カテゴリ:バイエルン州へ
ニュルンベルクの交通網を載せておきましょう。
大きくすればいくらでもはっきり見れますから。 2022年6月18日 少年合唱団フェスティバルの日 さて、最後のコンサートは、ロレンツ教会で19時半から始まります。 そこで、また聖ゼバルト教会のそばにあるホテルの部屋に戻り、明日の帰宅バスの出発時刻とミサの時間との余裕を調べ、今日のうちにその教会に行ってみる事に決めました。 いつでも何処へでもの9ユーロチケットの確たる勝利ですね。 聖ロレンツ教会の前では、すでにウィンズバッハ少年合唱団の団員達が長い列を作って入場を待っているところでした。 この最終コンサートは6つの少年合唱団が一度に集まるもので、オンラインでも放映されて、世界中で見ることが出来ました。 教会の席も今回は凄い人で、最後の合唱が終わるとみんなスタンディングオベーションでした。 (まともに見られる画面は1分30秒からです。) コンサートが終わった後、沢山の人込みで合唱団の団員達に会う気力も無い。 6時間近く少年合唱団のモテットばかり聞いていて、贅沢とも思えるほどもう鼻について来ちゃった。 って、天使の歌声ファンとしては本望なのじゃないかと思うけどね。 しかし、しかしですよ~、昨日の残りの鳥カツサンドを一つ食べただけでてもう夜の9時半になっているのです。 そして、ニュルンベルクの土曜日の、この時間は何処のお店も閉まって何も買えないのでした。 何はともあれ、まず明日のミサが行われる聖ボニファズ教会に向かうために、強力な9ユーロチケットを効かせて(誰も検査する人いなかったけれど)地下鉄2番でセント・レオンハルト駅に来ました。 駅の外は暗く、ひっそりとして誰もいないし、何かを売っているところがなぁんにもない~~。 携帯のナビを頼りに、明日は此処を荷物を持ち運びながら移動することを念頭に、教会への暗い寂しい長い道のりを歩きます。 こんな辺鄙な所、明日は誰も来ないよね、と二人で勝手に決めつける。 ようやく教会らしくもなき現代風の建物を見つけると、そこにいた若いカップルに、それが聖ボニファツ教会だと確かめ、ついでにどこかに食事をするところが無いか聞きました。 無い! この辺には何も無い! なんという場所だ! すぐに中央駅に戻ることにして、今度はまず明日乗る長距離バスの停留所と大きな地下鉄駅のどこが都合の良い出口かを確かめておきました。 こうしておけば、明日荷物を持ってうろうろ探し回らなくて済みます。 次は地下鉄のプレーラ駅に戻り、ここでも人に尋ねながら、バス36番の停留所を探しましたが見つからなかったので、まず食事の出来る所を教えてもらいました。 トルコレストランでようやく席に着いた時はすでに11時になっていました。 気が付くともう死ぬほど喉が渇いていて、飲んだコーラの美味しかった事。 食事は山羊乳チーズサラダだけで充分でした。 そこには、それは美しい若い女性のウェイトレスがいて、ドイツ語が通じないと思ったら、やはりウクライナの女の子でした。 日曜日で何も買えない事がわかっていたので、そのお店でベルリン行きのバスの中で食べるトルコピザを買い、ウクライナの子が会計に来たら、チップを沢山あげるつもりでしたが、トルコ人が来たので止めたわ。 さぁ、帰る時間です。 有り難い事にバス36の停留所も見つかりました。 この36番は私達がニュルンベルクにいる間、一番お世話になった路線です。 バスの中で19日を迎えました。 すぐにホテルに戻れると喜んでいたら、途中で事故現場に出会い、道路が封鎖されていて、運転手は警官と交渉するためにバスから降りて行きます。 私は野次馬根性を発揮して、事故現場を見に行くことにしましたが、途中で運転手が戻ってきてしまい、バスは出発しました。 ホテルに戻るとすぐに汗を洗い流し、帰宅の準備を済ますとすぐにベットに入って寝てしまいました。 部屋に沢山の荷物を分散してある友人が何時床に就いたのか全く知りません。 2022年6月19日 日曜日 ベルリンに戻る日 今日も青空が眩しく光って、また暑くなりそう。 昨夜は随分遅くまでガタガタやっていたようで、友人はまだぐっすり眠っています。 バスルームに入ると、淡いピンクのレースのパンティーが床に脱ぎ捨ててあるのが目に付きました。(承諾を得て書いていますからね。) ウッソー!忘れた? 思わず爆笑。 私には天真爛漫な態度を取る友人が、エスコラニアの前で固まった昨日の姿が浮かんでまた爆笑。 前の晩では、朝11時からのミサを訪問するために、9時53分のバスに乗る予定にしていましたが、浴室で変化無しの瞼の裏を見ながらそれとは関係なく、何かの予感がして、自分勝手に20分早いバスで行くことに決めました。 疲れているはずなので、本当はもっと寝かしておいてあげたいんだけれど、友人はきっと出支度に1時間は必要と思うので、ドア越しに声を掛けてからまたバスルームに戻りましたが、出た時はちゃんと起きてくれていて、熱心に携帯を覗き込んでいました。 昨日のエスコラニアがよっぽど嬉しかったのだと思いますが、今は時間が勿体ないのでバスルームにと急がせ、私は友人の支度が整うまで、タブレットでウクライナ情勢を見ます。 プースケからイチゴジャムにされそうになったことを思い出す。 ホテルのチェックアウトを済ませ、昨日の朝食代を払うと、ギラギラの太陽を浴びながら、閉まっているカフェを恨めしげに横目で見て通り越し、36番のバスを待ちます。 あ、間違った、反対方向だ、と慌てて道の向こう側に渡る。 空の観光列車がこれからロレンス地区に向かうのでしょう。 バスが来たのでこれでゼバルト地区の見納めですね。 終点のプレーラー駅に着いたので、どこかで朝食を取れるかと期待しましたが、その気配は無し。 仕方なく地下鉄の駅へ下ります。 誰もいないプレーラの構内。 ガラガラの地下鉄 そのまま地下鉄の2番でサンクト・レオンハルトに向かいます。 駅から表に出ると、昨夜とは打って変わった景色が現れました。 昼間の景色は断然いいのです。 こいういう風景はベルリンと何ら変わりない。 街角にいたアラブ人のお爺さんから、開いているベーカリーがあると聞いて、そこで朝のコーヒータイムが出来ました。 トートバックのウィンズバッハ少年合唱団がとても役に立ってくれています。 教会に向かって歩いていると、昨夜は無かった自動車が、何台も止まっているのがわかりました。 そして教会に近づくと、歌声が聞こえると友人は言います。 私には聞こえない------もう難聴の気が出ているのかもね。 教会の関係者の様な女性が中に入っても良いと言ってくれたので、歌声の聞こえて来るホールに入りましたが、友人はまだ表にいる様子。 何をしているのか、聞きそびれてもいいのかいな。 彼女はそうやってたまに見失う事をして、私に心配をかけます。プン! 後で聞いたら、昨日のおデブの修道士さんと話していたとか。 そんな人、いたか? ホールの中には、やはり練習をしている最中のエスコラニアがいたのです。 昨夜は、あんなところには誰も来ないとタカをくくっていた予想が外れて、教会はかなりの信者で席が埋まりつつあります。 歌声の中、ふとチロチロ燃える小さな灯が目に入りました。 信者の方が新しい火を灯しに来た時、ベルリンの教会でブロ友のmaaさんがろうそくに灯を付けていた事を想い出しました。 何だか心が癒される灯火なのです。 少年達はミサの用意をするためにホ-ルから出て行きます。 これからエスコラニアに変身するんですね。 此処では勿論、フェスティバルでは座れなかった前の方の席に陣を取りますよ。 --------って、どうせなら一番前です。 私達の横には教会専属の報道部らしい人達がカメラを用意していました。 私達の席も特等席。 さぁ、ミサの衣装に着替えた少年達が、-------あ、テルテル坊主たちが最初です。 そしてすぐ目の前に座りました。 ミサが始まるとエスコラニアの方ばかり見ている訳にもいかず、信者たちと一緒になって立ったり座ったり。 観光客の多いウィーンのホーフブルグのミサと違って、楽譜を暗記して、聖書を見なくても説教者と一緒になって歌声を教会中に響かせる信者が多く、さすがに信仰心の強いバイエルン州だと思いました。 私の座るベンチの端にはヴィンスバッハの団員が一人ミサに参加して、ひざまずいて祈りを捧げている姿が印象的でした。 ミサの説教はドイツ語とカタロニア語でされましたから、司教様はスペイン人なのかもしれません。 友人を怖がらせた修道士君も二か国語で厳かな教えを説いていました。 そのミサの間にもエスコラニアはあの不協和音のFundamenta eiusをはじめとする3つのモテットを歌い、その後小さなコンサートを信者の為に用意してくれていました。 YouTubeにはこのボニファツ教会での様子の動画がありますが、https://www.youtube.com/watch?v=p3kSWsoe2-Y そんなこととは知らなかったので、自分で下手くそな動画を撮りました。 ミサでの3つ目の曲、1750年代のカタロニアの作曲家CasanovesのEgo sumです。 この大昔の作曲家はウィキによるとエスコラニアの大先輩だったみたいですよ。そして修道院に入ったのちにはエスコラニアのカペルマイスターや教師もしていたらしいのです。 ソプラノの団員君、もうじき変声期を迎えるのか、額に青筋は立っていないけれど、高音の時がちょっと苦しそうな表情になっているかな。 この素敵な少年はエスコラニアお得意の「鳥の歌」でもソロを歌ってくれました。 そして最後には、私が待ちに待っていたビロライを聞くことが出来ましたが、--------- 余りにも期待しすぎていたために、ふ~ん、これが今の歌い方なんだ、と言う印象なのでした。 今12時50分!! バスの出発は13時15分。 このミサの後はただ必死で中央駅のバスターミナルに向かうだけでした。 そして間に合った。 バスはライプチヒ駅を経由してベルリンに戻りました。 御馴染みのSバーンに乗ってホッとしました。 家に戻れたのは夜の10時になっていましたが、全体的にはこの2日間、天使の歌声に包まれながら、その歌声に翻弄もされず、実に幸せで満足な時間を友人と一緒に過ごせてこれたことにとても感謝しています。 歳を重ねると言う事は、実に良い事ですなぁ~。 ちなみに、帰宅してから目医者に行ったところ、角膜炎になっていました。 そしてどうも盲目症状があると思ったら白内障で9月に手術だそうです。 やれやれ---------歳を取るということは------- 最後にChorGesangさんが撮影してくれたモンセラートの「鳥の歌」を載せておきます。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。 貴方の失敗ではないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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