神から人へ ◎善と悪について◎
神から人へ。神から人へ、伝えしことの全てのことを、残し広めて、教えてゆけよ。信じぬ者も、信じる者も。縁ある者も、縁なき者も。いずれも同じ、神の前には、無力で哀れな、枯葉の如く、あらがうすべなく風に飛ばされ、自然の前にて朽ち果てる、儚(はかな)き衆生をいかに救わん。さにて本日、何を問いたき。 (善と悪についてお教えください )さても人の世、善悪分けて、人は善をと求めるなれど、悪なき世にて生まれしことを、先ずは悟れよ、わきまえよ。悪には悪の働きあれば、悪のなからば善もなし。善のみならば、いかにして、悪の働き、意味を知らん。なれど悪との闘いあらば、人は善のありがたさ知り、悪をなくさん、滅ぼさんと、己の修練、鍛錬積みて、己を磨くことも能(あた)わん。悪なく、我(が)なく、罪なくば、人には修行も 必要なからん。なれどさにてはこの世も要らぬ。ただ平穏と安らぎのみの、静かで穏やか、平らかなるらん。人の願いも容易に叶い、充たさるらめど、さにあらず。人は進歩を、変化を求めて、必ず悪や秩序を、壊す行い始まり、乱れゆきなん。 神の始めの願いとは、悪との闘いなくすにあらず。悪と闘い、悪を知り、悪を憎みて、善を尊ぶ、表と裏とを読み取る力。善の尊さ、難しさ知り、さにても、尚かつ善を求めて、一人一人が努力を重ね、困難苦難を乗り越えて、人との平和を保たんとする。それこそ真の価値ある平和。豊かに進歩し、変化を続ける、神の願いの世ならずや。人に善のみ、和のみにあらば、人は迷わず、苦しみもせず、ただ平凡に、生を終え、生きても死にても、何も生まれず、何も作らず、進歩もなからん。人はさらなる向上目指し、さらなる昇華(しょうげ)を求めるべけれ。何の障害、妨害なくば、努力もせずに留まりて、日々の安穏 貪(むさぼ)るのみなり。 人の貴重な障害を、さらに輝き磨かすためには、幾多の苦難も必要なるらん。己の能力全てをかけて、己の現界定めずに、あきらめるなく、ただ営々と、なれど無欲に無心に歩む、愚(おろ)かな努力を神は愛づ。 愚直に、誠意の溢るる行い。善も悪も区別なし。なれど善には善のみの、働き、輝き、尊さのあり。人の幸せ、繁栄祈りて、己の犠牲を捧げて行う。それこそ善なれ、悪にはあらず。悪とは、人を害するにあらず。人の幸せ犠牲にしても、己の利得を得んとすること。神への感謝を忘れ果て、己の執着、迷妄、迷いて失う神のみ光。悪にも悪の意味あらばこそ、人の全てが悪人ならずや。なれど修行を重ねることにて、己の罪を減らしつつ、神へのご縁を深めゆく。さにてようやく、汚れも取れて、神の国へと戻るを許さる。驕(おご)るなかれよ。己一人は、罪人ならずとあやまつなかれ。全てが罪人、汚れし生よ。 悪を備えて生まれしなれば、御霊(みたま)磨きの行(ぎょう)積みて、曇り汚れを禊(みそ)ぎ浄(きよ)めよ。善と悪とを分けるなかれよ。二つは紙の裏表。善もあるらん、悪もあり。なれば二つを分けんとしても、無駄な努力よ。囚(とら)われよ。 二つを合わせて、さらに高めよ。次元を上げて、昇華せば、二つは同じ。区別なし。人の行い、人には裁けず。悪を悪とていがみ合い、己一人が正しいと、相手に押しつけ、無理強いせなば、必ずその者、悪に堕ちん。己の正義は、人には悪なり。さなる危うき善悪なれば、先ずは悟れよ。違いのなきを。己に正しく、人にも正しき、そは霊行ならん。人は行え、霊行を。神に近付き、魂磨くため。それのみ間違い、あやまりなければ。さにて神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋ひふみともこさんHPhttp://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/