あんぱんまん と モーセ -2-
礼拝メッセージは、モーセの召名から。(出エジプト記3:10-12)40年間、エジプトの王子として過ごし、その後の40年間は、羊飼いとして逃亡生活。そんなモーセに、主は「わたしの民をエジプトから連れ出せ。」との召名。この時のモーセの立場に立ってみると、・今は、地位も名誉もない。なぜ40年前、エジプト王子としてまだ影響力あるうちに言ってくれなかったのか。・しかも、エジプトのイスラエル人たちは、自分の過去を知っており、それゆえに、逃亡生活を余儀無くさせられた。もはや、プライドも自信もない。今さら、おめおめ戻ったところで、恥さらし、物笑いの種にはなっても、誰が自分をリーダーとして言うことを聞くだろうか。そんなモーセへの主の召しは「わたしはあなたとともにいる。これがしるしである。」わたしたちは、いや、モーセもそうだが、具体的な目先のしるしのみを求めてはいないか。しるしは大切だが、「わたしはあなたとともにいる。」このことを、しっかり、心にとめることにより、それぞれのしるし、奇跡が用いられ、生かされていく。この後のモーセの歩みは、常に八方ふさがりのような状況の連続。結局、さまざまな奇跡も起きたが、モーセを支え続けたのは、顔と顔をあわせ、彼に語って下さった主の「わたしはあなたとともにいる。」のことばだったのではなかろうか。モーセの最後は、約束の地を目の前に命尽きる。苦労に苦労を重ね、ようやく安住の地、そしてリーダーとしての賞賛を得られようという時の死。この世的には、哀れな死と評価されるかもしれない。しかし、「モーセは地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。( 民数記12:3)」と記録されているように、もはや、地位、名誉、プライド、自信とは無関係の人生を歩んでいたであろうモーセ。それゆえ、主の御許に行くことで、もはや苦労・困難がなくなることに、モーセは平安のうちに120歳の生涯を閉じたのではなかろうか。「わたしはあなたとともにいる。これがしるしである。」このことを、教えて下さい。杖や、奇跡よりも、このことを深く知ることができますように。そして、この世のどんなものごとよりも、尊いことを知ることができますように。 キリストには かえられません 世の宝も また富も このお方が わたしに代わって 死んだゆえです 世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け キリストには かえられません 世の何ものも