後のウイーン少年合唱団が舞台になっていた(題名が分からない)話が有りましたね?駐留米軍とウイーンの女性との間に生まれた少年が父親を探すためにウイーン少年合唱団に入ってアメリカ公演に行く話、だったかな?この話はPonkoさんのブログで見たような?そうでない様な?思い違いかな? 日本映画「ジェミニYとS」正確な題名をわすれましたがこの映画はウイーンで撮影し、ウイーン少年合唱団がちょっとだけ出演しています。 64年組とは関係無かったですね。失礼しました。 また、お邪魔させて下さい! ponko310 2019年01月14日 22:04 yuichnnさん 何処にでもオールドの方の憩いの場所があるなんて嬉しいことですね。 1937年の「野ばら」もどきは白黒映画で記事の121のpfirsichchenさんのコメントに書いてある映画ですね。 動画を見つけたので121の記事を編集し直して一部を貼り付けました。 yuichanさんの言うもう一つの映画は記事の134に書いてあります。 今年もこの映画がドイツで再放送されて、また最後の部分で涙が出ました。 ジェミニYとSの映画もネットで調べてみました。 表紙にウィーン少年合唱団の写真が小さく載ってましたね。 少年たちはどんな役割りをしていたのかしら。 yuichann 2019年01月15日 11:28 ponkoさん 有り難うございます! 早速鑑賞させて頂きます! 越後の雪椿 2019年02月11日 16:45 ponko様 シャーリング氏が載っているというWSK2006年日本公演のパンフレット、ヤフオクでやっと手に入れました! 手にするまで3年以上かかりました!内容は以前「ショパン」に載っていたのとほぼ同じでしたが、昔の事は覚えてないそうです。そうですよね。私と同い年なのですが、私だって子供の頃の事は多く記憶してませんから(笑) キリアン氏の事も載ってましたよ。 ’99年に誕生した長男を抱いたキリアン氏の写真が載っていました。端正な顔立ちは中年になられても変わっていません。’67年以来一度も日本に来た事がなく、定年退職されたら奥様と一緒にゆっくりと訪れたいそうです。’04年から毎年9月に合同同窓会が開催されるようになったそうです。キリアン氏は仕事の都合でまだ一度も参加されたことがないそうです。次回はぜひ参加したいとの事が載っていますが、13年も前の記事ですから、その後来日されたかもしれないし、同窓会にも出席されたかもしれませんね。残念ながら知るすべがありません。 シャーリング氏、結婚セレモニーはホーフブルクカペレにてウベエ・タイマー氏の指揮のもと、後輩団員達のコーラスにより祝福を受けたそうです。 退団後はWSK時代のメンバーと会う事は’94年のフロシャウワアー組の同窓会を除けば全くなく、個人的には同じ町出身の元団員とたまにコンタクトとる程度だそうです。 ponko310 2019年02月13日 20:54 越後の雪椿さん わざわざオールド達の為に詳しいご報告をありがとうございます。 13年も前の事なんですね。 1990年に生まれた息子さんももう成人なさっていますね。 ついでに言えば、去年のタイマー隊の同窓会の写真にはキリアンさんのお姿がありました。 連絡の取りようが無いのでブログに無断に載せられないことをお伝えしておきます。 シャーリングさんの情報は13年前と言えど貴重ですね。 結婚式もホーフブルグカペレなんて、すてき。 Yuichann 2019年02月18日 18:38 Ponkoさん 越後の雪椿さん素敵な情報をありがとうございます! ホーフブルクカペレは彼らにとってとても大切な場所なのですね!改めて大切な人生の節目の場所だと感じました! 観光客としてウロウロしていましたが今度行く時はしっかりと感じられる様にしたいと思います! ponko310 2019年02月18日 19:41 Yuichannさん 観光客としてHBKに行ってみただけでも1971年の私はあなたに及びませんでしたよ。 私はその近くにも行っていませんでしたからね。 2013年に45年ぶりにウィーンに行って(記事63)HBKの後ろからあのステンドグラスを見た時、初めて物凄い羨望に駆られました。 そしてサクレスタイ(控室)で見たミサよりも祭壇の近くでコラルスコラを聞いたミサの方が断然素敵でした。 ryo 2019年08月29日 01:09 ponkoさまのブログに集う皆さま、はじめまして。私はエーリッヒ・シャーリング君にウィーンショックを感じて以来、ponkoさまの言葉をお借りするなら、心はずっと64年組にへばりついています。なので、少年たちを一流の芸術家に育ててくださったフロシャウアー先生の訃報は未だに信じられません。 1993年12月号、1995年2月号の「ショパン」でシャーリング君の情報を読んでから20年以上経ってしまって、検索しても無理だよねと思いつつも検索したのです。そして、なんと!ponkoさまのブログをはじめ、いくつかのブログがヒットしました。もうびっくりでした。 それからは夜な夜なお邪魔しています。私もお話ししたいと思いながら、情報満載のponkoさまのブログ、読むのが先になってしまい、ようやく足跡を残せました。また、おしゃべりしにきます。よろしくお願いします。 ponko310 2019年08月29日 01:48 ryoさん ようこそポン子ぶろぐへ。 伝説の64年組の忠実なファンがまた一人出てきてくれました。 67年組のファンの方のブログに出会ってから、滅多にいない64年組のオールドファンが現れてくれるのを期待してこのブログを立ち上げて良かったと思っています。 シャーリング君のファンの方はブロ友さんにもいますから、お話が弾むかもしれませんね。 読んだ記事の中でおしゃべりしたいお部屋がありましたら そこでまた会いましょう。 どこのお部屋もドアが開いています。 楽しみにお待ちしていますね。 1964-1967 2019年08月29日 10:48 ryo 様、ponko 様 64年組大好きのお友達が又できてとっても嬉しいです。 また、懐かしいお話ができることを楽しみにしています。 ponko310 2019年08月29日 16:34 1964-1967さん これからも読むばかりではなく、青春時代の懐かしい私達の団員達の思い出を一緒におしゃべり出来る仲間が「私も」って出てきてくれると嬉しいですね。 あら、ekさん何してるのかしら。 美味しいお菓子を頂いて、口の中がいっぱいでしゃべれないって? お太りになられませんようにね。 ek 2019年08月30日 05:30 ryo様 はじめまして!お仲間に加わってくださって嬉しいです。これからもエーリッヒさんのことのみならず 64年組愛をお話くださるのを楽しみにしております。(もちろん64年組に限った事ではありません) よろしくお願いいたします。 遡る事半世紀以上。そんな長い年月なのに....。でも その時にかかった高熱は未だに下がらず Ponkoさんのご診察通り私のへばりつき病は治りません。 ここは、ちょっとマニアックなブログで、驚くことばかりの私です。 ブログ主のPonkoさんを筆頭に皆様の探求心や知識 記憶力は全く老を感ずることのない若さです。 ですから、私もちょっぴり若い気持ちのままでいさせていただいています。 正直を申せば、今まで私はレコードやCDに納められているsoloistさんのお名前を気にすることなく、ただ好きな歌声 声質に感動をいただくだけでした。ここに集う皆様のそれはそれは素晴らしい探求心に脱帽している今日この頃です。ryoさんもきっといろいろご存知の事と思います。どうぞその物知りを私にもお分けくださいませ。 Ponko様 新しいお仲間の出現 \(^-^)/三唱ですね。 そうなんです。優しい友がくださったお菓子の袋を片時も離さず....って訳にはいきませんが、その優しさに心が癒され ぶくぶく太ってしまいそうです。素敵な歌声を聞きながら、傍らに美味しいお菓子....なんて幸せな事ですよね。 ponko310 2019年08月30日 17:41 ekさん 私はチロル旅行で美味しいものを沢山食べ過ぎて3キロも太りました。 だからいまは大好きなポテチはこの3キロが減少するまで我慢です。 元に戻ったら今度は冬に向けて脂肪を付けるためにポテチを・・・・ルンルルン。 新しいオールド出現に乾杯。 ek 2019年08月30日 20:43 Ponkoさん チロルの清々しい空気と景色でさぞかし食事が美味しかったのですね?3キロですか?私は74年のあの旅行で10キロ痩せましたよ。同行の友は反対に10キロ太って帰ってきました。(笑) 憧れの友達を前に緊張の夏でしたから。 それにあの頃の東欧は…。 オーストリアに戻った時は物凄い食欲でした。でも友の前では、お上品に。 なんの話しているの?私達(笑) ponko310 2019年08月30日 21:20 ekさん ホント、此処は64年組の思い出話の場所なのにね。 お菓子とコーヒーカップを持って他の場所に移りましょうよ。 ryo 2019年09月01日 00:55 「フリースの子守歌」は私もスメタナ君とリヒャルト君が歌ってると思います。アフレコとかありえないでしょう? 私は少しウィーン少年合唱団のこと詳しいと思っていたのですが、ponkoさんのブログにお邪魔して、井の中の蛙だったことを思い知りました。 私は64年組のコンサートに行ったことがありません。NETのテレビで少し見ただけなんです。チラッと印象に残っているのは、ヨハン・ロスナー君が独唱している場面なんですけど、ヨハン君は何を歌っていたのでしょうか? 64年組の歌声に恋い焦がれていた私は、大人になってからテレビ朝日に電話したのです。64年組の映像が保存されていないか。55年のトラック組はNHKの招聘だったので、きれいな映像が残っているからです。テレビ朝日はとてもていねいに対応してくれ、著作権の問題で何年も保存しておくことができないということでした。ただ放送したときは、必ず合唱団にお渡ししているので、きちんと保存していてくれれば、アウガルテン宮殿にはあるはずですと。すべては法律の問題なのです、ということでした。それで今度はアウガルテンに手紙を書こうと思ったのですが、あまりにミーハー的な行為だとひるんでしまって、そのまま数十年経ってしまいました。どこからか出てこないでしょうか? ponko310 2019年09月01日 01:52 ryoさん スメタナ君のあの映像が本物だと思って下さるお仲間が現れて心強く感じます。 実は自分はあのソプラノのリヒャルト君だと嘘偽るファンの男性がブラジルにいるんですよね。 元団員たちに話したら放っておきなさいと言われました。 他人の夢を壊さないままにしておくのも徳の内ですか。 父から許されず、私も64年組のコンサートには行っていません。 ちょっとうつむき加減の上目使いでヨハン君が歌っていたのはキャロルの祭典でした。 あの独特の歌声はまだ耳に残っています。 すごい、ryoさんはテレビ局に聞いてみてくれたのですね。 ここの友人のyuichannさんもいろいろ聞き周ってくれているそうですが、アウガルテンにあるらしいとは初耳です。 フロシャウワー先生が亡くなってしまったしまった今、アウガルテンは未だに64年組を偲んで懐かしがっているファンがこうしていると言う事を知ってもいいと思いますよ。 これはミーハーではありませんね。 れっきとした純粋な愛着心です、キリッ。 著作権が無かったら、私の持っている動画もアップできるのですけれどね。 ウィーン少のホームページで流してくれないものでしょうかね。 ryo 2019年09月01日 23:56 ponko様 ヨハン君が歌っていたのは、「キャロルの祭典」でしたか?気になっていたことが、また一つ解決しました。 NHKは著作権の影響を受けないのは何故なのでしょう?55年組は写真や歌声が多く残っていていいですよね? 実は、私がアウガルテン宮殿に手紙を書かなかったのは、ドイツ語のハードルが高いということが大きな理由なんですけどね?それで、ミーハー的に見られるかも、なんて思ったのです。 ponko310 2019年09月02日 15:21 ryoさん NHKが55年の映像を流すなら、テレ朝も64年の映像を流してもいいような気がしますよね。 ただ、55年の動画は60年以上前なので著作権は切れているのかもしれません。 うざい著作権が無くなったお蔭か、私はYouTubeで「青い山脈」のような古い日本の映画をたくさん見ることが出来ています。 動画が見れなくても、心にあの時の映像がまだ残っているって嬉しいですよね。 レオポルド君が歌いながら笑顔を見せたのも覚えていませんか? ryo 2019年09月04日 00:04 ponko様 64年組のテレビ、途中でチャンネル替えられて本当に一部しか見ていないのです。もし全部視聴していたら、もう少し私の記憶に残ったのではないかと悔やまれます。 ek様 はじめてekさんのウィーン旅行の報告を読ませてもらったときは衝撃でした。私には夢の中のお話のようでしたから。今後ともよろしくお願いいたします。 ponko310 2019年09月04日 01:38 ryoさん 番組を変えられてしまったとは、残念です。 子供は大人には我を通すことが出来なかった時代でしたね。 私は運が良くて、外国嫌いの父がそこにいなかったので安心して見れました。 ところでekさんの旅行記の感想はそこの記事で盛り上がりませんか? ekさんとお二人での会話をお待ちしていますけど。 ek 2019年09月04日 10:12 Ryo様 こちらこそよろしくお願いいたします。 私の拙い旅日記を読んでくださってありがとうございます。 あの45年も前の事。ずっと昔の事なのに、ぼやけた頭にはっきりと記憶された熱い日々。幸せな日々でした。 それより更に遡る事10年 あの64年組に魅せられた者同士 このPonkoさんのお部屋にお邪魔して思いの丈を語り合えたら嬉しいです。 おしゃべり楽しみにしています。って人のお家で我が物顔です(汗)。 そうそう!あの64年組のテレビ放送された中のヨハンさんのソロ(合唱をバックに)で歌われたもので私が把握しているものは、Ponkoさんがお知らせなさった他に、ヴィヴァルディのグローリアミサの中のアルトソロ曲の「Domine Deus」もあったと思います。これはミサ曲の中の3曲のソロ曲をメンバーが歌われたものです。Ryoさんが途中までご覧になったテレビ放送でのヨハンさんのソロはキャロルの中?それともグローリアの中の曲だったのでしょう? もし私の記憶違いだったらごめんなさい! ryo 2019年09月04日 23:23 ponkoさん、ごめんなさい。ekさんの旅日記のところに書きたかったのですが、テレビを全部見られなかったことを書いたので、そのまま書いてしまいました。 フロシャウアー先生の訃報に皆さんがコメントされています。私も、と思ったのですが、何年もかけて深く繋がっているみなさんのコメントの中に割って入ることがどうしてもできなくて。でも心はみなさんとご一緒させてください。 ponko310 2019年09月05日 01:38 ryoさん フロシャウワー先生の訃報へのコメントは誰が書いてもあそこに来る方には受け入れられるはずです。 割って入るなどとはとんでもない思い違いですよ。 みんなの仲間に入ると言う事になるのですから。 誰しもに初めがあって、時を得るごとに深い繋がりになっていくのですから、遠慮はご無用。 これからは何処にでもお気軽に。 giveMtakeU(tack) 2019年09月05日 21:26 ponkoさんっ どこにコメントしたらよいかわからないので、手っ取り早くここに来ました。ここのお部屋すっごい久しぶり!(ほら、もうtackに戻ってますがな) 落ち着いて聞いてくだされや。 72のアルバムが見つかりました!いやあ断捨離を始めた甲斐があったわ。 でもルカくんはいないみたい・・・ 呼びかけはただのtackでお願いします! ponko310 2019年09月05日 23:08 tackさん いくら手っ取り早いと言っても、72年組が何でここに来るのよ~、と言いたいところだけれど、フロシャウワー隊の後輩がアングルベルガー隊なので糸は繋がっているって事ね。 そうか、72年組のアルバムが見つかりましたか。 でもルカがいないなら想いは軽いです。 そもそも彼は何故かいつも隠れている。 でも、そのアルバムは捨てないで私に下さいよね。 ryo 2019年09月07日 00:22 少女フレンドは、ずっとフロシャウアーではなくて、フロシアウアと表記されてましたね?おとなになって、私の頭の中でフロシャウアーに修正されたころ、なんとか64年組のことが風の便りにでも知ることができないかと、「音楽の友」と「レコード芸術」の読者のページに、64年に来日したウィーン少年合唱団のことを知ってる方がいたら連絡くださいって、投稿したのです。満足するまで見てくださいと、プログラムを貸してくださった方、カセットテープにダビングして、解説付きで送ってくださった方、少女雑誌の切り抜きを送ってくださった方。専門的な音楽雑誌に、ミーハーみたいな数行の文によく応えてくださったと思います。そういうことがあって、64年のコンサートのプログラムを知ることができたのです。彼らはA~Dまで4つのプログラムをこなし、3つのオペレッタを演じたことを知りました。フロシャウアー先生の指導があってこそ、それに付いていける実力を兼ね備えた少年たちだったのでしょう。 ponko310 2019年09月07日 02:51 ryoさん 何て素敵なお知らせでしょう。 64年組のファンの方達は大きな心を持っていたんですね。 私もこのブログをやり出してから、ブロ友さんがメル友さんやレア友さんになって、昔の切り抜きや原音やCDなどを頂いています。 有り難いことに頂いた切り抜きはブログに載せて他のファンの方にも共有させていただいております。 此処では思い出を交換したり、私達の青春が戻っています。 そして偉大なフロシャウワー先生は此処でいつまでも生きていらっしゃるんですね。 1964-1967 2019年09月07日 12:44 ryo 様 NETに 問い合わせられたり、資料や情報を求められたりと、ryo 様の熱心さには敬服します。親切な方達からご連絡があった由、本当に良かったですね。 ここの、前の方にも書きましたが、私は64年組の最終公演を聴きました。でもあまりに嬉しくて舞い上がっていたのでしょう、歌声の記憶は定かではありません・・・ でもシャーリングさんの姿ははっきりと覚えています。 「あ、テレビや雑誌の写真で見たのと同じだ」と感激(笑)したものです。 また、楽しいお話を伺わせて下さいね。 yuichann 2019年09月07日 18:02 Ponko さん お久しぶりです。64年組のファンの方がまた増えて嬉しい事ですね!素敵!落ち込んでいたので‥何だか嬉しくなってしまいました。64年組の動画がアウガルテンに有るとコメント蘭にあったので‥‥。(半ば諦めていました。)数年前にテレビ朝日のライブラリーに「64年組の録画又は資料が有りませんか?」と、尋ねてみましたが担当の方のお話では「当時はビデオテープが高価な物だったので使い回しをした。もしかしたら、地方局に残っているかも知れません」と言う事でした。地元に聞いてみましたが有りませんでした。ガッカリ‥‥。アウガルテンに有るのなら是非見たいと思 います! ponko310 2019年09月07日 21:35 yuichannさん また新しい仲間が増えたことで落ち込みから回復してくれましたように。 ビデオテープが高価な時期だったので動画を消してまた使ったと言うのはテレビ局でもやっていたのでしたか。 カメラマンがウィーンファンだったらきっと保管しておいてくれたのでしょうにね。 それにしてもまた私の雑学が増えました。 ryo 2019年09月08日 01:03 ponko様 いつもお返事くださってありがとうございます。ponkoさんがアップしてくださっている画像はありがたく保存させていただいてます。特にトラック組の映像がきれいに残っているのに驚かされます。 そして、アレキサンダー・オブランスキー君から提供されたというタイマー組の映像も奇跡ですよね? 私は、そのうち64年組が歌っている画像もどこからか出てくればいいなと奇跡を待っています。 1964-1967様 64年組の最終公演に行かれたのですか?3Dのシャーリング君の姿と生の声を聴かれたのですね?うらやましい限りです。その日は2度と繰り返されることはありませんから。私は仮定と妄想の世界で生きています(笑) yuichann様 はじめまして。yuichannさんもテレビ朝日に尋ねられたのですね?ウィーン少年合唱団は歴史が古いのと、私がテレ朝に電話してからも30年ぐらい経っているので、現存しているかどうかわかりません。でも、3年に1度の日本公演で、テレビで放映したぐらいなのですから合唱団にビデオを渡していると思うのです。高価なビデオでも使い回しをしたとは思いたくないですよね?中心的なカペルマイスターのフロシャウアー先生の組ですから、アウガルテンの中に保存されていると信じています。 ponko310 2019年09月08日 06:53 ryoさん 絶対にないと思っていた67年組の映像が今になって見つかったのですから、64年組の日本公演もどこかから出て来るといいですね。 私はYouTubeに載っている64年組で今のところ満足ですが、スメタナ君は本当にソロを歌っていなかったのか、知りたいところです。 ま、誰が歌っていてもあの子守唄の歌声は最高に素敵だと思います。 yuichann 2019年09月08日 09:59 Ponko さん 「フリースの子守唄」スメタナが歌っていなくても映像だけで満足しています。後ろの方にレオポルト君シャーリング君達?の顔が見えている様で‥‥。 アウガルテンに実在するのなら是非見たいです!音楽関係者の方々が記録として持っていないかなぁ?もしかしたらヒョンな事で出てくるかも知れませんね?期待して居ます! ryo さん 30年位前にテレ朝にお電話をした時にはきっと当時の記録が残っていたのでしょうね?私は数年前なので記録がもう整理されていたのかも知れません。何としても見て見たいです! ponko310 2019年09月08日 17:38 yuichannさん 私も同じです。 あの歌声には心が空中に浮いて泳ぎだしてしまいますが、思春期にドキドキした少年達の映像を見られるのは同じぐらい嬉しいですね。 あそこには懐かしい顔があって、それが歌っているんですもの。 日本の舞台の映像に期待しましょう。 ryo 2019年10月18日 02:05 ponko様 2016年ごろの1964年組へのカキコをまた見ているうちにやめられなくなってしまいました。64年組のコンサートの横浜公演は横浜文化体育館だったこと、パイプ椅子を並べてあったことは、ek様のコメで初めて知りました。私はプログラム通り、神奈川県立青少年ホールで歌われたものと思っていました。 1964-1967様も東京厚生年金会館で64年組の公演を見られたとのこと、うらやましいです。 みなさん(全員ではないと思いますが)がご覧になった64年組の動画もあるのですね。 ponkoさんはテレビ局まで行かれたとのこと、びっくりしました。64年組のファンクラブができてたら、私も入会します。 ponko310 2019年10月18日 05:59 ryoさん 此処に来る64年組のファンが10人ぐらい集まってワイワイやれたらどんなに楽しいでしょうね。 そう、私はピンクのワンピースのファン友と二人でNETまで行きました。 ファンクラブを作りたいからテレビで募集してくれないか、なんて、なんて物知らずだったんでしょう。 お蔭で係の人から知らないウィーン少の団員の白黒写真を沢山もらいました。 そのいくつかをウィーン少の印刷物で見たことがありますから、宣伝用だったのかも。 64年組のファンクラブはこのブログですね。 ryo 2019年10月23日 00:36 ponko様 マルシャート君の「事終わりぬ」の動画が消されててショック(注;2022年6月。新しく見つけて入れました)私は本当に知らないことだらけだと思いますが、マルシャート君が歌っていることをponkoさんのブログにおじゃましてわかったので、聴きたかったのです。実は、私は外盤のLPを持っていて、日本語にするとどういう訳になるのかがわからなくて、同じ曲か確かめたかったのです。 シルハネック君の名前を、やはりponkoさんのブログで知り、「エクスルターテ イゥビラーテ」全曲は」、シルハネック君が歌っていることがわかりました。実はこの曲、私は、よく知られている「アレルヤ」よりも第1楽章が好きなのです。私のLPでは、1963年4月録音になっていますが、Maxのよりもテルツのアラン・ベルギウスのよりもシルハネック君のが私のベストです。少年らしいソプラノで、女性のオペラ歌手のような技巧に走らず、でも、しっかりした技術を持っていて、装飾音符のところを自然なコロラトゥーラで聴かせてくれる。安心して聴けます。 ponko310 2019年10月23日 17:41 ryoさん 事終わりぬのドイツ名は「Es ist vollbracht」です。 ネットを知ってからあの歌声がマルシャート君だと判ってびっくりしました。 凄く素敵なアルトですよね。 シルハネック君の声にはもう、最初から初恋です。 あの歌声でウィーン少年合唱団が印象付けられたのですからね。 ほがらかに鐘は鳴るの動画は消されていませんから良かった。 この場面で前列左から4番目はヨハン・ピヒラー君ですよ。 デズニーの映画は著作権のせいでみんな消されているみたいです。 maa 2019年10月26日 15:28 ♬♥・*:.。 。.:*・゚♡・*:.。 。.:*・゚♥ ♬♥ ponkoさま ekさま どうもありがとう。今回は奇跡の写真集ですね。 たくさん並んだ私たちの天使くんたちは、30周年の集いではすっかりおじさまになられましたが、40代前半ですからまだまだ若々しいですね。 クレパイツ君とヨハン君が写っていないことと、今はもう虹の橋に旅立たれたかたがあることは寂しいですが、30周年にはこんなに一堂に会して、フロシャウアー先生も喜ばれたことと思います。そうして今は先生も虹の橋で笑っていらっしゃるでしょうね。 アルト側の手前でカメラを構えているのは、クレパイツ君でしょうか? 私はこの写真と64年のモノクロ写真とが、何の違和感もなく重なります。素敵な週末になりました。ありがとう♡ ♬♥・*:.。 。.:*・゚♡・*:.。 。.:*・゚♥ ♬♥ ek 2019年10月26日 18:02 maa様 あの30周年の写真でカメラをかまえていらっしゃる方はレーゲナメル先生。お隣はエリカさん。ピアノの前ににお座りなのはフロシャウワアー先生です。 クルト君とヨハンさんはいずこ?きっとこの写真を撮っていてくださっているのではと、私は思っておりました。参加者はあとタウチュニッヒ団長と言う事でしたから(笑) maa 2019年10月26日 20:44 ekさま レーゲナーメル先生も出席されていたんですか! 後姿、全然わかりませんでした。笑・・・それは本当にすごい同窓会でしたね。 ショパンに掲載されたとき何人かのかたを写真で拝見しましたが、どうしてもわからかかなったのがレッシュ君でした。今日並んでいる姿を見て、そうだったんだと・・・感激しています。 ek 2019年10月26日 21:26 Ponko様 私が話題にした元団員さんはBenjamin Zeppelinさんという方です。 味のある独特の歌声の方でした。 7歳頃まで千葉の市川にお住まいで、オーストリアに移られ ウィーン少年合唱団に入団なさいました。番組では、日本で、バイオリンを習われていたその恩師を訪ねられ ピアノの弾き語りで感謝を伝えました。その番組をご覧になった方々が彼の歌声に興味を持たれたと聞きました。 yuka 2019年10月26日 23:33 姐さま 前天皇皇后両陛下がアウガルテン宮殿を訪問された折、「野ばら」は皇后さまのピアノ伴奏で歌ったとニュースで見ました。 温かくて、とてもいい雰囲気でしたよ。 ek様が提供してくださった懐かしいお写真も興味深いです。 私の原点にあるWSKはグローバル化前で、みんなこのような顔をしていたのだと改めて思いました。 長年お馴染みのカッペとコート姿に胸キュンですが、この頃のこの姿を見るとキュン度が違うのです。 ponko310 2019年10月27日 00:39 yukaさん 今回の記事を書いてから、最近買ったCDを何回も聞き返しています。 これは私が高校時代に買ったウィーン少年合唱のレコードの歌声で、シュトラウスのワルツと野ばらのようなドイツ歌曲を集めたものですが、懐かしい歌声にもう、キュンキュンしっぱなし。 何しろ、凄い歌声です。 胸にずど~~~~んと浸み込んで来ます。 これを聞きながらまたあの懐かしい制服の少年達の姿を目に浮かべているのです。 ライニーさんに聞いたところでは、あの頃の少年達のアウガルテンでのクリスマスプレゼントは、私たちが知っている、あのおそろいの襟巻やセーターやズボンだったんですって。 こういう話はオールド同士でしか出来ないわね。 ryo 2019年10月26日 01:29 ponko様 マルシャート君の"Es ist vollbracht"確かにレコードにありました。この声、マルシャート君だったのですね? 「ほがらかに鐘がなる」ヨハン・ピヒラー君、わかりました。ちなみに7番目はシュピッツビーザー君です。 ずっと誰が歌っているのか、わからないままだったシルハネック君の「エクスルターテ イウビラーテ」と「春へのあこがれ」は、もう本当に絶品です。 ponko310 2019年10月26日 18:37 ryoさん 昨日、ライ二ーさんがヨハン・Pさんに連絡を取ってくれました。 ヨハンさんが1962年録音レコードのLieder unserer Heimatで歌っているのはこれです。 フルトモーザー指揮の「春への憧れ」 フロシャウワー指揮の「スズランと花たち」 ランク指揮の「愛しい兄弟」「挨拶」「きれいな花」「子守唄(フリース)」 そして二重唱のアルトはアイスラー君でした。 それを聞いてから彼らのCDを何度も何度も聞きなおしています。 やっぱりこの時代のウィーン少年合唱団が私に取って最高です。 ryo 2019年10月27日 02:01 ponko様 調べてくださったのですか?ヨハンくんは、ラング組(ですよね?)なのに、他のカペルマイスターの指揮で歌うこともあるのですね?モーツアルトの春へのあこがれは、シルハネック君だと思っていました。ここに、ダハシュタインが入っていないのが救いです。シャーリング君の可能性があると思って。とりあえず”Lieder Unserer Heimat" 聴いてみます。 ponko310 2019年10月27日 02:42 ryoさん ヨハン君は来日61年のランク隊でした。 私のCDには62年録音で、Hoch von Dachsteinはフロシャウワー指揮で入っています。 少年達がレコーディングするときはいつも自分の隊の指揮者とは決まっていないみたいですね。 そのレコードは3人の指揮者が担当していますけれど、ヨハン君はそのどの指揮者でも歌っていました。 ryo 2019年10月28日 00:13 ponko様 カペルマイスターが代わるなんて、考えてもみなかったです。私には64年組がすべてです。合唱界の紹介がなければ、ヨハン・ピヒラー君も知らなかったのです。青ドナを見て、ヨハン・ピヒラー君はこの子に違いないと思っていたシュピッツビーザー君の名前をponkoさんに教えてもらってからも、すぐに目に入ってきます。全員の名前と顔がわかり、パートがわかり、どこに立っていたかがわかるのは、64年組だけです。64年以降は、だんだんフェードアウトしています。半年間も海外演奏旅行に出かけてたので、64年組は録音に恵まれなかったのでしょうか?ソリストだったのに、シャーリング君の歌声が少なすぎるのが悲しいです。 ek様 貴重な写真、ありがとうございました。64年組の写真をみると、なつかしさで胸がいっぱいになります。ekさんの大切なお友だちは、50代で亡くなられたのですか?早すぎますね? ponko310 2019年10月28日 01:04 ryoさん ヨハン・ピヒラー君は確か女学生の友と言う雑誌で知りました。 切り抜きしかもらっていないので確かではありませんが、その頃私はまだ合唱界を知りませんでした。 カペルマイスターは3~4年で辞める方が多いですね。 モーコアのゴドイ先生もその才能に期待していましたが、辞めてしまって残念です。 ek2019年10月28日 15:19 ryo様 Ponko様 なにしろ もう50年以上前の写真 その写真はアルバムにべったり貼り付いてしまっていて 腕の悪い私には思うように撮すことが出来ず、ピンぼけの上 同じ様な写真ばかりでごめんなさい。 64年組のアルバムと申し上げても、メインは我が友になってしまっています(笑)。どうぞご理解下さい。 ryo様やブロ友さん達の応援団員さんが一枚でも写っていれば良いのですが…。Ponkoさん スメタナ君やミュルナーさん登場せずごめんなさい。 記念同窓会の写真でさえ ヨハンさんやクルト君の応援団だったら、ごめんなさい。 ピューリンガーさんはソロを歌われていたので、ステージシートでは若干立ち位置が変わりますね。コンサートで見た時は、記念写真の立ち位置でした。 ryoさんもPonkoさんもどなたかおわかりにならない方がいましたか?えへん!私は全てわかりましたよ。(我が友が、書いてくださらなくても) えっ?写真の写りが悪いから判断出来なかった?それは申し訳ありません! お詫び申し上げます。 でも、どなただか判れば どの方も昔の面影が少しづつ残っておいでですよね? でも、maa様がおっしゃる様にもし レッシュ君お一人の写真を見せられたら???マークがつくかもしれません。 それに、レーブル君! 74年にお会いしていなかったら、全くわかりません。あの時も?????マークしか頭に浮かびませんでしたもの。 このPonkoさんのお部屋をお借りして こうして懐かし談義が出来る事 楽しく嬉しい時間です。 Ponkoさん お部屋をお借りしてメインのお話からそれてしまう談義でもお許しください。 今になって この古いアルバムが想い出の語らいのお助けになったら嬉しいです。 ponko310 2019年10月28日 16:59 ekさん 大切な宝物をオールドファンの為に提供して下さった寛大なお心に感謝します。 私の持っていた切り抜きも此処にお載せ出来ていたらと、とても残念でしたがこうして私の知らない写真が見れて嬉しく思います。 ありがとうございました。 ryo 2019年10月28日 22:57 ponko様 ek様 ek様 大人になった64年組全員、分かったのですか?さすがです!私は2~3人断言できません。立ち位置だけで決めてるから。同窓会の場にいらっしゃったekさん、羨ましすぎです。ピューリンガー君はコンサートでは第2ソプラノの真ん中だったのですね?私の切り抜きは左端がほとんどです。シャーリング君と並んでいるのもありますが、たぶんダハシュタインのときだろうと想像しています。 ponko様 64年組の写真はたくさんあるのでしょうね?私も切り抜き写真を持っていますが、数では比べるべくもないと思います。私が持っているなかでは、圧倒的にシャーリング君が多いです。写真はないけれど、心の中に保存してあるのもシャーリング君が多いです。結局64年組が確かに歌っているのは、日本公演だけということなのでしょうか? ponko310 2019年10月29日 01:47 ryoさん この同窓会の写真はekさんがペンフレンドのヴォルフィーさんから贈られて来たものです。 もしekさんが同窓会にいられたら、きっと頭に血が上って、誰が誰だか全く把握できなかったのじゃないかと面白がっていますけれど。 私は64年組の切り抜きを沢山持っていました。 でもそれを全部、結婚をきっかけに仙台のファン友にあげてしまったのです。 その友人も今はどうしているかわかりません。 64年組のレコード録音に付いては誰か回答を知っている方が出てきてくれることを期待しています。 Yuichann 2019年10月29日 07:34 Ponko さん もう大感激です!有難う御座います! 何度もこのページを見て胸を熱くしています。気持ち玉も数回付けてしまいました‥‥。(๑・̑◡・̑๑) ekさん貴重な素敵な写真を見せて頂き有難う御座います。 私もあの番組見ました。まさか元ウイーン少年合唱団員が出るなんて‥‥。彼は日本の幼稚園、小学校に(1年生まで)通っていたのにはビックリでした。音楽活動を今もしているのかなぁ?最近、WSKのコンサートに行くとOBのCDを売っています。 ek 2019年10月29日 14:24 Ponko様 もし私が94年の同窓会に紛れ込んでいたら、頭に血が上って誰が誰だか…どころではなく、気を失ってミュルナー医師に診察していただいていたかも…(笑)。倒れる時は誰の腕の中に?我が友では恥ずかしいし…。バウムガルトナーさんかな? 「ek! 何想像しているの?!」ってPonkoさんのお顔が浮かびます。 でも、ヨハンさんを含めた64年組の年長者さん達(残念ながら同窓会ではお顔拝見は出来ませんでしたが)来日時から なんだかとっても落ち着いていて頼り甲斐がある感じなんですもの。 でも、この記念写真の我が友も優しそうでしょ? ちょっと乙女時代に戻ってしまったek でした。 くだらないおしゃべりしてごめんなさい。 越後の雪椿 2019年10月29日 19:46 ponko様、ek様 お写真公開にとても感謝しています。ありがとうございました。 30年後同窓会、皆様40代働き盛りの頃ですね。今は皆さまリタイアされお孫さんと遊ぶ素敵なお爺さんになられているのではないでしょうか?残念ながら天国に召された方もおられますが・・。 写真で顔と名前が一致するのはシャーリング君、ピューリンガー君だけ!ピューリンガー君の隣のブルーのジャケットはレッシュ君?2枚目後ろ右端はponko様が好きなスメタナ君?L・ロスナー君は? ponko様御存じなら教えてください。 ponko310 2019年10月29日 22:02 ekさん 94年の同窓会なら私もドキドキしたかもしれないわ。 きゃ~、ekさん、気を失うのだけは止めてよね。 ペーターに診てもらおうなんてとんでもない。 ペーターが近づく前に私が水をぶっかけて正気に戻してあげるからね。 なんてアホな想像なんでしょう。 でも楽しい。 ekさんがバウムガルトナー君の前までスタスタと歩いて、ヴォルフィーを見ながらあぁ~って倒れる姿を頭に浮かべて大笑い。 みんなドヤドヤと駆け寄ってくるかもね。 そしてekさんはみんなからコップの水を掛けられるのでした。 ek 2019年10月29日 22:49 雪椿様 皆様 30周年記念同窓会の写真でメンバーがおわかりにならない方がいらっしゃるようなので、ファールナーさんからの手紙を書き出します。 「昨年約束していた僕達の集いの写真遅くなってごめんない。(中略)日本訪問30年後 僕達は30年前の様に合唱団の写真を撮りました。説明しますね。1枚目 ソプラノ側 (ピアノの左) 1列目 左→右 ルートヴィッヒ ピヒラー、フランツ カーバー、ルーペルト シモン、ミヒャエル ハルハマー、エーリッヒ シャーリング 2列目 リヒャルト ブュヒラー(隠れちゃってます) ウィリー レーブル、ノルベルト ネンメルト, ヴァルター ピューリンガー、 アルベルト レッシュ、ヴォルフガング バウムガルトナー 2枚目 アルト側(ピアノの右) 1列目 左→右 レオポルド ロスナー、ローランド フーバー、ヴォルフガング ファールナー(僕です)、クリスティアン タイブル 2列目 ペーター ミュルナー、 ウィリー ツェルニー、ペーター マルシャート、フェルディナンド スメタナ 2人が、写真にいません ヨハン ロスナー、クルト クレパイツ ヘルムート フロシヤウワー氏がピアノの所に座っています。 そして ヘルムート レーゲナーメル氏とエリカ ヘルムさんが合唱団の前に座っています。 皆を覚えていますか?説明なしでわかりましたか? あなたがこの写真を楽しんでくれる事を望んでいます。」 64年組を懐かしんでくださる方がこの写真を楽しんでくださったら、送って下さったファールナーさんも喜んでくださる事と思います。 Ponko様 素敵な(?)創作話ありがとうございます! 有り難いんだか、悲しいんだか、…最後に皆から水をかけられる? いいえ きっとヴォルフガングさんの腕の中で気を失っている私にヴォルフィーがドナウ川の水をバケツ一杯かけるかもしれませんね。 「皆さんに迷惑かけるんじゃないですよ!」って。 でも、優しいペーターさんとヴォルフガングさんはきっと… 何想像しているのか…。 ryo 2019年10月30日 00:30 ponko様 ekさんはその場にはいらっしゃらなかったのですね?私はてっきり・・・でも、おかげで貴重な写真を見ることができました。フロシャウアー先生との年齢差を感じなくなりましたね?ミュルナー君の隣りは若々しく見えるのですが、ツェルニー君ですか?レオポルド君の隣りはフーバー君でしょうか?ピヒラー君の隣りはカーバー君ですか?レーゲナーメル先生のカメラの中をのぞきたいですね?フロシャウアー先生のピアノで、何か歌ったのでしょうか?想像するだけでウキウキします。 ponkoさん、64年組の写真、もったいない。でも、私も引越した時、宝物の少女雑誌をすべて捨てなければなりませんでした。写真だけを切り抜く余裕もありませんでした。もったいない。 ponko310 2019年10月30日 03:01 ryoさん 団員の位置はekさんがコメントにちゃんと書いてくれましたから、それを見て比べて下さいね。 フロシャウワー先生の伴奏で何を歌ったか、それとも何も歌わなかったのか、秘密のままかな。 何しろ団員時代とはちょっと訳が違いますからね。 私が切り抜きをあげた仙台のファン友は本当に64年組のファンでした。 だからもらってくれてとても嬉しかった。 私の手製のハンサムな団員のお人形も彼女の手に渡りました。 全て戻っては来ないものですが、私の記憶にはどれもちゃんと残っています。 ryoさん、捨てなくてはならなかったなんて、本当にもったいない。 越後の雪椿 2019年10月30日 20:27 ek様 お手数をかけましたが、お心遣いに感謝してます。ありがとうございました。 30周年記念同窓会写真、このままでは団員時代の面影を探すのは難しいのでクリック、拡大して見ました。ほとんどの方はなかったのですが唯一L・ロスナー君はだけ残しており一目で彼だと気がつきました! でもお兄さんはなぜ写っていなかったのでしょうか? 居場所がわからず連絡取れない元団員が一人いて欠席。のちにウィーン在住が分かった!と雑誌で読んだ事ありますが、お兄さんではなかったです。 お手洗いでも行っていたかな(笑)お兄さん、すみません! ryo 2019年10月30日 23:26 ponko様 ek様が並び順を書いてくださってたのに、私はまったく気づかなくて、ekさん、ごめんなさい。 ponkoさん、64年組の写真をさしあげられたのは、その頃、他の来日組が気になってたとか?そういえば、72年組や69年組は別のカテゴリーになっていましたよね?ようやくウサギちゃんって誰なのかさかのぼってわかったのですが、お手紙書くのが忙しくて、64年組は少しかすんでました? ek 2019年10月31日 05:42 越後の雪椿様 実際の所 なぜヨハンさんとクルト君が写真に写っていなかったのかわかりません。 ただ、同窓会が行われてすぐのヴォルフガングさんからの手紙には、「前の手紙に書いた日本訪問30周年記念の集いは大成功でした。僕達合唱団全員(注:whole choirと書かれていました)とフロシャウワアー先生 レーゲナメル先生 シュベスターのエリカさん タウチュニッヒ団長が集まり....」と書いてありました。 maa様も一人欠席とおっしゃっていらしたのは、その雑誌に書かれていたことをうけてのお話だったのですね。ただ ヨハンさんの場合は弟ぎみのレオポルド君がいらっしゃるので居所がわからなかったと言うことはないと思うのですが....。そうなるとクルト君の居場所が不明? 更に遡って 同窓会開催以前の彼からの手紙には、「クリスマス前に僕はレオポルド ロスナー、スメタナ、ハルハマーと会って、この記念をどう祝おうかと話し合いました。合唱団全員の住所を調べ、連絡して皆で集う事にしました。それをこの会の発案者であるフロシャウワアー先生に連絡してアウガルテンで集まる事にしました」というような事が書いて有りました。合唱団全員全員の住所を集め....と有りましたので全員の出欠席は確認とれたものだと思っておりました。 そして開催。写真が送られて来た時の手紙は前述の通り「ヨハン ロスナーとクルト クレパイツが写真にはいません」とだけ書かれてありました。私は単純にソプラノメンバーのクルト君 アルトメンバーのヨハンさんがこの記念写真のカメラマンだったのかと想像しておりました。 なぜ写真にお二人がいなかったのか ヴォルフガングさんに確認もしなかったこと、雪椿さんやmaaさんや他の皆様にはお詫び申し上げます。ただ、彼のいない今となっては確認出来ない事をお許しください。 その雑誌に記載されていた1名はどなただったんでしょうね? 「近い将来 僕達は又集まろうと決めました」 現実はどうであったとしても、あの同窓会が写真のメンバーの笑顔のように楽しいものであり、時であったことは間違いない事だと思います。彼のこの言葉にあるように。 ponko310 2019年10月31日 18:35 ryoさん 多分72年組の前の記事からお読みくだされば理解していただけるかと思いますが、一時期私には青春の思い出をすべて消してしまいたい時期があったのです。 若さゆえのアホな一途さでした。 maa 2019年10月31日 18:59 ekさま 雑誌の記事では、最後になってクレパイツ君もウィーンにいることがわかったと書いてあり、20人が出席したとなっていました。 たぶんヨハン君のことは人づてに聞いたのだと思いますが、今はおつきあいのないかたなので確かめられません。きっと教会で何か大切なご用があったのだと、私はなんの迷いもなく思っていました。今もそう思っていますよ。 それより何よりこの同窓会で、同じ立ち位置で並んだ写真がとてもうれしいのです。ekさまがそう思って下さらなかったら、ここで私たちはこの写真を見ることはできなかったのですから。 本当にこんな日がくるなんて、ekさまには感謝しかありません。 ek 2019年12月08日 14:02 Ponko様 Ponkoさんのお父様はとても厳しい方だったのですね。私の両親は割と新しい事に興味を持っていてくれて、ペンフレンドの友人達に会いにホテルまで「ご挨拶するんだ」と同行しました。アメリカのColumbusの友やトマーナの友達もちゃんとお相手してくれました。私の3ヶ月の旅行中に父から届いた手紙は10通以上でした。ウィーンのヘラー先生似のオーナーさんも「Post ist da ! aus Vater! 」って。ペンフレンドでもあるまいしね(苦笑)。 ryo様 64年のウィーンの演奏会会場が何故青少年センターから文化体育館に変更になったのか私も実際の理由は知りません。 Ponkoさんのブログのお仲間のYuichannさんの所でもこの疑問を話題にしてお話したことがありましたが、青少年センターの座席数は800人程度。文体でのパイプ椅子での座席数は約2000席。どちらも同じ位の年の開館です。 横浜には64年の10年程前に日本国内でも誇れる響きの豊かな木の音楽ホールがあるのに、何故に体育館?とも思いましたが、このホールも座席数は1000人程です。アマチュアの私が在籍していた合唱団でも1000人を超えるご来場者がある位ですから、当時人気のウィーン少年合唱団です。各ホール座席数以上の来客が見込まれると急遽変更になったのではないかと推察いたしました。 事実 私の座席は49列の真ん中辺りでしたから、少なくとも1500人程の来客があったものと思われます。 確かにスポーツセンターですから、音響効果は望めないかもしれませんが、それでも私達には感動の歌声 雰囲気でした。 ちなみにあの時代 64年組が火付け役のような海外から少年少女合唱団は67年頃まで文体で行われました。67年の5月のタイマー隊のコンサートも文体で聴きました。 ponko310 2019年12月08日 18:44 ekさん そうなんです。 わが父は勤勉でしたが実に封建的でした。 女学校で知り合った級友達のお父様はみんな優しそうで羨ましかったです。 私の九州のペンフレンドだったキリアン君の文通相手も、合唱団に会いに行った時はご両親が一緒で、ホテルで撮った写真を頂いたときは、こんな親もいるんだと驚いたものです。 ekさんも御理解のあるご両親に恵まれて本当に良かったと思います。 横浜文化会館の説明も興味を以って読ませたいただきました。 どういうわけか私は横浜出身なのに、ウィーンも他の合唱団も、東京ばかりに足を運んでいましたよ。 不思議ですね~、きっとファン友がみんな東京だったからかも。 Yuichann 2019年12月08日 21:19 Ponko さん 此方にもお邪魔します。約半世紀の間、プログラムの通りだと思って、県立音楽堂に64年組の資料などが残っているのか3年位前に質問した事が有ります。そこで初めて文化体育館でコンサートをした事を知りました。ekさんにその訳を教えて頂きました。当時プログラムに音楽堂では無く文化体育館になった理由の冊子がきっと付いたのでしょう‥‥。文体、修理の為閉館ですね?あの懐かしいステージともお別れ、寂しいです! ryo 2019年12月08日 22:20 ponko様 ek様 ponkoさん、私の父も無理解でしたから、とてもウィーン少年合唱団を聴きに行くなんて考えられませんでした。テレビも切り替えられてしまいました。少女雑誌見ながら、どんな声なんだろうと想像していました。64年組以降、日本にも多くの子どもの合唱団が生まれましたが、合唱界を見ても、ウィーン少年合唱団に学ぼうとしていた時代でした。 ek様、きっと横浜に来る前の合唱団の人気に、青少年センターでは収容能力が低いと判断したのでしょう。それはそれで、ちょっと嬉しいような...確かに県立音楽堂は木造で音響はいいけれど、収容人数は多くはないですよね?レーゲンスブルガーは、県立音楽堂で聴きました。 ponko310 2019年12月08日 23:22 ryoさん 私が64年組のテレビ放送を見られたのは運が良かったのかもしれません。 67年も69年も72年も全く見ていませんでしたから。 あ?67年は見たかな? 何しろウサギちゃんの事が頭いっぱいで覚えていません。 でもryoさんは63年に映画の青きドナウを見ていらしたのでしょう? レーゲンスブルグも日本で聞きたかった少年合唱団でした。 叶ったのは50年も経ってからのベルリンでしたけれどね。 ryo 2019年12月09日 23:28 ponko様 いえいえ、青ドナ見に行っていないです。テレビを見せてくれないのに、青ドナの映画なんてとんでもない。でもその頃、なぜか「ウェストサイド物語」は映画館で見てるのですよ。青ドナの方が子供向きだと思うのですが。青ドナのビデオを持っているのですが、CMが入っていないのでTVから録画したものではありません。まったく記憶にありません。 文体は来年閉館して、完全に取り壊されるみたいです。もっと駅に近いところにりっぱなアリーナをつくるようです。 ponko310 2019年12月10日 03:46 ryoさん 餓鬼大将の私でさえ、あの青きドナウには心を奪われたのですから、テレビで見てファンになったあなたなら、もっと凄い事になっていたかもしれませんね。 いやぁ~、それで良かったのかもしれませんよ。 手の届かない人に憧れるのは時として不幸せな気分になるものですからね。 私もウェストサイド物語は映画館で見ました。 ああいう世界とはかけ離れた生活をしていましたが、マリアの歌と最後にトニーが死んだときは涙が止まりませんでした。 懐かしい映画を思い出させてくれてありがとう。 これからネットでマリアの歌を探します。 青きドナウは日本語版ですか? 日本語版は良いですね~。 少年達の声が好きでした。 tack 2019年12月10日 22:02 あ”〜ponkoさんたらっ 来週『ウエスト・サイド物語』見に行こうと思っていたのに、結末が分かっちゃったじゃないですか! 「午前十時の映画祭」で今は『サウンド・オブ・ミュージック』と『ウエスト・サイド物語』を上映しているのです。明日は『サウンド〜』を観てまいりますわ。『野ばら』や『青きドナウ』も上映して欲しいんですけどね。 ponko310 2019年12月10日 23:33 tackさん え?、おたくさんはまだその映画を見ていなかったんすか? ま、私の書いた結末なんぞは映画の内容に全く値しないものですから、楽しみにご覧あそばしませな。 ジョージ・チャキリスがかっこ良いのですよ。 歌曲は耳に心地よいオールディーズ。 本当は私の趣味ではなかったのですが、ウィーンファンの級友(ピンクのワンピースの)に誘われて付いて行ったのです。 まさか泣けるとは思っていなかったわい。 実は私はクラッシクの「菩提樹」に影響されてモダンなミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」を見ていません。 偏ってるのかな。 Yuichann 2020年10月20日 07:49 Ponko さん 此処へワープしてきました。あのシャーリング、レッシュの「こよい鳴り渡る」の教会、当時に比べて綺麗になっていますね。プラター公園の中にあるマリア・グリューン カトリック教会。アウガルテンからそんなに遠く無いところにあったのですね!私は、カーレンベルク辺りかなと思って地図で探しました。 雪の教会と緑の中の教会何方も素敵ですね💕 ponko310 2020年10月20日 19:03 Yuichannさん 私もあの木々を見て、どこか丘の上にあるチャペルかなと思って、カーレンベルク辺りの教会やお墓を調べるだけでした。 でも、こんな事に興味を持つファンなんて私達ぐらいかもしれませんね。 それにしてもプラター公園の中に建っていたなんて,思いもよりませんでした。 これならウサギちゃんに聞いても分かったかもしれませんでした。 ryo 2020年10月21日 00:29 ponko様 「こよい鳴りわたる」の教会を見つけてくださって、本当にありがとうございます。ずっとこだわっていたのがようやく吹っ切れました。私もカーレンベルク辺りと思って、2度も訪れましたよ。元団員の方にありがとうの気持ちを伝えてください。しかし、プラーター公園の中だったとは!プラーター公園、どれだけ広いのでしょう。「きよしこの夜」は、この教会の内部でしょうか? ponko310 2020年10月21日 01:58 ryoさん ありゃりゃ、ネットで探すのではなく、実際にカーレンベルクまで行ったのですね。 でも、期待でワクワクした時の気持ちを味わうことが出来たと思いますから羨ましいです。 でも何でみんな、カーレンベルクになっちゃったんだろう。 だ~れだ、一番最初に言い出したのは。 池まであるプラーター公園はウィーンで一番大きな公園だそうです。 その中の一部に大観覧車のある遊園地が存在しているのですね。 64年組の「きよしこの夜」の動画を見ようとしたのですが、見つかりません。 良かったらリンクを教えて下さいな。 ryo 2020年10月22日 01:39 ponko様 薬師丸ひろ子とウィーン少年合唱団、今、初めて見ました。今見たら、ウィーンの少年合唱団ですって!場所も、どう見てもザルツブルグですよね? さて、「きよしこの夜」のリンクですが、これでいいのかな?maaさんのブログからお借りしました。私は見つけられなかったので。 https://www.youtube.com/watch?v=IOzrlADkL5k&feature=emb_logo これで見られますか?どこの教会なのかなあ。 ponko310 2020年10月22日 02:50 ryoさん リンクを見つけてくれてありがとう。 この動画は初めて見たような気がします。 それとも前に見ていたのかな? どっちだか忘れましたが、この教会はどこなのでしょうね。 マリア・グリーンでは無いですね。 大聖堂かしら。 シュテファンスドームでもないみたいですね。 また誰かに聞くしかないかな~。 Yuichann 2020年10月22日 11:36 Ponko さん おはようございます。 多分ハイリゲンクロイツの教会だと思います。ハイリゲンクロイツの教会へは行ったのですが、始めに映ったドアの記憶がありません。横から撮影したのでしょうかね?正面はステンドグラスになっていて祭壇がありました。その正面で歌っている様な気がしますが⋯?記憶違いという事もありますね? 何方かに聞いてみて下さい。 ponko310 2020年10月22日 17:29 Yuichannさん ハイリゲンクロイツの教会内部をネットで見ましたが、似ていますね。 ドアの写真は表ではなくて教会の中の扉のような気がします。 今度こそハイリゲンクロイツだといいですね。 Yuichann 2020年10月22日 21:56 Ponko さん そうです、今度こそハイリゲンクロイツであって欲しいです。 今、初めて気が付いた事が、ブログの中に「野ばら」を歌っている動画がありますね、よく見たら路肩に雪があるように見えるのですが?白黒なのでわかりませんでしたが、アップにして観るとゆきのようです?木の根元のあたり⋯。吐く息が白くて寒そうな感じに思えるのですが⋯?勘違いかな? ponko310 2020年10月23日 20:38 Yuichannさん 私も野ばらの動画は雪が積もっているような気がしていました。 きっと雪だと思います。 寒かったでしょうにね。 それから「きよしこの夜」の動画をビュヒラーさんにお送りましたところ、コロナでてんやわんやしていてすぐにお答えが出来ませんでしたが、怒らないでください、とお返事があったものの、あれれ、肝心の回答が無かったので、勝手に、これはハイリゲンクロイツでは無かったのかと、他の元団員に聞いてみたところ、違う教会だとお答えが戻って来ました。 色々さがして下さったのですが、わからずじまいです。 さて、それではどうしようかと思っていたところ、突然ビュヒラーさんからメッセージが入って「動画の教会はハイリゲンクロイツですよ」とお答えが返って来ましたぁ。 他の方とは意見が違いますが、歌った本人からのお答えなので間違いないと思います。 Yuichannさん、長年の疑問が解けたみたいですね。 それも64年組の元団員のお蔭で。 Yuichann 2020年10月23日 20:47 Ponko さん 有難うございます❣️お手数をお掛けいたしました。ビュヒュラー君コロナは大丈夫だったのでしょうね?ご自分のお家に近い所で覚えていたのでしょうか?良かったです!何だか嬉しいですね😂ビュヒュラー君に宜しくお伝えください。 ryo 2020年10月24日 00:30 ponko様 私もネットでハイリゲンクロイツの修道院を初めて検索しました。「きよしこの夜」を歌っているところとよく似ていると思いました。 一つ一つ気になっていたことが明らかになって、嬉しいです。ブュヒラー君に連絡をとってくださったのですね?実際に体験した64年組のメンバーからの情報で事実がわかったなんて、ちょっと感動です。 maa 2020年10月24日 18:43 ponkoさま、皆さま 撮影地は興味津々で楽しませて頂いています。 もしかしたらどなたか気づいていらっしゃるかもしれませんが、上の動画で「O du Fröhliche」も、ハイリゲンクロイツ修道院で歌っているようです。 何曲かここで撮影したのではないでしょうか? 画像を20枚くらいスクロールしてみていくと、パイプオルガンがあります。これですよね。 https://4travel.jp/travelogue/10249786 ponko310 2020年10月25日 00:17 Yuichannさん ryoさん maaさん インフルエンザの予防注射など、雑用でコメントのお返事が遅れました。 はい、私も「O du Fröhliche」はハイリゲンクロイツだと思います。 ビュヒラーさんのお返事の中には「私たちは現在、コロナと、絶えず変化する規制でおおわらわです。 みんなが危機を乗り越えるために最善を尽くしています。 それ以外は私たちは元気です」とありました。 コロナ動乱(オーバーかな)で規律を守ってくれない人がいるこちらは、危険があちらこちらにいっぱいです。 だから家でこうやって興味のある事を調べているのが一番安全なのですよね。 Yuichann 2020年10月25日 10:07 Ponkoさん Ponkoさんの仰る通りです!インターネットを介してコロナウイルスには感染しませんから安心です。今までの疑問がほぼ解決です。グリーンスリーブス、今別れの時、はスタジオでしょうか?今別れの時、夜の様なシーンが有りますが足元、雪に見えます。其処は外かしら? 可笑しな所が気になります⋯。 ponko310 2020年10月25日 18:03 Yuichannさん 仰せの歌曲は私もスタジオだと思いますけれど。 あまり考えない方が音楽を楽しめるので、それ以上の詮索は止めておきます。 一番良いのは目をつぶって素敵な自然を思い浮かべながら、天使たちの合唱を聞くのが一番好きです。 そこにはいつも腕を後ろに組んで、気品良く歌う姿の少年達が出てきます。 私のWSKの聞き方です。 tack 2020年10月25日 22:00 こんばんは〜 今更ですが、ペーター・マルシャートさんの記事初めて読みました。所々わからないところはすっ飛ばして読みましたが、すごく家族に対する思いが強い方なんですね。ウィーン少年合唱団時代に演奏旅行で家を空けることが多かったから、大人になってからはTourneeはもうイヤだった、なんてファンとしては申し訳ございませんとしか言えないです。 ところで記事9ページまでしか読めないのですが、続きがあるのですか?「将来について妻と私は」で終わってしまっているのですけど... Yuichann 2020年10月25日 22:06 Ponko さん そうですね! 歌声を聴いているとイライラが無くなり幸せな気持ちになります。あまり詮索をせずに⋯。ハイリゲンクロイツの教会へ行って撮影場所を確認したいです。クリスマスが近くなると「こよい鳴り渡る」を聴きたくなります。レッシュ君の歌声でシャーリング君の美しい歌声があまり聴こえないのが残念です。 ビュヒラー君元気で良かった、一安心です。 ryo 2020年10月26日 00:45 ponko様 皆様 いつも情報、ありがとうございます。 maa様、「きよしこの夜」勝手にお借りして申し訳ありません。どうしても見つけられなくて、maa様のところで紹介してくださってたと思い出しました。そして、今回、maa様がリンクしてくださったハイリゲンクロイツ修道院の画像をスクロールすると、回廊の次の画像が回廊から外を見た景色です。屋内で歌っていると思っていた「きよしこの夜」ですが、yuichannが外じゃないかと見つけられた通り、回廊から撮影して、団員たちはステンドグラスをバックに、外で歌っています。外なので足元は雪なんですね。寒かったでしょう。 ponko310 2020年10月26日 00:59 tackさん ほんとだ。 9ページ以降が見えませんね。 ブログのメンテナンスとかなんかで切れちゃったのかな。 でも、9ページは「すでに1年前に私と妻は~に」で終わっています。 此処にリンクを載せますけれど、10ページは違う記事ですよ。 16ページに演奏旅行での1964年のオーストラリアでの写真が載っていますよ。 http://www.wieneroboe.at/journale/55.pdf しかしまぁ、あんな長い記事を良く読みましたね。 私は写真を見ただけで、不真面目にまだちゃんと読んでいません。 ponko310 2020年10月26日 01:02 Yuichannさん そう、レッシュ君の歌声はエネルギッシュですよね。 小夜曲を聞くと本当にそう思います。 でも,耳を凝らすとシャーリング君の歌声だけ聞こえてきませんか? うふふ。 ponko310 2020年10月26日 01:27 ryoさん もうお手上げです。 私には動画が暗くて良く分かりません。 ハイリゲンクロイツとだけ判ればもう満足するしかありません。 でも本当に雪の上に立っているような気もしますね。 tack 2020年10月26日 01:57 ponkoさん リンクありがとうございます。 64年の団員たちが着ていたお揃いの紺のセーターが懐かしいですね。年毎にますます昔を懐かしく思うのは、老いた証拠でしょうか。専門用語がたくさん出て来て理解不能なので、記事はずいぶん飛ばして読みました。いいかげんな人間です。では、おやすみなさい。明日も平和な日でありますように。 あ、もう今日か(今はヨーロッパは冬時間ですね) ponko310 2020年10月26日 23:13 tackさん 冬時間、夏時間ってどうにかならないのかな、って毎回思います。 おそろいのセーターは私達にとって御馴染みでしたね。 ドイツに来てウィーン少年合唱団から離れていたら、いつの間にかすっかり変わってしまっていて、残ったのは昔のままの制服だけだった。 早くチャイナヴィールスが全滅して元の平和な日々に戻ってくれますように。 Yuichann 2020年11月30日 17:08 Ponko さん 寄り道ばかりで肝心な事はまだですトホホ〜。 横浜の文化体育館は修理ではなく取り壊しでした。(間違えました) もう工事は始まっているようです。 「ウェストサイド物語」はテレビで観たことがありますが、お馬鹿な私たちはわざわざ、アメリカのミュージカル劇団の公演をウィーンで観ました。英語だったので前日観たドイツ語のオペレッタより分かりやすかったです。会場近くで急に、悪友が観たいというのでウィーンにいた友人がダフ屋と交渉してくれて何とか高〜いチケットをゲットして観ました。(笑)ウィーンまで行って⋯。 ponko310 2020年12月02日 00:23 Yuichannさん 寄り道なんてことはありませんよ。 何処のお部屋も懐かしい思い出でいっぱいなのですから。 横浜の文化会館には行ったことが無かったのですが、ekさんが64年組の演奏会でファルナー君に心を奪われた素敵な場所だったというお話を伺って、跡形も無く取り壊されてしまうのが残念です。 ウエストサイド物語はあまりにも学校のみんなが騒ぐので。ウィーンファンの級友と一緒に映画館で見ました。 その頃は不良グループなんて大嫌いでしたが、ドイツで再びテレビ放送を見てみると、プエルトルコ系とヨーロッパ系のアメリカ人の少年達のいざかいのドラマだった事が判り、此処でもトルコ系とアラブ系の少年達のいがみ合いがあることを思い出したのでした。 ウィーンの舞台でそれを見て来たなんて、しゃれているじゃありませんか。 へ~ぇ、ドイツ語圏なのに、わざわざアメリカから公演に来ていたのですね。 Yuichann 2020年12月02日 11:55 Ponkoさん 仮設の劇場は、ウィーンのお客さんでいっぱいでした。涙する場面では、隣の席の老紳士を始め鼻を咬む音があちこちからしました。日本では経験した事がなかったので⋯(話には聞いていましたが)びっくりしました。 ヨゼフ君の笑顔がいいですね♪♪♪。ミヒャエル・アンデイーの吹替は誰だったのでしょう?此方の映画に出演していた少年達数人、61年に来日していますね?青きドナウにも出ていて⋯。 シャーリングの横顔12歳の少年らしい(はにかんでいるような?)。ピューリンガーの笑顔がとても良いですね!ハルハーマー、レオポルト⋯懐かしい。 ウィーンのコロナ感染者の多い事、もうびっくりです。皆さん高齢者なので心配です。 ponko310 2020年12月04日 03:11 Yuichannさん ヨゼフ君の笑顔が魅力的ですよね。 64年組もそうでしたが、この時代の団員達は演劇もひどく上手でしたね。 観客が涙をそそる場面で思い出しましたが、ベルリンの友人がマダムバタフライを見に行った時、最期の舞台で涙が止まらなくなって、ついに大声で泣いてしまったそうな。他にも声を出して泣いていたお客がいたんですって。 一体だれがそんな名演技をしたのか、聞くのを忘れました。 けれど、私が見た中で、この動画が一番涙をさそいました。 https://www.youtube.com/watch?v=3stgof-xyN0 そう、64年組の元団員もそのファンたちも、手に手をとって高齢者・・・ですね。 ek 2021年03月17日 08:42 素敵なお写真を載せてくださったPonko様 そしてそのお写真の公開をPonkoさんにはお許しくださったブロ友さん。 そしてなにより、お元気なお顔見せてくださったご本人。本当に嬉しく感謝しています。 もちろん、すぐにどなたかわかりました。お変わりない!優しい 柔和な微笑みはあの頃と全く変わっていらっしゃらない! きっと我が友だったWさんも、この方のように優しい笑顔はきっと今も変わらないでいらしたと思いながら思い出の中の我が友に、お仲間の元気なことを心の中で、ご報告しました。 掲載ありがとうございました! ponko310 2021年03月17日 18:20 ekさん この紳士は自分の隊の今の写真を見てすぐに誰だか分かったそうです。 そりゃそうでしょうね。 他の団員の方もこのブログを知ったら強力してくれるかもね。 ryo 2021年04月03日 01:22 ponko様 嬉しいニュース、UPしてくれてありがとうございます。懐かしいお顔を拝見できて、本当に嬉しいです。元気でいてくださったことが何よりです。ブロ友さんが文通を続けてくださったことがありがたいです。面影を残しているご本人が64年の日本公演を覚えていて、メッセージを添えてくださったのですね?ponkoさん、もう一人、またもう一人と、懐かしいメンバーが顔出ししてくれたら嬉しいですよね? ponko310 2021年04月03日 02:09 ryoさん 私もね、こうやって懐かしんで喜んでくださるファンがいる限り、64年組の元団員が答えてくれることを願っています。 物凄く人気があって、長い間追いかけまわされていた元団員も、50年も経てばそれを懐かしく思ってくれる年代に来ていると思いますけどね。 さて、次はどなたがこのブログに声を掛けてくれるのでしょう。 1964-1967 2021年07月16日 20:41 タヌキ穴の、Ponko 様 もう既にものすごい数のコメントのある昔の記事を引っ張り出して来てすみません。でも、やっぱり私には 64 年組が、一番です。どれもこれもなつかしがって、今でも色々と、覚えています。「64年組万歳」って気持ちです。所で、ゼキルンの写真で見つけたのですが、ツェルニー君に弟さんいますね、違うかしら? ponko310 2021年07月16日 22:22 1964-1967さん 私の記事はいつでもどこでもみんなを歓迎しておしゃべりの始まるのを待っています。 残念ながら、高校生の時に集めた切り抜きをすべて処理してしまいましたが、私もYuichannブログであの時の懐かしい写真に出会えることが出来ました。 64年組のプログラムは持っていないのですが、その後の来日組のように団員の紹介などは載っていないのでしょうかね。 ペータ君とスメタナ君にばかり気が行っていたので、ツェルニー君に兄弟がいたのかどうか分からないです。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでどうぞお気を悪くなさいませんように。それでもコメントをくださる方にはここから感謝したします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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